かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ケルビーニ ミサ曲集4

今月のお買いもの、平成27年7月に購入したものをご紹介しています。今回はその第4集を取り上げます。ついに、レクイエム ハ短調の登場です。

遂に、という表現を使いましたが、ケルビーニのミサ曲で最も有名なのが、おそらくこのレクイエム ハ短調であろうと思います。実際、10年ほど前、アマチュア合唱団である横響合唱団も取り上げた作品です。

そして、その練習に私も参加したことがあることから、以前レファレンスで買ったことがあるのが、このレクイエムハ短調なのです。ですから、「マイ・コレクション」のコーナーで一度取り上げている作品でもあります。

マイ・コレクション:ケルビーニのレクイエム
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1020

この作品は、ベルリオーズが讃えていますが、実はフランス革命で断頭台に散った、ルイ16世をしのんで、1816年に作曲されています。

で、ケルビーニの人生を紐解いてみますと、実はこの作品の成立には、かなり複雑な当時の社会情勢があることが分かります。

ルイジ・ケルビーニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B

独立心が強いはずのケルビーニが、何故かフランス王宮と仲がいいのですよねえ。ただ、それは不思議なことではありません。ベートーヴェンですら、貴族を嫌ったわけではなく、貴族に隷属することを嫌っただけなのです。

そこを理解しないと、この作品がなぜ成立しえたのかを判らずに、毛嫌いする場合もあるのだろうなあと思います。

さて、さらにフランスの2人の王、この作品で悼まれているルイ16世と、作曲された当時の王ルイ18世がどんな人で、その治世はどんなものだったのか、ウィキで申し訳ないですが端的にみていきましょう。

ルイ16世 (フランス王)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A416%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

ルイ18世 (フランス王)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A418%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

私達は、つい短絡的に悪王と考えてしまいますが、実はそうでもないわけです。ただ、不満のはけ口だったり、その時の状況によってその王が殺されなければどうしようもない状況があったがために、死ななくてはならなかったという事を、知るほうがいいのではと思います。

ルイ16世は、その優柔不断さが、死に至らしめた原因だと言ってもいいかもしれません。あるタイミングまでは決して民衆にとって敵と認識されていたわけでは無かったにもかかわらず、結局民衆をつぶそうとした貴族に対して、半ば見せしめ的に死に至らざるを得なかったと言えるでしょう。

となると、ケルビーニがこのレクイエムを作曲した理由が、何となくおぼろげながら見えてくるような気がします。つまり、本来ならば追放程度でも済んだはずが、「新しい時代」によって、その身が亡びないとどうにもならない状況となった一人の人間を悼んで、とは考えられないでしょうか。

特に、「怒りの日」は、最初にトランペットのファンファーレがありますが、まるで死刑執行のような趣さえあります。そういえば、その怒りの日は、レクイエムを絶賛したベルリオーズが作曲した「幻想交響曲」の「断頭台への行進」を彷彿とさせるのですが・・・・・

ベートーヴェンが、ミサ・ソレムニスをケルビーニを尊敬して作曲したのだとすれば、ベルリオーズもケルビーニのこのレクイエムを念頭に、「断頭台への行進」を作曲したとしても、不思議はないなあと私は思っています。このレクイエムは、おそらく私達日本人のクラシック・ファンが思っている以上に、音楽史の上では重要な作品のように思われます。

私が以前立てたエントリでご紹介したファソリスよりも、ムーティはロマンティックに演奏しています。この作品も19世紀の作品ですし、そういえば、ベートーヴェンの第九よりも7年前に作曲されているという点からすれば、ロマン派的に演奏しても、或は古典派的に演奏しても可なのだということを、二つの音源からははっきりと見て取れます。政治だけではなく、文化的に、そして音楽史においても過渡期に活躍したのがケルビーニだったのだということを、はっきりと認識させられます。

もっと詳しく言いますと、アニュス・デイをムーティは慟哭としてとらえ、演奏しているのですが、ファソリスは哀しみとして演奏していると言えるでしょう。その違いは、この作品を古典派としてとらえるか、それともロマン派としてとらえるかの違いでしょうが、しかし、どちらであってもそん色はないのだということを、はっきりと教えてくれます。それはとりもなおさず、ケルビーニが「人間・ルイ16世」を、同じ人間として悼んで作曲しているという証明のように思われるのですが・・・・・

読者の皆さまは、果たしてどう感じるでしょうか。3大レクイエムの中では、モーツァルトヴェルディの間に入ってしまう作品ですが、私はその存在感が半端ないように思われます。真っ直ぐ、ベルリオーズのレクイエムにもつながっているような気すらします。あるいは、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとも・・・・・

サンクトゥスとベネディクトゥスの「オザンナ」が同じようで異なるなど、その後のロマン派の作曲家に与えた影響は、大きいように思われます。アンプロジアン合唱団も力強くかつ軽めの発声で、その美しさと内包する哀しみと慟哭を、鮮明に表現しているように思います。

カップリングのエリザ序曲と王女メディア序曲は、古典的な作品でありながら、ロマンティックさもある作品で、まさしくレクイエム同様に、ケルビーニという作曲家が生きた時代を教えてくれていますし、また最後の「王女メディア」からのアリアは、マリア・カラスですが、ケルビーニが基本的に古典派であるということを、その力強く美しい声で教えてくれます。この最後の曲だけはモノラルだと思うのですが、さすがマリア・カラス。録音状態がいいからかもしれませんが、全く遜色ありません。マリナーとセラフィンの指揮もさえていますし、この第4集はどんな指揮者が振っても、ケルビーニという作曲家の生きた「」時代」というものが出るものなのだという事を、教えてくれているように思います。




聴いているCD
ルイジ・ケルビーニ作曲
レクイエム ハ短調
オペラ「エリザ」序曲

オペラ「王女メディア」より
序曲
アリア「あなたの子どもたちの母親は」
マリア・カラス(ソプラノ、「王女メディア」)
アンプロジアン合唱団(合唱指揮:ジョン・マッカーシー、レクイエム)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー(「エリザ」「王女メディア」序曲)
トゥーリオ・セラフィン指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団(「あなたの子どもたちの母親は」」
(EMI 6 29472 2-4)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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