かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:山田耕筰の管弦楽作品集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。今回は山田耕筰管弦楽作品集のアルバムです。

これは一連の山田耕筰の作品を復刻するシリーズのもので、ナクソスとは別のものです。当時の日本のクラシック音楽のレベルが言われているほど低くないことを証明したアルバムだと思います。演奏するは、ドミトリー・リス指揮ウラル・フィルハーモニー管弦楽団

日本の戦前の作品の演奏に、ロシア圏のオケは親和性があるなあって思います。ある意味近い存在だからかもしれませんが・・・・・

それとです、こんな作品を演奏するとなると、日本のオケじゃないほうがいいという側面もあります。CDには記載がなかったように思うのですが、調べてみるとこの演奏は1996年にオケが来日したときに東京文化会館で収録されているそうです。

で、今回ご紹介するアルバムはです、じつは収録曲がアレなんです。アレじゃわからん!って?ええ、そうですね、でははっきりいいましょう、戦前如何に山田耕筰が戦争に加担していたかを表す作品たち、なんです。

第1曲目の「神風」と第2曲めの「新しき土」はともに1930年代後半から40年にかけての作品で、特に「新しき土」は思いっきりプロパガンダ映画の映画音楽なのです。

新しき土
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%8D%E5%9C%9F

とはいえ、音楽は確かにすばらしいものです。もっと評価すべきだと私も思います。しかし一方で、私はこのような意見ももっともであり、むしろこのエントリのほうを評価するものです。

戦争がつくりだした「音楽」
http://www.geocities.jp/ongk_sen/sasaki/sensouga.htm

まあ、あまりにも山田耕筰を攻撃するのもなって思います。天皇を退位させなかなったのはアメリカの意向でもありますしね。だって、戦後民主主義の時代ならば、天皇と関係なく自分の問題を問えたはずなのですから。ただ、誰もその先鞭をつけようとしない。ならそんな面倒くさいことをやるはずなどないからです。

やはり、権力に近い人達が潔くするべきだったと思います。それも一部の人たちを人身御供にして生き残った・・・・・なら、私も責任は取らないよというのは、最もなことだと私は思います。だからこそ責任を問い続けることが必要なのであって、ただ単に攻撃し続けるのでは意味がないと思います。

だって、作品は本当にすばらしいんですから。それだけの才能を山田耕筰は持っていたということなんです。それを権力側がほうっておくわけがありません。社会主義になりたてのソ連ショスタコーヴィチという才能を放って置かなかったのと同じです。そして下手すれば、山田耕筰ショスタコが2度背負った批判の十字架を背負うことにもなりかねなかったのですから。

だから私は比較的山田耕筰には温情的です。しかし、上記エントリの筆者の意見が間違っているとは思いません。確かに戦前日本は病的だったんですから。それは史実です。その病的な部分を正当化するために、日本政府は山田耕筰を散々利用したし、山田耕筰自身も自らの芸術の発表の場として、政府からの依頼をさんざん利用もしたわけ、なのです。

そんな背景をしれば、なるほど、ロシア圏のオケと親和性があるのはよく分かるなあって思います。彼らに「ショスタコーヴィチに似た人だった」といえば、共鳴する部分もあると私は思います。だからこその美しさだったり、素直さが演奏からは伝わってきます。

もっと山田耕筰はバランスよく説明されるべきだと思います。才能は豊かだった人だったが、時代がそれをあまりいい方向に使わせなかった、と。だから戦争を賛美したり、加担する作品も多く書いた、と。

なので、わたし自身は片山氏をそれほど批判はしません。彼は彼で日本の作曲家が如何に才能豊かだったかをしっかりと世に知らしめたのですから。ただ、あまりにも提灯的なのはどうなの?ってだけです。ここに収録されている作品たちは本当に美しんですが一方であまり感動もしません。それは私自身が戦後民主主義の時代を生きた人だからかもしれませんが、とは言え私自身も愛国心がある人です。なのに、あまり感動をすることがないんです。まあ。いいよねってだけです・・・・・

むしろ、2曲めの「明治頒歌」のほうがどちらかといえば共感できます。作曲がまだそれほど国家主義に傾向ていない1921年の作曲だからかもしれません。でも、どこか距離感もあるんですよね。ほんわかしたものはありますが、それ以上の何かは感じられないんです。それでもいいというのなら聞く意味もあるかもしれませんが・・・・・

他の作品のほうが、私は山田耕筰を素直に評価できるかもなあって思います。こんな作品ばかりではないですし、それに、こんな作品を書かねば、特に第1曲と第3曲が作曲された時代は、捕まって命の保証すらないって時代です。そんな時代にあらがって書けるはずもないですし、また戦後すぐだっていわゆる特高に居た人たちが生きている中で、いくら世の中が変わったとはいえ、心理的に自分の行動を反省できるのかって思います。そんな安全な場所とは、戦後すぐの日本はなかったのではないかと思います。そんな恐れと不安が入り交じる中で、あなたのやったことを反省すべきだと言って、できるとは思えないんですよね。

それを山田は、その後の創作でやるしかなかった・・・・・というよりも、結局戦前とおなじ様に、民主的になったからそれに合う作品を、というだけだったんだと思います。その点で、山田の才能が自身の魂のレヴェルでの発露というのが少ないという点が本当に残念だと思います。ウラル・フィルが素晴らしく演奏すればするほど、その「魂が抜けた状態」が顕著になるなあと思う点で、この演奏は本当に素晴らしいと思います。




聴いている音源
山田耕作作曲
交響詩「神風」
交響曲「明治頌歌」
「新しき土」組曲
ドミトリー・リス指揮
ウラル・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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