かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ケルビーニ ミサ曲集5

今月のお買いもの、平成27年7月にディスクユニオン新宿クラシック館にて購入した、ケルビーニのミサ曲集をご紹介していますが、今回はその第5集を取り上げます。

第5集は、ミサ・ソレムニス ト長調が収録されています。実は、この作品はルイ18世の戴冠を記念して、1819年に作曲されました。

ルイジ・ケルビーニ
主な作品
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8B#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E4.BD.9C.E5.93.81

ミサ曲の部分で「ルイ18世戴冠式のための荘厳ミサ曲 ト長調」とあるのがそれです。つまり、フランスの王政復古の時代に書かれた作品であると言えます。

ただ、この作品の特徴は実はそこではありません。ブックレットでも触れられていないのですが・・・・・実はこの作品、ソリストが出てこないのです。

始め、パッケージを見た時に、こりゃあ間違いじゃないの?ソリストいるでしょ?と思ったのですが、どう見ても記載はありません。ブックレットにもありません。ということは、ソリストがおらずオケと合唱だけという事を示します。

つまり、この作品は聖歌隊が歌うことを前提にしているなあ・・・・・あれ、これって、どこかで見たぞ・・・・・

で、以前、私はそういった作品をしっかり取り上げております。モーツァルトの「三位一体主日のミサ」です。

モーツァルト ミサ曲 ハ長調K.167「聖三位一体の祝日のミサ」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/175

これは偶然でしょうか、このモーツァルトの作品もミサ曲、つまり「ミサ・ソレムニス」なのです。それも、コロレド神父の課題に基づき、45分以内。

そして、このケルビーニのト長調も、実は45分ほどなのです。以内とまでは行きませんが、ほぼ45分です。カノンの多用など、古風でもあり、それはモーツァルトをまさしく彷彿とさせるものです。

ルイ18世の治世では、ケルビーニは宮廷作曲家だったわけですから、戴冠式のために曲を書くことは別段不自然ではありませんから、聖歌隊を使うことを前提としたのは理解できます。その上で、様式までモーツァルトをまねているわけです。

その上で、実は音楽は古典派〜前期ロマン派風のものが鳴っているのです。これは素晴らしい作品だなあと思います。形式的にはモーツァルトのミサ・ブレヴィスやミサ・ソレムニスを彷彿とさせるのに、実際にはロマン派の香りすらあるわけですから。

古風な中に、しっかりと時代を感じさせるものもある・・・・・ケルビーニがルイ18世の即位に込めた想いが伝わってくるのは私だけなのでしょうか。

ルイ18世 (フランス王)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A418%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

ただ、歴史上では、残念な結果になったわけです・・・・・しかしこの作品では、その後絶対王政による抑圧などを知る由もなく、喜びに満ちたものとなっています。

モーツァルトの様式をもってきたという点に復古王政が重なりますし、その上で当時の音楽が鳴るというのは、即位後しばらくの間の労働者や農民などの下層階級に対しても穏和な政策を取ったことからして、その期待というものが透けて見えます。つまり、ケルビーニはレクイエム ハ短調で悼んだルイ16世のような治世を望んでいた、と言えましょう。

演奏は、特に合唱団が秀逸です。ロンドン・フィルハーモニー合唱団は様々な録音を残していますが、本当に力任せではないんですよね〜。旧西側の合唱団は、ストレートに発声するのではなくて、多少ビブラートさせることが多いのですが、この演奏ではあまりそれを感じさせません。素直な発声が聴こえてきます。その上で、力強いのです。

それがどんな効果を作り出しているかと言えば、喜び、です。高音部が多用されている部分では、ホールを満たさんばかりの音量が、ステレオを絞っても聴こえてきます。その上で、だからと言って音が飛び出てくるようなことがなく、聴いていて疲れないのです。

それは勿論、合唱団が優れていることを示しているわけですが、だからと言ってこれは簡単ではないんですよ、本当に。どうしても周りに引っ張られて、頑張ってしまいかねないのですが、その中でその「張り切ろう」という自我を折って、アンサンブルできるかが、素晴らしい合唱団の素質なのです。

その上で、個々人が他者に遠慮せずに発声する・・・・・それが、オケとアンサンブルする、できる合唱団なのです。ロンドン・フィル唱はまさしく、出来ている合唱団だと言えます。

合唱とは、決して自分を殺して周りとアンサンブルする芸術ではありません。自分の存在感を示しながら、周りとアンサンブルする芸術なのです。ここは行っていい?ここはだめ?と周りの音を聴きながらアンサンブルする芸術です。

絶対に「空気を読んで」アンサンブルする芸術でもありません。空気を読んでしまうと、極端に走ってしまうからです。このロンドン・フィル唱のアンサンブルは、決して音がとび出すことがない、つまり、極端に走ってしまったわけではないのです。個々人が自分を出しつつ、全体がまとまっている、素晴らしい演奏なのです。それが自然と、喜びが表現できていることにつながっています。

それは、現代日本を強烈に批判している演奏かも知れません・・・・・

カップリングの3つの序曲は、いづれもケルビーニの代表作ですが、どれも古典派という音楽です。この第5集では古風な作品が並んでいますが、実は「ポルトガルのホテル」と「二日間、または水の運搬人」は18世紀末の作品ですし、「アナクレオン」は19世紀です。まさしくベートーヴェンと同じ時代の作品が並んでいるわけで、古風なのは当たり前なのに、「二日間、または水の運搬人」は小さなドゥ・ラ・フォワール・サン=ジェルマン座で演奏せざるを得なかったということは、この作品がいかに当時先進的であったかを物語るエピソードでもある訳です。

もう一度、ウィキのモーツァルトの項目を挙げておきましょう。そこで気づくのは、実はケルビーニよりもモーツァルトのほうが4つ年上であるという事なのです。

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88

ケルビーニは、モーツァルトの先進性の理解者であったわけですから、この第5集に収められたト長調ミサはまさしく「モーツァルト・リスペクト」だと言えますし、また、カップリングのオペラ序曲は、同じ時代のベートーヴェンや、前期ロマン派の作曲家たちに影響を与えたと言えるでしょう。そのケルビーニの時代ゆえの音楽的立ち位置が、これらの収録作品からは見えてきます。3つの序曲の演奏は代わって聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミーですが、室内オケでも全く遜色ないということは、この作品が小さな劇場で演奏されることを前提に作曲されていることを明確に示しているわけで、それでも、劇的なテクストが湧き上がってくるのは、ケルビーニの非凡さを演奏で明確に示していると言えるでしょう。




聴いているCD
ルイジ・ケルビーニ作曲
ミサ・ソレムニス ト長調
オペラ「ポルトガルのホテル」序曲
オペラ「二日間、または水の運搬人」序曲
オペラ「アナクレオン、または逃亡者の愛」序曲
ロンドン・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:リチャード・コーク)
リッカルド・ムーティ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団ト長調ミサ)
サー・ネヴィル・マリナー指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー(序曲集)
(EMI 6 29473 2-5)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。





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