かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ケンペが振るチャイコの悲愴

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はルドルフ・ケンペチャイコフスキーの悲愴などを振ったアルバムをご紹介します。

ルドルフ・ケンペと言えばもう言及する必要もないくらいの巨匠であり、モノラル時代からステレオ時代にかけて名演を有名どころのオケと残した指揮者でした。

このアルバムでは、チャイコの悲愴はフィルハーモニアと、組曲第3番はウィーン・フィルとそれぞれ共演し、素晴らしい演奏を聴かせてくれます・・・・・

って、勘のいい読者の方であれば、これだけで終わるんだったら、それほどいい演奏であるわけないってことなんじゃないの?と思われるかもしれません。いや、演奏は本当に生命力あっていいんです。ただ、録音が・・・・・

先日も申し上げましたが、最近私はPCを替えまして、ハイレゾ対応のスピーカーで、PC出力96kHz/24bitにして聴いています。これについては別途エントリ立てますが、本当に素晴らしい音で鳴るんです!そのうえ、PCよりUSBで、なので素直なデータで鳴ってくれるのも魅力です。

そんな構成でこの演奏を聴きますと、いやあ、1950年代後半のモノラル録音は、ホールや色付けによっては本当に違ったものになってしまうなあと思います。この構成なので色付けされている部分はクリアに鳴ってくれるんですけど、ディヌミエンドしていく部分は細部までは聴こえません。ですので聴こえない音が聞こえるという家電量販店の謳い文句は間違いであり、嘘なのですが、その代わり、ディヌミエンドしていく過程はしっかりクリアに聴こえてくれます。これがハイレゾの実力だと思っています。

そのうえで、色付けがはっきり聞こえてしまうんですよねえ。あ、ここでエンジニアがイコライザ動かしているなというのが、如実にわかってしまうんです。となると、ケンペが真に聴衆に伝えたいことは、そういった色付けを差し引いて受け取る必要があるな、ということなのです。

同じ経験を、私は東京FMが録音した普門館におけるカラヤン指揮ベルリン・フィルの第九で経験しています。アンプが逝ってしまったがために、変な残響なしにクリアに聴こえるベルリン・フィルの「音」は、それまで私が持っていたカラヤンへの偏見を、ウィーン・フィルとのモツレクとダブルで破壊しました。

その経験を踏んでいるので、このケンペにおいても、この演奏だけでケンペを語ることはできないなと判断させますし、また、その生命力がケンペが何を伝えたいのか、色付けを排して考える必要があると判断させるのです。あまりクリアではないからこそ、ケンペは何を伝えたいのか・・・・・慟哭?悲しみ?それはもちろんだろうけれど、ほかに何があるんだろうか・・・・・

現段階では言えるのは、それは人間だからである、ということです。人間だからこそ慟哭もするし悲しみもする。心に空虚さを感じることもあれば、やけに生命力あふれることもある。え?本当って?

私自身もそんな浮き沈みがありますし、それに、人間は死ぬ前にそんな躁鬱状態になることがあるんです。特にがん患者は・・・・・私の母がそうだったんです。

母はなくなる前、やけに元気で、親戚にあれ買ってきて、これ食べたいってせがんだそうです。しかし翌朝一転。容体急変し、あの世へと旅立ちました。今こう書いているだけでも、涙腺が緩んできます・・・・・

そんな人間の生死を、戦争を体験した世代のケンペだからこそ、よくわかっていたんじゃないかと思います。悲愴にしてはやけに生命力あふれすぎる、ともすれば元気な部分すらある演奏は、そういった人間の複雑な内面を、ちょっとの工夫で表現して見せたのではないかと思います。

カップリングの組曲第3番は、以前も取り上げたチャイコフスキーの自信作です。ケンペが振りますとこれが上品かつ生命力があること!生きてるって楽しい!と言わんばかりなのに、そこにしっかりと気品が備わっているのがさすがです。オケがウィーン・フィルだということもありますが、実はこの演奏はステレオ録音なんです。これだとオケのパートまで聞き取れる感じです。まさに「聴こえないものが聞こえる」とはこのこと!だからこそ、ハイレゾ対応に替えるだけで特段ハイレゾではなくてもよりクリアに聴こえるのは当然だといえるでしょう。だって、データ量がそれだけ豊富なんですから。

ですから、ハイレゾは嘘!というのも実は嘘である、ということを、このアルバムは二つの演奏を聴き比べることで如実に表しているといえるんです。ハイレゾがどうだこうだというのは、印南さんくらいハイレゾを聴きこなしてから言ったほうがいいなと、ケンペの解釈を聴いて思います。




聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
組曲第3番ト長調作品55から 主題と変奏
ルドルフ・ケンぺ指揮
フィルハーモニア管弦楽団(悲愴)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団組曲第3番)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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