東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズで取り上げているマゼール指揮ウィーン・フィルによるマーラーの交響曲全集、今回は第7集をとりあげます。収録曲は第7番。
「夜の歌」と呼ばれる作品ですが、それが全体を表すものではないのはよく知られていることです。が、「夜の歌というのはどういう事なのだろうか?」と考えさせる作品だと思います。
特にこのマゼールのタクトによるウィーン・フィルの演奏を聴きますと、どうしてもそういった思いが強くなるから不思議です。第1楽章など、歌というよりは咆哮に近いですし・・・・・
はっきりと「夜の歌」とされている二つの楽章以外は、特に夜の歌とされているわけではないのですが、それでもどこかに確かに夜更けが存在するように聴こえるのがこの作品の不思議なところだと思いますが、それはウィーン・フィルのなせる業ではないとは思いますが、自然と浮かび上がるように聴こえるのは確かで、そのあたりはウィーン・フィルだからなのかもしれません。
そもそも、ウィーン・フィルはブラームスはもちろん、マーラーの交響曲の初演もいくつか携わったオケである、ということは念頭に置く必要があるのではと思います。昨年秋、新型コロナウイルス感染拡大の最中に来日したときの、「ウィーン・フィルらしいサウンドを作るという責任」という言葉は、決してハッタリではないでしょう。
その言葉から考えれば、ウィーン・フィルが奏でるマーラーの交響曲というのは、初演の時のサウンド、あるいは初演の時に理想としたサウンドを紡ぎ続ける、ということを意味します。つまり、私たちの演奏は、マーラーそのものだ、という宣言です。
宣言通りにするということは並大抵ではありません。つい、マーラーの交響曲を考えるとき、いろんな演奏を確かに聴こうとしますし、そうじゃないと偏るのは確かですが、そもそもウィーン・フィルはマーラーのそれぞれの交響曲の初演をしてきただけのオケなのだ、ということを踏まえれば、極端な話、ウィーン・フィルの演奏を聴けば80%のことは言えるのではないでしょうか。
その視点でこの演奏を聴きますと、全体的にウィーン・フィルは歌っています。歌っているからこそ、「夜の歌」という標題が必ずしも全体を示すわけではないのに、やはり「夜の歌」を全体から感じてしまうというのは、必然なのかもしれないと、思うのです。
聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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