東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。マゼールがウィーン・フィルを振ったマーラーの交響曲全集の今回は第3集をとりあげます。
番号順になっていますから、これは第3番を収録しているわけですが、2枚組。まあ、最も長いとも言われたこともあるマーラーの交響曲第3番を収録ですから・・・・・
それのカップリングが、有名な歌曲「亡き子を偲ぶ歌」。ある意味、ま反対の作品が収録されているという・・・・・
交響曲第3番はそもそもマーラーの一つの世界観だと私は思います。キリスト教を題材にすることなどない時代精神の中で生きているにも関わらず、第5楽章ではキリスト教が題材です。これはキリスト教が思想的に根本であると同時に相対化された時代の精神を反映しています。そういった時代の世界をマーラーは表現したと言えます。
一方で、「亡き子を偲ぶ歌」は思いっきり個人の感情の発露です。とはいえ、マーラーはわかっていたのではないでしょうか、言語化できるということはそれだけ傷が癒えているということで、リュッケルトがそれだけ傷ついた後にたどり着いた言語化された世界である、ということを。
それは、ウィキの以下の説明で明らかではないかと私はにらんでいます。
「曲集の痛ましさは、彼がこの曲集を書いた4年後に、マーラーがまさに娘マリアを猩紅熱によって4歳で失ったという事実によって増大させられる。彼はグイド・アドラーに書いた手紙の中でこう語っている。「私は自身を、私の子供が死んだと想定して書いたのだ。もし私が本当に私の娘を失ったあとであったなら、私はこれらの歌が書けたはずがない」」。
なぜそう考えるのかと言えば、私自身が母を亡くしたとき、とても言語化できなかったから、です。ようやく絞り出したのが「お母さん、辛かったね、ようやく楽になれたね」でした。がんで苦しんでいるのを間近で見ていましたから・・・・・それでも、母を亡くした悲しみと喪失感が癒えるまで、10年ほどかかりました。
この二つのコントラストのつけ方が、さすがマゼールとウィーン・フィルなのです。耽美的でありつつも生命を感じる第3番、徹底的に悲しみに包まれつつも絶望まではしていない「亡き子を偲ぶ歌」。この二つをカップリングで聴きますと、マーラーの交響曲という多様性の真の姿が浮かび上がるから不思議です。
神亡きと言われるけれども、マーラーの精神の中に存在するキリスト教という存在。しかし支配されずに自立した一人の人間として肉親の死を表現する姿。その複雑な様相を表現するために、マーラーが試行錯誤する姿が、様式などから浮かび上がるのです。そしてその試行錯誤する姿が、聴くものをとらえて離さないだけでなく、おそらくそれは表現者としての指揮者やオケの団員の作品への共感する姿に、私たち聴衆も共感するということなのだろうと思います。
特に私にとってはそうで、亡くなった母のこと、そして若くして逝った中学の同級生、そして仏教の蓮華蔵世界観などがフラッシュバックするのです。
例えば、
「この曲がマーラーの「田園交響曲」だとする見解については、マーラーは1896年11月に、友人の音楽評論家リヒャルト・パトカに宛てて、次のように書いている。「私にはいつも奇妙なことと思われるのだが、多くの人たちは、自然について語るとき、ただ花とか小鳥とか松林の風景だけを思い浮かべている。ディオニュソスの神とか偉大な牧神のことを誰も知らない。そこなのだ。標題がある。つまり、どのように私が音楽をつくるかの範例だ。どこでも、そしていつでも、それはただ自然の声なのだ。」
これは、神仏習合の日本人である私であれば、仏教の蓮華蔵世界観そのものです。宇宙の中心の大日如来、そしてそれに連なる諸仏。その中にいる私たち人間。構図的にそっくりです。ペテロが許されるという歌詞はまるで親鸞の悪人正機ですし。
それはマゼールやウィーン・フィルの団員たちと、同じ思想の中で生きているという証拠なのではないかなとも思うのです。その思想が大切にできる世の中で有ってほしいと願うばかりです。
聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
交響曲第3番ニ短調
アグネス・バルツァ(メゾ・ソプラノ)
ウィーン国立歌劇場女声合唱団(合唱指揮:ワルター・ハーゲン=グロール)
ウィーン少年合唱団(合唱指揮:ウーヴェ・クリスティアン・ハーラー)
ヨーゼフ・ボンベルガー(ポストホルン)
ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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