かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:280年ぶりによみがえった結婚カンタータ

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はバッハの世俗カンタータを取り上げます。280年ぶりによみがえった結婚カンタータです。

じつはこの音源、借りた当時CDを買おうかと思っていたものなのです。ちょうどいいタイミングで図書館で見つけたので、借りてリッピングすることにしたのです。

本来はこういったものはCDで持っておく派なんですけれど、ちょうどいろんなものに興味があったため、優先順位づけで借りることにしたのです。お金は有限ですからね・・・・・

さて、280年ぶりによみがえった結婚カンタータとは、BWV216「満ち足りたプライセの町(都という場合もあります)よ」のことを指します。このカンタータは1728年の初演の後総譜が失われ、声楽スコアの存在が知られていて、バッハ事典(東京書籍)でもそのように記述があり、しかし「行方不明」という事になっていました。

ところが、それが2004年に再発見されたのです。場所は、ドイツかと思いきや、何と日本だったのです。

《満ち足りたプライセの町》 BWV216 オリジナル・パート譜ファクシミリ
http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/80015/

経緯は上記ページほうで確認していただきたいのですが、実際の演奏もこれに基づき、復元されています。

ちょうどこの音源を借りた時期、私もBCJで教会カンタータを追っていたわけですが、当然世俗カンタータへの興味は以前からあります。少なくとも、BCJの教会カンタータ全曲演奏シリーズを追っかけると決めた時から、世俗カンタータへの興味も持っていました。

ところが、BCJで持つとなると、かなーり先になるなと思ったのです。そこで、思い切ってBCJ以外の演奏を借りる決心をしたのです。じつは、帯などから当然、復元には磯山先生などが関わっていることをつかんでいましたから、信用置ける復元であると判断したのです。

基本的には世俗カンタータのアルバムになるのですが、まずはBWV216に焦点を当てましょう。復元に当って当事者たちが傾注したのは、コンティヌオ、つまり伴奏の部分です。声楽のパート譜しかないということは、つまりはそれを楽器で演奏するための楽譜が存在しないということを意味します。

カンタータが声楽だけというのはありませんから、当然器楽演奏が入るわけですが、その楽譜がないことには、復元演奏は出来ないわけです。さて、どうするのか・・・・・

様々な情報をまとめて簡単に説明すれば、実はこの時代の作曲というのは、まず基本となる低音部を決め、それに和音を付けていくというものなのです。であれば、声楽部から推測が可能になるんですね。100%完全ではないけれど、当らずとも遠からずというものは出来上がるわけです。しかも、担当したのはその道のオーソリティたち。

ですから、作品を聴きますと、殆ど遜色ない音楽がそこに存在します。しかも、そもそも器楽部分も完全に失われたわけではなく、第3曲と第7曲は他に転用されているので、ほぼ完全な形を保っています。ですから、その他の部分が復元できてしまえば、全体としては遜色ないものが出来上がるわけです。

バロックの作品というのは、このような復元が可能である点も特徴なのです。それでは、画一的なものしかないのかと言えば、そんなことがないわけで、さらには編曲まであって、多種多様です。それがバロックの音楽なのです。その魅力にはまりますと、これまた楽しいのです^^

勿論、この曲はBCJでも聴きたいと思っています。丁度BCJ世俗カンタータの全曲演奏に踏み出したところですし、鈴木雅明氏であればどう復元し、どう解釈するのかが楽しみです。

2曲目はBWV210「おお佳き日、待ちこがれた時よ」BWV210です。BWV216も結婚式用で、当人二人をそれぞれの出身都市を流れる川を擬人化してなぞらえていましたが、この第210番では当人がバッハの庇護者であったため、バッハの音楽を愛するようお願いをするという内容になっています。そこにバッハと庇護者との間の関係性が窺え、バッハの人柄すら滲み出る、暖かい作品となっています。

完成されたのはBWV216よりも遅く1738年〜1741年と、バッハ晩年となっています。すでに教会カンタータも殆ど使いまわしをしている中で、この作品も旧作を転用した模様ですが、その原形をとどめていません。恐らく演奏するときに大改訂を行い、その後使われることがないほどであったと想像されます。

指揮は第216番の復元も担当したリフキン。オケはソリスト集団であるバッハ・コンチェルティーノ大阪。基本的にはBCJのような編成なのですが、合唱重視ではなく器楽重視の団体です。合唱は重唱でというのがこの団体の主旨であり、この音源では合唱ではなくまさしくソリストが一人ないし二人なので、オケはわずか8人。しかし、それがバッハの時代普通であったと言う解釈なのです。つまり、BCJすら多いという見解です。

それが正しいのかと言われれば、さてどうでしょうというところですが、決して嘘でもないと思っています。教会カンタータの中には確かに小編成のものもあるためです。実際BCJの演奏でも編成を小さくしてということもあるため、この趣旨が間違っているとは思いません。ただ、この団体でマタイを聴いてみたいという希望はあります。少なくともバッハの時代の常設オケなどは、室内楽程度しかないことは史実ですから、問題はその編成をどこまで小さく、或は大きく見積もるのかという点に集約されるのです。BCJヘンデルも含めたバロック時代全般を見据え、さらには前古典派までを視野に入れていますから編成は比較的大きめです。一方バッハ・コンチェルティーノ大阪は基本的に一般的なバロック期の編成を考えていますから、小さいというのは特段おかしな話ではありません。そんなものです。

モーツァルトの時代ですら、もう少し大きくちょうどBCJくらいなのです(ですから毎度言いますが、ガーディナーのオケの編成はロマン派の編成を時代楽器にしたものなので大きすぎるのです)。その編成でマタイのような大規模な演奏をすることが出来るのか。するとすれば編成は何処まで大きくするのか。それはBCJと比べてはどうなのかは見ものです。

この二つの作品は結婚式用です。であれば、オケ8名のソリストという編成は、適当であると言えましょう。どちらの作品も裕福な家の結婚式ではありますが、かと言ってキャパシティの問題としてそれほど大きな編成が採れるかと言えば無理だと言えるでしょう。それに結婚式、もっと言えば披露宴です。そういった宴席は宗教儀式ではありません。ですから大規模な編成(それ自体が神への賛美を意味します)が採用される可能性はほとんど0です。ですから、この編成は適当であるとすらいえましょう。だとすると、今当然世俗カンタータシリーズを行っているBCJがどんな編成を取るのかがまた楽しみなのです。こういった材料を私達聴衆に与えてくれています。

実際に聴きますと、全く遜色ありません。人数が少ないからと言って問題がある訳でもなく、アンサンブルのバランスは適度ですし、それでいて豊潤な色彩すらあり、一方で抜けるような青空が演出されてもいます。明るさが全体を貫き通されているこの演奏は、バッハの音楽を聴く私たちに一石を投じた、素晴らしいものであると言えましょう。




聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第216番「満たされたプライセの町よ」BWV216(復元世界初演
カンタータ第210番「おお佳き日、待ちこがれた時よ」BWV210
ズザンネ・リュデーン(ソプラノ、BWV216)
佐竹由美(ソプラノ、BWV210)
マリアンネ・ベアーテ・キーラント(アルト、BWV216)
ジョシュア・リフキン指揮、チェンバロ
バッハ・コンチェルティーノ大阪

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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