かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:サティ ピアノ・ソロ作品全集5

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、サティのピアノ・ソロ作品全集をとりあげていますが、今回はその最後の第5集です。

サティは決してピアニストとして華々しくコンサートを開くとかいう作曲家ではないので、ベートーヴェンほどのヴォリュームがあるわけではありませんが、だからと言って数が少ないというわけではないんですが、一つ一つが小品が多いので、どうしてもCDなどにまとめてしまうと、ベートーヴェンなどよりははるかに 枚数では少なくなるのは仕方ないのかなと思っています。

ところがゆえに、サティには偏見が付きまとっているようにも思えます。ベートーヴェンのような精神性はないだとか、左翼だからその音楽に価値はないだとか。本当にそうですか?

この第5集は、「劇上演用音楽」としてまとめられており、しかもバレエやモダンダンスのための作品が数多く収録されています。これは後期ロマン派の流れを汲んでいますし、舞曲という意味においてはバッハ以来の伝統をしっかりと受け継いでもいます。音楽を届ける対象が変化しただけ、です。

大衆のために、上質な音楽を書くことが悪である、というのは、むしろベートーヴェンを崇めたてる悪弊なのではないでしょうか。ベートーヴェンが甥カールを自殺未遂まで追い込んだことはどこかに行っており、それでも素晴らしい音楽を書き続けたという精神の複雑さに意外と目を向けていないのはベートーヴェンを「楽聖」として神格化している人たちなのではないのでしょうか。

サティは、じっくりと自分の音楽を大衆に向けて書くために磨き上げました。これらの作品は、リズミカルでもあるし、一方で休符や長音の多用もあり、その二つが表現としてサティにとって重要なものであることを示しています。

弾いているティボーデも、味わって弾いている印象を受けます。長音は残響を慈しむように弾きますし、リズミカルな部分も決して急がない。けれども決して長音がそこにあるようには弾きません。当たり前かもしれませんがティボーデもまるでサティに共感するかのように、自分の技術を表現のために使っているのが私もまた共感する部分です。

サティの音楽にもっと早く出会っていたら、私の人生はどれほど変わったろうかと、聴いていて思います・・・・・

 


聴いている音源
エリック・サティ作曲
ナザレびとの前奏曲(1892)
エジネールの前奏曲(1892)
エスピュ(3幕の宗教バレエ)
天国の英雄的な門への前奏曲(1894)
びっくり箱のジャック(1899)
ムッシュ氏の死』への小さなプレリュード(1900)
アンダルシアの歌(『愛を呼び覚まして』のための)(1906)
メデューサの罠』の7つの小さなダンス(1913)
操り人形は踊っている(1913)
真夏の夜の夢』のための5つのしかめ面(1929)(ミヨー編曲)
ラグタイム・バラード(1917)
ジャン=イヴ・ティボーデ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。