かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ケルビーニ ミサ曲集6

今月のお買いもの、ディスクユニオン新宿クラシック館で購入しました、ケルビーニのミサ曲集を取り上げていますが、今回はその第6集を取り上げます。

第6集では、シャルル10世戴冠式のためのミサ・ソレムニスが収録され、幾つかの序曲と管弦楽曲が収録されています。

まず、メインのミサ曲である、シャルル10世戴冠式のためのミサ・ソレムニス イ長調ですが、1825年に作曲され、その年の4月29日、ランス大聖堂で初演されました。

このランス大聖堂とは、代々のブルボン王家の王が戴冠式を行った場所で、同じシャルル10世に対しては、ロッシーニがオペラ「ランスへの旅」を書いています。

ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E3%80%81%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E7%99%BE%E5%90%88%E5%92%B2%E3%81%8F%E5%AE%BF

Reims (ランス)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~nayo/france/reims.htm

それにしてもです、フランス宮廷作曲家だったケルビーニのこのミサ曲はそれほど有名ではなく、ロッシーニのオペラのほうが有名というのは、現代という時代を感じさせるように思います。民主主義と、オペラとが全盛である現代においては、仕方ないのかもしれません。何せ、シャルル10世とは、正に反動政治を行った人だったからです。

シャルル10世 (フランス王)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB10%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

ケルビーニとしては、仕事として書いたのでしょうが、さてどんな気持ちだったのでしょうか・・・・・前作のルイ18世のためのミサ・ソレムニスと比べても確かに遜色なく劇的なのですが、それこそ、ショスタコの第5番のような、強制された喜びを感じるのです・・・・・

クレドの、エト・レジュレクシットの部分で、オケが突然ファンファーレを鳴らすのですが、本当にいきなりすぎて、オケと合唱のバランスが崩れているなと思います。それは録音のせいかもしれませんが、合唱団の実力はフィルハーモニアなのでそれほどロンドン・フィル唱と異なるとは思えません。だとすると、やはりそれはスコアに原因があろうと思います。

そこから、私はこの作品からはケルビーニの「仕方なさ」感を受け取るのですね〜。しょうがないなあ、と。

それと、この作品が初演される2年前に、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスが完成され、前年の1824年にウィーン初演されています。そういった部分もこの作品にはあったのかもしれません。壮麗さと壮大さが前面に打ち出されています。が、どこかルイ18世の時と比べると、情熱を感じないのですね・・・・・

喜びが伝わってこないのです。恐れと不安ばかりが伝わってきます。当たり障りのない表現にしておこう、取りあえず、ベートーヴェンのを参考にして・・・・・なーんて。

このボックスで、なんだか仕方なし感を感じた作品はこれが初めてです。確かに壮麗ですし、壮大なのですが、なんだか、どこかにひれ伏したというか、自我がどこかに行ってしまったというか、そんな気がします。

演奏が素晴らしいだけに、それが猶更際だつのでしょう。どこをとっても美しいアンサンブルだからこそ、その奥に潜んでいるケルビーニの本心が見えてしまうような気がします。それを必死に心の内に隠している、という感じです。

対称的なのが、二つのオペラの序曲です。「ファニスカ」序曲と「アベンセラージュ、またはグレナダの軍旗」序曲は生き生きとしていて、まさしくケルビーニの非凡さを感じる作品たちです。もう一つの管弦楽作品である修道女行進曲も、ミサ曲よりは喜びが伝わってきます。

オケと合唱はフィルハーモニアです。下手だからとかそういう言い訳はできないですし、一時期フィルハーモニアは駄目だったでしょ?というのもなんだかなあと思います。それを言うなら、二つの序曲は聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミーですし。オペラのオケとしてはどうかってことになってしまいます。しかし、ともに何ら問題を見出すことは出来ません。

となると、作品自体にやはり原因があるとしか結論付けることは出来ません。宮廷側から、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの様な作品をと言われて、作曲したのかと推測することができますし、私はそう思っています。それはまさに、ショスタコーヴィチ交響曲第9番を作曲した時に当局から「ベートーヴェンの第九のような作品を」と言われたのと似たケースだろうと思います。ただ、二人の紡ぎだした作品は異なる方向になりました。

ケルビーニはとにかく当たり障りのないように。そしてショスタコは、「あっかんべー」したのでした。その差を考えるのも、現代日本においてとても示唆的であると思います。

勿論、グローリアなどは素晴らしいのですけどね。でも、それでも、短調の部分に、ケルビーニが感じていた王の「前時代性」を見出すことができるように思いますし、オケと合唱団はそれを十分に表現していると思います。ルイ18世の時と同じく、ソリストがいない聖歌隊によって演奏されることを念頭に置いているこのイ長調ミサは、もしかするとルイ18世の時同様モーツァルト・リスペクトだけれども、その意味合いはかなりネガティブなのかもしれません。




聴いているCD
ルイジ・ケルビーニ作曲
シャルル10世戴冠式のためのミサ・ソレムニス イ長調
修道女行進曲
オペラ「ファニスカ」序曲
オペラ「アベンセラージュ、またはグレナダの軍旗」序曲
リッカルド・ムーティ指揮
フィルハーモニア管弦楽団、合唱団(合唱指揮:ロベルト・ベナーリョ、ミサ、修道女行進曲)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー(序曲)
(EMI 6 29474 2-6)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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