かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:新ウィーン楽派管弦楽作品集1

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回と次回の2回に渡りまして、新ウィーン楽派管弦楽作品を取り上げたアルバムをご紹介します。

そもそも、新ウィーン楽派って?という説明をしなくてはなりません。1900年代初頭にかけて、ウィーンで活躍した3人の作曲家、シェーンベルクウェーベルン、ベルクを指します。

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基本的に、私が20世紀音楽と呼ぶ、不協和音バリバリの、調性無視の音楽がその特徴です。20世紀音楽の中でも最も前衛な作品を書き続けた集団でもあります(20世紀の音楽には調性音楽もあるため)。

まず第1集では、その生みの親であるシェーンベルクの作品が収録されています。シェーンベルクは初めから前衛だったわけではありませんが、ここに収録されている二つの作品は明らかに前衛である反面、とても古典的な要素も持つ作品です。

まず第1曲目が「ペレアスとメリザンド」。典型的な悲劇をとりあげつつ、ペレアスとメリザンドと言えばドビュッシーも書いている題材。どれだけ劇的なのかと言えば・・・・・さほど劇的でもありません。ひたすら不協和音を使って悲しみを追求していく作品です。

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2曲目が管弦楽のための変奏曲。不協和音バリバリだから伝統を破壊したんでしょというア・ナ・タ。破壊したのは和声です。このようにクラシックの伝統である変奏曲をとりあげないなんてことはしなかった、というわけです。これは見方を変えますと、ドビュッシーの系譜であるともいえるのです。

ドビュッシーは、新しい和声を作り上げた人です。一方でフランスバロックを再興し、その手法を自らの新しい和声で紡いだ人です。このシェーンベルクの変奏曲はその流れの先にある作品だと言っていいでしょう。

そんな作品を演奏するのはなんとカラヤン指揮ベルリン・フィル。このコンビが放つ洗練されたサウンドだからこそ際立つ、作品の内面性は、実に明快です。ペレアスとメリザンドの悲劇性が静謐さで占められているのをしっかりと浮かび上がらせますし、一方で変奏曲も不協和音でもってクラシックの伝統を紡ぐという作業がつまびらかになっているというのは、本当にわかりやすいと思います。もちろんその一方で外形的という批判もあるわけですが、テクスチュアを浮かび上がらせつつ内面もというのは、はっきり言ってプロでもシェーンベルクの作品では難しい作業だと思います。しかもこの録音、カラヤンベルリン・フィルが最も脂がのっていた1970年代前半。その時代でテクスチュアと内面性の両立を目指そうとするのはかなり大変であろうと思います。それでいい演奏だと玄人が言ったとしても、果たして聴衆は納得するのか?という疑問が付きまとうからです。

その課題はむしろ、現在の指揮者たちとオーケストラの団員たちへと持ち越されているように思います。そして現代の指揮者たちとオーケストラの団員たちが解決すべき問題だと思います。ベルリン・フィルカラヤンはその先鞭をつけたにすぎません。ですから過大評価はすべきではないと思いますが、その当時としては大きな仕事をしたと、私は評価しています。

 


聴いている音源
アルノルト・シェーンベルク作曲
ペレアスとメリザンド 作品5
管弦楽のための変奏曲 作品31
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。