神奈川県立図書館所蔵CD、シューマンの室内楽全集を取り上げていますが、今回は第2集を取り上げます。弦楽四重奏曲第3番と、ピアノ三重奏曲第1番が収録されています。
シューマンが室内楽を集中的に書いた時期があったということは、第1集を取り上げた時にご紹介しましたが、この第2集では作品41の最後と、ピアノ三重奏曲という、言わば室内楽の王道をゆく二つのジャンルが収められているということになります。
まず第3番ですが、とても落ち着いた作品です。ベートーヴェンの後期の作品にみられるような、落ちつきはらった内容がそこにあります。ヴァイオリンとそれ以外のパートの違いも優れていて、それでいて歌うような旋律になっているのに驚かされます。
第1集を取り上げた時にも申しましたが、作品41の3つの作品は集中的に書かれているわけですから、例えばシューマンがだんだん作曲が上手になっていくとか、そういう面は見出せないのです。なのに、なぜかそう聞こえるのはなぜなのか・・・・・
「今月のお買いもの」コーナーでも、今シューマンを取り上げていますが、そこから私なりに導き出すのは、やはり「新しい時代の音楽を創る」という、シューマンの決意表明であるということです。ベートヴェンの16曲の偉大な作品を踏まえて、自分は何処へ行くのか、それを表明するために、わざとピアノ的なものから円熟したものまでを同時期に作曲したのでは、ということです。
落ちつきはらったその音楽は、むしろブラームスの作品に近いと言えましょう。ベートーヴェンとブラームスの間をつなぐものとでも言いましょうか・・・・・
室内楽曲の数からいえば、実はメンデルスゾーンのほうが数多く作曲していますが、モーツァルト復興といった側面が強いのが特徴である一方、シューマンはベートーヴェンからブラームスへと橋渡しをするような役割を担ったのではないかと言う気がしています。これは両方の作品を聴き比べた結果導き出した、私論です。
一方、ピアノ三重奏曲はいきなり、ロマンティックな、新しい時代の音楽が鳴り響きます。ベートーヴェンもピアノ三重奏曲を書いていますが、それほど数が多くないことが、シューマンをしてのびのびと書けたのかもしれません。弦のゆったりとした旋律にピアノの動きのある旋律が乗ると言う、構造的には名曲の要件を満たすものを持っています。
しかも、ピアノは単に動き回るだけではなく、歌い、踊り、それはもう八面六臂です。リタルダンド多用で、まさしく「新しい時代」の音楽がそこにはあります。それはベートーヴェンなど古典派の作品とは一線を画すものです。
ピアニストであるだけでなく、評論家であったシューマンらしい作品であるように思います。
ピアノ三重奏曲第1番 (シューマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E4%B8%89%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)
それは何もこのピアノ三重奏曲第1番だけではなく、弦楽四重奏曲第3番もそうである訳で、ともにシューマンが掲げた「新しい時代」の音楽であると思います。
そしてなぜか、この二つの作品からは、管弦楽曲に時折みられる、病的な部分がないのです。とても健康的と言うか、素直な感情の発露と言いますか、素直にロマンティックなんですね。その上で、心の機微も表現されているような気もしますが、皆さんはいかがでしょうか。
演奏は、この二つに関してはリットのかけ方が思い切っていますし、演奏しているほうも音楽史的に意識しているなという気がします。それでいて筋肉質なのです。きびきびとした演奏からは、それこそシューマンの息吹が聴こえてきます。
僕は、こういった新しい音楽を書いたんだ!クララ、みんな、どう?
私はクラシックファンという「仲間」として、もろ手を挙げて賛同したいです。演奏はそんな共感に溢れているように思います。
聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
弦楽四重奏曲第3番イ長調作品41-3
ピアノ三重奏曲第1番ニ短調作品63
アルベルニ四重奏団
イスラエル・ピアノ・トリオ
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