かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:R.シュトラウス 管弦楽作品全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズで取り上げていますリヒャルト・シュトラウス管弦楽作品全集ですが、今回はその第4集を取り上げます。

第4集は再び協奏曲を取り上げおり、ヴァイオリン協奏曲が収録されていますが、カップリングが「家庭交響曲」なのです。

ヴァイオリン協奏曲はリヒャルト・シュトラウス若き日の作品で、1881年から82年にかけて作曲されたもの。彼が初めて書いた協奏曲でもあり、そのためかずいぶん古典的な印象があります。

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一方の家庭交響曲は、交響詩の時代が終わった1902年から03年にかけて作曲された作品です。20世紀の作品なんですね、じつは。不協和音多用の「20世紀音楽」とは明らかに一線を画した作品がそこにはあります。

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この組み合わせ、一つにはあまりコンサートピースに乗らない作品ともう有名すぎる作品とを並べたものですが、その意味ではこの第4集も「あれもリヒャルト・シュトラウス、これもリヒャルト・シュトラウス」という意味を持っているでしょう。そして同時に、じつは二つとも協奏曲という見方もできます。なぜなら、第2集で取り上げている「家庭協奏曲余禄」という「協奏曲」の元となったのが、当然ですがこの「家庭交響曲」という「交響曲」だからです。

さらに言えば、この「家庭協奏曲」をはじめ、リヒャルト・シュトラウスは、楽章数などにこだわらない創作を自分のものとしている、ともいえるでしょう。交響詩というともすれば楽章など関係ない作品を書いた末に、単一楽章の交響曲へと至っていますし、協奏曲もまた同じ道筋をたどっているからです。

となると、このEMIの全集の意図が見え隠れするのです。つまり、リヒャルト・シュトラウスの作品をもっとよく知るためには、至った「大作」だけを聴いているのではだめなのではないですか?という問題提起です。だからこそ、協奏曲や交響詩をいくつか先に出している、とも言えるでしょう。

この後、この全集は有名作品を収録したものへとシフトしていくんですが、その前段として協奏曲や交響詩の一部を聴いてもらい、リヒャルト・シュトラウス管弦楽作品のたどった道筋や特徴を体現してもらいたい。そんな意図が見えるんですね。こういう「目からうろこ」な編集、私は好きです💛

それでいて、演奏も音質もいい!ヴァイオリンのホルシャーの本当によく歌うこと!完全に後期ではなく前期ロマン派。そしてサポートするシュターツカペレ・ドレスデンの豊潤な音。ケンペのタクト、どれをとっても魅力的なものばかり。家庭交響曲のいかにも後期ロマン派という作品も見事に「歌」となっています。けれども時として「歌」がいい加減になっているところに、ケンペの解釈というものが見える全集なのですが、なぜかこの第4集は全体として歌っています。ここに、ケンペの一つの「愛」を感じるんですよねー。有名作品だけではなく、こういったあまり演奏されない作品にも注ぐ優しく愛しい目。素晴らしい!

とはいえ、「あまり演奏されない」というのは日本での話。検索すればサラ・チャンのヴァイオリンでの「ヴァイオリン協奏曲」のアルバムすらヒットします。有名作品「のみ」しか評価をしない我が国のクラシック・シーンにおいては仕方ないのかもしれませんが、そろそろ「有名作曲家の作品だけどあまりコンサートピースに乗らない」作品も私たち聴衆が演奏を要求する時代に来ているような気がするのですが・・・・・

クラシックのすそ野は広いのに、自分たちで狭めているような気がしてならないのです。

 


聴いている音源
リヒャルト・シュトラウス作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品8
家庭交響曲 作品53
U.ホルシャー(ヴァイオリン)
ルドルフ・ケンぺ指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。