かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:イッセルシュテットとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集1

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介します。イッセルシュテットが振るウィーン・フィルベートーヴェン交響曲全集をシリーズで取り上げます。今回はその第1集です。

この全集は番号順で収録されているのですが、何よりもオケがウィーン・フィルで、指揮がイッセルシュテットというのが特徴であるわけです。イッセルシュテットの指揮は結構前から聴きたいと思っていたもので、それは「プラハの春音楽祭」でベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を振ったのを聴いたことから始まります。

そこから、うん十年。ようやくその機会が巡ってきた、というわけです。イッセルシュテットの音源はもっと前からあったはずで、ただ単に私が探さなかっただけだとは思いますが、なぜか店頭で見かけることは少なかったと記憶しています。それも当然なのかなとは思います。おそらく、1980年代よりは前の録音のはずですから。調べてみれば、ステレオ黎明期の1960年代の録音。そりゃあ、店頭になかなかないわけです。

え?名盤の誉れ高いからあったはずだって?ええ、私もそう思いますが、ベートーヴェン交響曲全集はあまりにも数が多く、このほかにも名盤の誉れ高い全集はいくらでもあります。そんな中で、古い録音は特に目立つものがない限りは、埋もれていくのが運命です。

例えば、もっと古いモノラルのフルトヴェングラー、あるいは当時華麗な録音デビューを飾っていたカラヤンなどなど、そうそうたる指揮者たちが録音を出していた時代です。そんな中でイッセルシュテットはとてもいい演奏をする「だけ」の指揮者というレッテル張りが行われていったような気がするのです。実際には本当に味わい深い指揮を、ウィーン・フィルに対して行っているんですけどね。

まずは第1集、第1番と第2番が集録されているわけですが、特に第1番のワクワク感は半端ないです!そして第2番も、ステディかつ雄弁な演奏!ウィーン・フィルのそもそもの豊潤なサウンドを、語り部としてうまく使っていると思います。

もちろん、ウィーン・フィルの魅力はそれにとどまりませんが、イッセルシュテットという指揮者がうまく魅力を引き出すというか、使っているのが最大の特徴だと、少なくとも第1集を聴いた限りでは言えると思います。テンポとしては多少冗長に聴こえる第2番第2楽章も、だからと言ってつまらなくはないんです。はい弾いたでしょ?それでオッケーではなくて、大胆かつ繊細なサウンドが、若きベートーヴェンのはつらつとした才能を語っているように思うんです。

まあ、アンチカラヤンでいろんな指揮者が挙げられますけれど、意外と抜けるのがイッセルシュテットではないかって思います。私自身はとても好きな指揮者で、カラヤン擁護の私でも、もちろんカラヤンより評価が高い指揮者です。

ja.wikipedia.org

けれども、この第1集を聴いてみると、その不遇ぶりに比べて、なんと雄弁かつ溌溂とし、そのうえでロマンティックなんだろうと思います。古典美としてのきびきびとしたものを大切にしつつ、ウィーン・フィルの実力をもって歌わせることも忘れません。手兵の北ドイツ放送響ではなく、ウィーン・フィルというのも、カラヤンの振ったモツレクのような意外性と表現力を感じます。

学生の時に巡り合ったきり、ほとんど聞いていなかったイッセルシュテットの指揮。あの時の直感は間違っていなかったと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第1番ハ長調作品21
交響曲第2番ニ長調作品36
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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