かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:イッセルシュテットとウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集4

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズで特集しているイッセルシュテットウィーン・フィルベートーヴェン交響曲全集の第4集です。

第4集には第6番と、二つの序曲が収録されています。時間的にこうならざるをえなかった、ということでしょう。残りは7番から9番、ですから・・・・・

第6番「田園」は、ベートーヴェン交響曲の中でも特段に詩的かつ抒情的です。ロマン派により近い作品だとも言えるでしょう。古典派交響曲の頂点ともいえる第5番と一緒の初演だなんて、信じられないくらいの作品です。

そんな作品を、イッセルシュテットウィーン・フィルの豊潤なサウンドを活かして存分に歌わせています。その美しさと言ったら!

特に、この第6番は歌うことが重要だと思うんです。その視点を一切外さないイッセルシュテットの解釈と、しっかりこたえるウィーン・フィル。いやあ、さすがです。これぞプロ!

ウィーン・フィルなら当たり前かもしれませんが、かといってメジャーオケをどう使って表現するかというイッセルシュテットのタクトもまた素晴らしい芸術です。いいオケを振ればいいサウンドになることは自明の理ですが、それが必ずいい演奏になるかはわかりません。ただ、ウィーン・フィルなら指揮者を無視することもあるので、無能な指揮者の場合でもいい演奏になることもあると言いますが・・・・・

とはいえ、イッセルシュテットの素晴らしいタクトは、ウィーン・フィルという素晴らしいオケを存分に歌わせることで、作品の詩情を十分表現しています。時として第2楽章では楽譜に無いはずのポルタメントもありますがそれもかわいいもの。第3楽章から第5楽章のドラマも緊張感あるもので素晴らしい!

特にこの第6番を聴きますと、島国でありながら山国でもある日本の地勢により、自然災害を念頭に置かずにはいられません。今年は九州の水害、そして2年ほど前は西日本の水害、昨年は首都圏水害と、立て続けに水害が続く日本。そのあとには爪痕が残りつつも、自然自体は平穏を取り戻すという繰り返し。第5楽章のような牧歌的雰囲気は何時くるだろう・・・・・そんな感じです。

ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの村で、目まぐるしく変わる自然を目の当たりにし、英雄的に立ち向かいながらも、己の小ささと自然の偉大さの畏怖の念を感じ、この作品を書くわけですが、コメを主食にする日本人としては、同じように水害が起きるくらいの雨が降ることで、夏の日照りでも水田は枯れずに、秋に実りの穂の収穫となることを考えますと複雑です。しかし、ベートーヴェンが感じたように、英雄的に水害に立ち向かいつつも、己の小ささを感じ自然に対し畏怖の念を感じるように思うのです。

そんな私の「日本人としての感情」を、イッセルシュテットのタクトは思い起こさせてくれているように感じます。

カップリングの二つの序曲も、エグモントは英雄的ですが、「献堂式」は荘厳で、熱くなりすぎず、内省を求められているような感じも素晴らしいまさに「芸術」です。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
「エグモント」序曲 作品84
序曲「献堂式」作品124
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。