かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:マゼールとウィーン・フィルのマーラー交響曲全集4

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。シリーズで取り上げているマゼール指揮ウィーン・フィルによるマーラー交響曲全集、今回はその第4回です。

番号順で来ていますから、ちょうど第4番が収録されているのですが、マーラー交響曲の中で最も短い割には、カップリングなし、です。

まあ、それだけマーラー交響曲は押しなべて演奏時間が長い、ってことでもありますけどね・・・・・

さて、第4番は「角笛三部作」とか言われますけれど、ウィキによるとその言い方は必ずしも妥当ではないようで・・・・・

ja.wikipedia.org

私も、その見解に同意するものです。特に、このマゼール指揮ウィーン・フィルのコンビで聴きますと、余計そう思うのです。

勘のいい方は、この演奏って、マーラーと関係深いよね、と気づくはずです。マーラーが就任したウィーン国立歌劇場。その管弦楽団がコンサートの時に名乗るのが、ウィーン・フィル、なのですから。

なぜ今年、パンデミックのさなかウィーン・フィルが日本へやってきたのか。それはそもそも、ウィーン・フィルとは国立歌劇場オケの楽団員なので、オーストリアの国家公務員だから、です。だからこそオーストリア政府は日本政府に働きかけた、のです。これ、クラシックに詳しくない人ならば、本来は極右界隈の人は怒り狂うはずなのですが・・・・・だって、民間の活動になぜ政府がバックに付くのか、と。

しかしながら、そんな声は上がらなかったのも不思議な話です。学術会議へは恫喝ともとれることをやっていながら・・・・・

さて、戻りまして、そんなウィーン・フィルですが、恩寵を乗り越えて、もやは大切なコンサートピースになっているマーラー。その中でも短い第4番。天上の音楽とも言われますが、作曲年代を見ると1900年。19世紀最後の年。これは一つの意味あることだと思います。

マゼールはあまりテンポを揺らすことなく、オケを最大限豊潤に鳴らすことに執心しているように思います。そしてそもそものウィーン・フィルサウンドが、この曲の耽美的側面を自然と浮かび上がらせているのですが、それはまさに、19世紀までのヨーロッパ社会というものを端的に表しているように思うのです。異物のない、心地よい世界・・・・・

それに、同時代に反対の声を上げた人たちがいました。その筆頭がドビュッシーだったのです。帝政のドイツ、共和制のフランス。この違いだけでも、音楽は違った方向へ行ったといえるでしょう。

現在、新型コロナウイルスパンデミックで特に後期ロマン派とベートーヴェン「第九」は演奏できない状況に置かれています。それはなぜかと言えば、私たちの社会が後期ロマン派の時代に成立したものに囲まれているからだと言えるでしょう。それが都市というものであったり、近代と言われるものであったりします。しかし、プロのプログラムを見ても、たとえばドビュッシーを取り上げるとかという動きはあまり見られません。いかに私たちが19世紀という時代に21世紀も支配されているかが、よくわかる事例ではないかと思います。

その中で、第九を初演に近いような編成でやろうとする動きは、私自身はいいことだと思っています。そしてそれが、マーラー交響曲を室内オケ、あるいは室内楽程度の編成でやってみようという動きにつながってくることが、今後クラシック音楽が「ウィズ・コロナ」の時代に生き残れるかの分水嶺ではないかと思います。

その意味で、この演奏はマーラーの音楽と私たちとの関係性を、如実に見せつけているといえるでしょう。

 


聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第4番ト長調
キャスリーン・バトル(ソプラノ)
ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。