神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はリルバーンの管弦楽作品集を収録したアルバムをご紹介します。元音源はナクソス。こういう知られざる作曲家をとりあげるのはナクソスの独壇場ですね。
さて、リルバーンは20世紀ニュージーランドの作曲家です。ウィキの説明だと、音楽はどれほどおどろおどろしいのかと思いますが、そもそもセリー音楽だからと言って必ずしもおどろおどろしいものになるとは限りません。出張から戻ってきて最初のエントリでこういう面白い音楽に触れることができることはわたしにとって喜びです。
私は聞いてみて、リルバーンの音楽には多分に人によってはつまらないと感じるような、イギリス音楽の影響も垣間見えるのですが、それだけではない、それ以前のヨーロッパ後期ロマン派、特に国民楽派の影響の方を強く感じます。しかし過度にロマンティシズムに耽溺しない健康さ。それが聞いていてとても快活で、爽快です。
特にそれを感じる作品が二つ。第1曲目の「アオテアロア」序曲と第3曲の「ドライスデール序曲」です。この二つはリルバーンが留学先のイギリスで故郷を思って作曲したものです。ドライスデールはリルバーンの出身地。そしてアオテアロアは?と言えば、ニュージーランドという国名を意味するマオリ語、なのです。
ニュージーランドという国はコモンウェルス、つまりは英連邦なんです。ですから実は立憲君主制の民主主義国(最近は立憲君主制の国はすべて民主主義を取っているので王政にカテゴライズされないようです)。ですのでイギリスのエリザベス女王が君臨して統治しないということになるわけなのですが、そもそもはイギリスの植民地だったわけで、現地人がいたわけです。その現地人たちがそもそもはいたのだということを、独立したアメリカよりも強烈に意識をしているのがニュージーランドの国民だということが垣間見える作品だと思うのです。
アメリカの音楽史を紐解くと、クラシック音楽で現地の旋律などを使ったのは残念ながら初期のドヴォルザークくらいしか見当たりません。しかしニュージーランドにはリルバーンがいる。というより、ドヴォルザークが「新世界より」を書いたことがリルバーンに影響していないかなとも考えるのです。
そのドヴォルザークの影響から出発しつつ、当時の先端音楽もどん欲に取り入れて、結果とても爽快な音楽が生まれている・・・・・これは素晴らしい創作だと思います。
そんな作品を演奏するのが地元ニュージーランド交響楽団、指揮はジャッド。え、鹿児島?とか鹿児島の方思わないでくださいね(実はじゃっどというプリぺが鹿児島ではありまして)。あくまでもこの人はイギリスの指揮者ですから。このコモンウェルス・コンビが織り成す生命力ある演奏は、リルバーンが実はイギリス本土の音楽に対して批判的な目を持っていたという解釈なのかもしれませんし、そもそも作品そのものが批判精神から出来上がっているのかもしれません。いずれにせよ、リルバーンは単にイギリスに留学しただけで、イギリス音楽を持ち帰ったのではないことを教えてくれます。
こういう「境界線が引ける」作曲家が実は20世紀になってどんどん出てきているということを知るにはいい演奏だと思いますし、さすがナクソスだよなあと思います。いや、もっといい演奏はあるんでしょうが、目の付け所がさすがだよねえとナクソス盤には毎度敬服させられます。
聴いている音源
ダグラス・リルバーン作曲
「アオテアロア」序曲(1940)
誕生日の捧げもの(1956)
ドライスデール序曲(1937、1986改訂)
音詩「森」(1936)
音詩「島の歌」(1946)
祝典序曲(1939)
行列のファンファーレ(1961、1985改訂)
ジェイムズ・ジャッド指揮
ニュージーランド交響楽団
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