かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ヤルヴィとエーテボリ響のシベリウス管弦楽作品集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はネーメ・ヤルヴィとエーテボリ響の演奏によるシベリウス管弦楽作品集を取り上げます。

シベリウスのこの手のアルバムは、じつはもうカラヤン指揮ベルリン・フィルで持っているのですが、たまには別の演奏をと思って借りたのがこのアルバムでした。指揮がヤルヴィですしね。

いわゆる「パパ・ヤルヴィ」はシベリウスの作品の演奏ではむしろカラヤン以上に定評がある指揮者です。私自身もシンパシーを持っている指揮者です。しかもオケがこれまたシベリウス作品の演奏では定評のあるエーテボリ響。

なので、ピン!と来るものが有り、借りたというわけでした。しかもほとんどカラヤン指揮ベルリン・フィルとかぶるというのも、聴き比べにはもってこいです。

カラヤンは外形的だとか言われますが、風景を切り取ったような、晩年のシベリウス作品を降らせたら絶品です。透徹さというか、透明感というか。空気が澄んでいる感じです。ところがです、このヤルヴィとエーテボリ響のコンビは、その透明感や澄んだ空気の中に、しっかりと人間を住まわせているのです。

その最たる演奏が、最終曲の「タピオラ」です。カラヤンでは多少冗長に感じる作品も、ヤルヴィの手にかかりますとなんと生命力溢れていることか!

交響詩には物語性が、20世紀に入る辺りから付与される傾向にありましたが、このシベリウスではさらに顕著です。そこをカラヤンは距離を取ったのですが、ヤルヴィは逆に詰めて、その澄んだ空気だけでゃなくそこに住む人間のドラマまで描いてみせたのです。

それは多分、そもそもシベリウスが作品に内包させていたものでしょうが、ヤルヴィはその「内包されているもの」をしっかりと掬い上げ、ドラマにしてみせました。こんなにこの作品は人間がいたものだったかと、発見できた気がします。

他の作品も演奏は絶品!1曲目の「伝説(エン・サガ)」も饒舌で生き生きとしていますし、2曲目の「春の歌」は、シベリウス作品にこれだけ喜びに満ちた作品があったのか!と目からウロコです。この2つをクルレンツィス指揮ムジカ・エテルナが演奏したら一体どうなるんだろうって思います。クルレンツィスならむしろSWRSOで実現されそうですが。

クレオマは死がテーマですが、決して暗く憂うつなだけではなく、そこにもなにか魂が宿っている感があります。シベリウスというとどうしても「フィンランディア」が取り上げられがちで、カラヤンベルリン・フィルのほうは第1曲目に収録されていますが、このヤルヴィとエーテボリ響では収録されていないんです。これ、あえてだろうと思います。シベリウスの音楽をフィンランディアで見てほしくないという宣言だろうと思います。

実際、シベリウスなのにフィンランディアが入っていないのかと、借りたときに不思議に思ったのです。けれどもそれにはしっかりと理由があると、いまにしてみれば思います。フィンランディアを作曲した後に、いくつもの作品をシベリウスは書いており、その数のほうが多く、かつ、シベリウスは民族独立運動に参加した果に精神をおかしくしてしまいます。その療養として都会から田舎へと引っ込み、ついには田舎で創作活動を行い、さらには死ぬ前に筆を置き、のんびりと暮らしたのでした。

そんなシベリウスの、日本ではあまり知られていない姿を知っている彼らからすれば、フィンランディアを入れないことはむしろ自然なのだと思います。しかも、フィンランディアは民族的作品と捉えられ、挙句の果ては我が国は国家主義者たちにいいように使われている感すらあります。けれどもシベリウス愛国者、つまりパトリオティストであり、決して国家主義者(ナショナリスト)ではないんです。しかも、パトリオティストとしての顔は交響曲第2番を書いたあたりで終わっており、むしろその後のいろんな軋轢の中で悩み苦しむ姿が作品に投影されているのです。

シベリウス作品のそんな特徴が、フィンランディアを取り上げてしまうと薄れてしまう、そんな危機感を持っても不思議はないと思います。例えば、下手にフィンランディアを取り上げてしまうと、クッレルヴォ交響曲の本質がわからなくなる可能性があります。その真価が忘れられる可能性すらあります。さすが、本場のオケと指揮者だと思います。こういった日本人だとついこれこれは入っていないとなあと思ってしまうものをあえて外すことで、シベリウス作品の真の魅力に気づくことができるのは、本当に幸せだと思います。




聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響詩「伝説(エン・サガ)」作品9
交響詩「春の歌」作品16
劇音楽「クレオマ(死)」から
 悲しきワルツ 作品44-1
 鶴のいる情景 作品44-2
 カンツォネッタ 作品62a
 ロマンティックなワルツ 作品62b
交響詩「吟遊詩人」作品64
交響詩「タピオラ」作品112
ネーメ・ヤルヴィ指揮
エーテボリ交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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