かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:マゼールとウィーン・フィルによるマーラー交響曲全集8

東京の図書館から、シリーズで取り上げている小金井市立図書館のライブラリである、マゼール指揮ウィーン・フィルによるマーラー交響曲全集の、今回は第8集をとりあげます。

番号順なので、いよいよ第8番ということになります。初演で1000人近く出演したことから「1000人の交響曲」とも言われるこの作品、第1楽章が最も有名ですけれども、このアルバムを0聴くと、それは表面的な理解に過ぎないなあと感じさせられます。

魅力的なのは、第1楽章(というか、この作品では第1部というべきか)だけではなく、第2楽章もである、ということ気づかされるのです。ふと見てみれば、演奏時間は第2楽章は1時間越え。対する第1楽章は25分ほど。それぞれ長いですけれども、どちらがマーラーが強調したいことであるかは、一目瞭然であるわけです。25分という長い導入部があって、1時間の「カンタータ」があるというような様式なのだ、ということです。

このアルバムの演奏は、その解釈で際立っています。1時間30分近くになるこの大曲が、ながらで聴いていると実にあっという間に過ぎ去っていきます。さらに真剣に聴けばその濃ゆいこと!いやあ、その濃さは、マーラーが作品で表現しようとした「世界」故でしょうし、その「世界」をしっかりと掬い取っている演奏もまた素晴らしい!

もちろん、史実からすれば、この第8番がウィーンで初演される最後の作品であった、ということは言えます。ですが、当時ウィーン・フィルの公務員としての姿である国立歌劇場オケ(それはいまでもですが)としてはマーラーと疎遠になったとはいえ、「大作曲家の初演を演奏したオケ」としての自負と誇りは持ち続けてきたウィーン・フィル。自分たちが持つ「固有のサウンド」を存分に使い、歌うことで、交響曲第8番という「壮大な世界」は二つの部分があって一つであるということを謳歌しているように思います。

こういう演奏こそ、私がマーラーで待っていたものです。単に素晴らしいと感じるだけではなく、そこに私が気付かなかったことを気づかせてくれる、プロとしての表現。これこそ、待ち望んだものです。

第1楽章など、メディアなどでさんざん流れていたこともありますが、第2楽章が流れることはめったにないでしょう。それだけ押し出しが第1楽章に対して弱いからですが、しかし、よく聴けば実に歌う部分がたくさんあるのは第2楽章ですし、そのヴォリュームも多いことを、演奏で気付かせてくれる名演。メディアで聴くなら、単に音に包まれるだけではなく、説得力のある演奏がやはりほしいなあと思います。それはオケの自己主張でもありますしね・・・・・

こういう演奏にたくさん触れることもまた、緊急事態宣言下では大切なことなのかもしれません。

 


聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲
シャロン・スウィート(ソプラノⅠ、栄光の聖母/いと罪深き女)
パメラ・コバーン(ソプラノⅡ、贖罪の女の一人)
フローレンス・クイヴァ―(アルトⅠ、サマリアの女)
ブリギッテ・ファスベンダー(アルトⅡ、エジプトのマリア)
リチャード・リーチ(テノール、マリア崇拝の博士)
ジークムント・ニムスゲルン(バリトン、法悦の教父)
サイモン・エステス(バス、瞑想の教父)
ヴォルフラム・コロソイス(オルガン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
オーストリア放送合唱団
アルノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン少年合唱団
ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。