かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:チャイコフスキー 交響詩集1

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、チャイコフスキー交響詩を集めたアルバムをご紹介します。

とはいえ、チャイコフスキー交響詩って名前で作品を書いていないことが多くて、たいていは幻想曲ってついていることが多いんですね。ただ、そうはいっても様式的にはそれは交響詩だよね、と。そのため、このアルバムは「交響詩集」という名前が付いたというわけです。

さて、そんなチャイコフスキー交響詩的な作品集を借りてきたのには、そのチャイコフスキー交響詩的作品をまとめたアルバムが、意外となかなかないということがありました。そのうえで、指揮はインバルとマルケヴィッチですし(第2集にはハイティンクも)、オケもフランクフルト放送響やフィルハーモニアなど、一流ぞろえです。

この第1集には、聴いたことがない作品ばかりが並び、聴いたことがあるのは第3曲の「ハムレット」だけ。以前取り上げたナクソスのものでずっと好んで聴いている作品ですが、このアルバムの演奏であるマルケヴィッチとニュー・フィルハーモニアで聴きますとまたそのドラマティックなストーリー性が浮かび上がるように思います。

残る3曲はいずれも始めて聴いたもの。第1曲目の「運命」は1869年に初演された作品ですが、いろいろな経緯を経てチャイコフスキー自身が失敗作と断じてしまい、一度は破棄された作品です。

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第2曲目の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は有名な作品ですが私は初めて聴いたのでした。チャイコフスキーには珍しくダンテの「新曲」からテーマをとった作品で、まさにタイトルロールの悲劇を存分に表現しています。

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第4曲目の「嵐」チャイコフスキーには「テンペスト」もありますがこの「嵐」はそれとはまた別な作品です。作品番号は76が与えられており、チャイコフスキーの死後につけられたもので、作曲年は1864年と実は「運命」よりもさらに早いのです。

そりゃあ、私も知らないわけだよなあって思います。いずれにしても、チャイコフスキーの「霊感」は存分に表現されている作品ばかりで、まあ、専門家からすればアラもたくさんある作品もあるでしょうが、一聴衆である私からすればそれほど問題はないような作品がそろっています。

この第1集では「運命」と「嵐」をインバル指揮フランクフルト放送響が、「フランチェスカ・ダ・リミニ」と「ハムレット」をマルケヴィッチ指揮ニュー・フィルハーモニア管が担当し、いずれもダイナミックかつ繊細な演奏を繰り広げています。そもそも、チャイコフスキー作品の魅力って、その「勇壮かつ繊細な音楽」にあると私は思っていて、細かいことを言えば例えばベートーヴェン交響曲第6番「田園」の第1主題だって音楽理論的にはやっちゃあいけない「もぐりこみ」です。けれども実際に聴いてそれを文句つける人はいます?チャイコフスキーだって一緒です。

とはいえ、第1曲目の「嵐」は評価は半々だったように、決してこれらの作品は順風満帆に伝えられてきたわけではないんですが、それはオケの力量とかも影響しますからねえ。少なくともこのアルバムのオケであるフランクフルト放送響とニュー・フィルハーモニアでは全くそん色ないですから、多分バラキレフが指揮したオケはあまり当時は実力がなかったのではないかなあって思います。その意味では、チャイコフスキーももしかすると生まれるのが早すぎた作曲家だったのかもしれないと、ふと思うのです。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
①幻想曲「運命」作品77
②幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32
③幻想序曲「ハムレット」作品67a
④序曲「嵐」作品76
エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団(①・④)
イゴール・マルケヴィッチ指揮
ニューフィルハーモニア管弦楽団(②~③)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。