かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ケルビーニ ミサ曲集7

今月のお買いもの、平成27年ディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ケルビーニのミサ曲集を取り上げていますが、今回はその第7集を取り上げます。

ようやく最後の巻まできたのですが、その最後に収録されているのが、もう一つのレクイエム ニ短調です。

作曲は1836年。ケルビーニとしては最晩年と言っていいでしょう。この作品はこの作曲時期が、注目なのです。何故なら、この作品は、男声合唱だから、なんです。

え、どうしてですか?と突っ込まれる方もいらっしゃるかと思います。1836年と言えば、音楽史では完全に前期ロマン派です。ケルビーニの音楽は、完全に時代遅れとなりつつあった時代です。

しかし、時代的にはメンデルスゾーンなどがバッハ再興運動をしていたこともあり、ケルビーニの音楽が完全に忘れられるということはかろうじて避けられていたと言えるでしょう。それがウィキの項目でもあるように、オペラ「王女メディア(メテア)」が時として上演されるという事にもつながっていると思われます。

ルイジ・ケルビーニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B

では、なぜ作曲時期がと言うのかと言えば、前期ロマン派ですから、音楽的には市民革命を経たものになっていくわけです。男声だけ、ということがなくなっていきます。バッハの時代から男声だけということは無くなっていたわけですが、実はこの作品、混声合唱にいちゃもんをつけられて作曲されたものだからなのです。

1834年、ケルビーニの子弟であり友人だったボイエルデューが亡くなります。その葬儀で演奏されたのが、既にご紹介しているケルビーニのレクイエム ハ短調でした。

フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC

ウィキでは単にレクイエムとだけ記載がありますが、ブックレットでははっきりとハ短調とあります。混声合唱ともありますのでブックレットによればルイ16世を悼んで作曲されたハ短調レクイエムであることは明白です。

ところが、このボイエルデューの葬儀で、パリ大主教いちゃもんをつけるのです。「混声合唱とは何事か!」と。

では、どうしろと?と現在の私達なら思うじゃないですか。ただ、ケルビーニは当時の伝統にも詳しかった人です。すぐさま、男声合唱のレクイエムを作曲することにしたのです。

そもそも、教会音楽では、女声が入らないんです。ですから、バッハの時代でもアルトは男声が担当したわけです。実はBCJですら当時そのままというわけではないんですね。限りなく当時に近いという団体であるわけです。ただ、バッハの場合はプロテスタントという宗派であったことが、編成にも反映されているわけです。

ケルビーニの場合、カトリックです。ある時期まで男性至上主義なんですね。となると、面白いことが浮かび上がってきます。ハイドンモーツァルトも、そしてベートーヴェンもミサ曲を作曲していますが、殆ど女声が入っていますよね?これはまさに、市民革命の動きに呼応したものであるということが分かるわけです。男女平等というところまでは行きませんが、男女が共に歌うというところまで行っているわけです。

これを、当時の教会が必ずしも快く思っていないことが、このケルビーニのミサ曲で浮かび上がってくるわけです。それは音楽史を俯瞰しないと理解できません。これを作曲したケルビーニの想いやいかに?と思います。

では、これはやっつけ仕事かと言えばそうでもなく、第6集のミサ・ソレムニスよりは内面からの悲嘆が存分に表現されています。男声ならではの力強さというものも、ここぞと言うときに思い切り使っていると言えましょう。例えば、怒りの日などは圧巻です。

その意味では、いちゃもんをつけられたケルビーニの、反骨精神がこの作品には反映されていると言えるかと思います。はい、では男声のみで作曲してみましたが、何か?というわけです。ケルビーニのこういった音楽性は、確かにベートーヴェンはリスペクトすることでしょう。ただ、この作品が作曲された時には、すでにベートーヴェンすら故人でしたが、もしベートーヴェンが生きていて聴いたとすれば、どんな評をするのだろうかと、ワクワクします。

合唱団はアンプロジアン・シンガーズ。男声のその豊潤な響きはさすがプロですし、だからこそ力任せにはならないのですね。男声合唱と言えばかつてNコンでさんざんけちょんけちょんに言われたものですが、是非とも男声合唱で頑張っている学校はこのケルビーニに挑戦してほしいものです。で、ぎゃふんと言わせてほしい!選曲が悪いだけで、男声合唱は素晴らしいんだ、と。実際、アンプロジアン・シンガーズが証明しています。

ムーティはオケに徹底的にサポートに回らせていますし、だからと言って出ることろは出ています。素晴らしいアンサンブル!男声合唱だからと言って手を抜くことは一切ありません(当然ですが)。いい仕事してますねえ。

カップリングは一つは演奏会序曲。古典派らしい明快でかつオペラ作曲家ケルビーニらしいドラマティックな作品です。そしてもう一つが、ケルビーニの革新性と言えるソナタ第2番ヘ長調です。何故なら、ホルンと弦楽のための、だからです。

ソナタと言えば、基本的には室内楽で、ピアノとのアンサンブルであると以前解説したかと思いますが、その基本を破っているわけです。むしろバロックに還ったとも言えるこの編成は、ケルビーニがその後の作曲家たちに与えた影響の大きさを物語る作品だと思います。かといって、音楽的には古典派あるいは前期ロマン派的なものが鳴っており、編成だけで見ますと見間違えますのでご注意を。つまり、バロックに範をとりながら音楽的には新しいものを作っていくというのは、古典派でも前期ロマン派同様であったと言えますし、この古典派の動きを前期ロマン派が引き継いだと言えるでしょう。

1804年に作曲されたこのソナタは、ポリフォニックであり、まさしく古典派ですが、編成はバロック。で、作曲時期は19世紀、であるわけです。こういった作品は、その後の前期ロマン派の音楽を理解するのに、とても重要であると思います。レクイエムだけではなく必聴の作品ではないかなあと思います。この二つの作品はマリナー指揮聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー。特にソナタの軽さは、この作品の革新性を存分に伝えていますし、それには室内オケであるアカデミーがぴったりだと思います。編集者のセンスの良さが光る一枚だと思います。




聴いているCD
ルイジ・ケルビーニ作曲
レクイエム ニ短調
演奏会序曲
ホルンと弦楽合奏のためのソナタ ホ長調
バリー・タックウェル(ホルン)
アンプロジアン・シンガーズ(レクイエム、合唱指揮:ジョン・マッカーシー
リッカルド・ムーティ指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(レクイエム)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー(序曲、ソナタ
(EMI 6029475 2-7)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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