かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ウィリアム・シューマン 交響曲第3番と第5番他

今月のお買いもの、8月に購入したものを取り上げています。今回はナクソスから出ている、ウィリアム・シューマン交響曲第3番と第5番、そして舞踏音楽「ユディット」をご紹介します。シュウォーツ指揮、シアトル交響楽団の演奏です。ディスクユニオン新宿クラシック館での購入で、900円だったと思います。

さて、シューマンと言えば、前記ロマン派のロベルトが有名なのですが、同じ名字で時代が違うという作曲家は結構いるんです。たとえば、チャイコフスキーがそうですが、シューマンもそういった作曲家の一人です。

ウィリアム・シューマンはロベルトと違いアメリカの作曲家です。

ウィリアム・シューマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

これまでも、当ブログではアメリカの作曲家の作品を取り上げてきましたが、その中でもこの人のものは異色です。いや、音楽史を見れば特段異色ではないんですが、音楽的に大陸的なものをかんじます。サイトによってはアメリカ的だとも言われますが、それは音楽に映画音楽のようなにおいがあるからだと思います。

少なくとも、このアルバムに収録されている作品は、各々新古典主義音楽の影響を受けているものばかりが並んでいます。ナクソスの編集方針から推測すれば、ウィリアムの作品は全体的には新古典主義音楽、少なくとも、旋律線を大事にする作曲家だと言えるでしょう。

まず、交響曲第3番ですが、1941年に作曲された「公式な」最初の交響曲です。彼はどうやら、第1番と第2番は破棄してしまったようで「撤収」という表現を使っています。なぜそうなってしまったのかは定かではありませんが、とにかく、この第3番が公式には最初の交響曲となっています。

この第3番ほど、新古典主義音楽の影響を受けている作品はないでしょう。彼が作曲を志した1930年、時代はちょうど新古典主義音楽勃興期だったのですから、無理もないことだと思います。勃興から11年しか、第3番を作曲するまでかかっていません

第1楽章がパッサカリアとフーガ、そして第2楽章がコラールとトッカータとなっています。楽章構成が2楽章であるのが特徴ですが、たしかに構造的にはバロックです。しかし、音楽はバロックにこだわらず、むしろ象徴主義的な部分すらありますし、それ故映画音楽のような、ダイナミックな盛り上がりすらあります。それでいて知的な部分を感じるのは、演奏だけではなく、そもそも作品が持つ構造によるものだと思います。こういった点こそ、新古典主義音楽である証拠です。

第5番は、弦楽のためのとあります。これもバロック的なものであり、新古典主義音楽を意識していると言っていいでしょう。下手すれば第3番よりも新古典主義を前面に出しているとも言えます。オケの編成を弦楽だけにしていること、そしてフランスバロック以来の伝統である、3楽章制を採っているという点です。こういった特色に影響を与えたのが、恩師であるクーセヴィツキ―であることは間違いないと思います。実際、第3番も第5番も、初演を指揮したのはクーセヴィツキ―クーセヴィツキ―でした。

セルゲイ・クーセヴィツキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC

かれは特に、南北アメリカ大陸に新古典主義音楽を紹介した功績を持つ音楽家です。作曲家としてもですが、指揮者として新古典主義音楽を紹介することに資力しました。クーセヴィツキ―自身は新古典主義音楽のみを賞賛していたわけではなく、常に新しい表現の擁護者でした。その結果として、アメリカ大陸に新古典主義音楽がもたらされたのです。

そして、このシューマンの作品の様式を理解するには、やはり我が国の平安時代、造東大寺司が閉鎖され仏師が地方へ散って行ったことを想起する必要があります。それと同様に、大陸で流行していた象徴主義印象派、そして新古典主義がいっぺんにアメリカへもたらされたという背景を知っておく必要があります。

その視点から、この第5番を眺めてみますと、一説にはアメリカの熱気を象徴していると言われていますが、確かにそれもあるのでしょう。しかし、全体的には、私には演奏を聴く限り、そうは思えません。オケは自国アメリカのオケであるということを想起すれば、彼らが作曲家が込めた意味も知らずに演奏しているとは、到底思えません。作曲されたのは1943年。第二次大戦中です。むしろ、戦争中の不安を表現したというほうが、私にはしっくりきます。そもそも、クーセヴィツキ―の妻への追悼となっているのですから。

それを表現するために、前古典派時代における交響曲の様式である3楽章制を採り、なおかつ各楽器は会話するかのようにしずかに演奏されるという様式を採ったと言うべきでしょう。各楽章の演奏時間もとても短く、その点も新古典主義音楽の影響下と考えるほうがしっくりきます。もし、アメリカの熱気ということになれば、それは象徴主義も入っていることになりますが、勿論それが入っていてもおかしくはありませんが、ヴォリュームとしては小さいと思います。

最後の「ユディス」は1949年に作曲された作品で、旧約聖書ネブカドネザル王の説話にテーマを取っている舞踏曲です。管弦楽のためのとありますが、マーサ・グレアムのための舞踏の音楽です。ジャズの旋律を導入していて、その点でも新古典主義音楽の影響を感じる作品です。ジャズらしさが見受けられる一方で、それだけにはなっておらず、時代のあらゆるジャンルが混然一体となって、モダン・ダンスに適した音楽に仕上がっています。

そう、この作品はウィキではバレエとなっているんですが、正確にはモダン・ダンスのための音楽だと思います。原題には「管弦楽のための舞踏曲」となっており、モダン・ダンスのための作品です。バレリーナも含め、モダン・ダンサーのための音楽と言うべきだと思います。その点は、ナクソスの訳の方が私は適切だと思います。

というのは、この時代、モダン・バレエも含めモダン・ダンスが世界的な流行となっていたためです。日本にもそういった曲がほぼ同時期に書かれており、このブログでもご紹介しています。橋本國彦の交響組曲「天女と漁夫」です。

今月のお買いもの:橋本國彦 交響曲第1番・交響組曲「天女と漁夫」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1006

橋本氏の作品は、前衛舞踏家のための作品ですが、この「ユディス」もおなじなのです。こういった潮流が当時、全世界で起きていたということは、知っていて損はないと思います。

演奏面でも、「爆演系作品作曲家」とも一部で言われているウィリアムの作品を、実に冷静に演奏していると思います。指揮者も含め、演奏家が伝えたいのは、ウィリアムの作品の特徴は決して爆演という表面的な点ではなく、その奥に秘められた、様式の特徴であるということに気付いてほしいという点にあると私は思います。その点を評価する向きは少ないと思います。なぜ新古典主義音楽が台頭したのかといえば、それは第1次世界大戦を招いた、過激な愛国ロマンティシズムに対するアンチであるということを想起する必要があります。音楽的にはその代表が後期ロマン派、特に国民楽派であった点は、私も好きなジャンルではありますが、知っておかねばならない歴史であると思います。

そのアンチであるということは、むしろ冷静、あるいは知的な作品を念頭に置くという点から、まず出発しているということは、知識として持っておくべきだと思います。その上で、抑揚がどうなのかを判断すべきだと、私は思います。その点では、私にはこの演奏は及第点ですし、素晴らしい効果を上げていると思います。

いずれにしても、ウィリアムの作品は、ロベルト同様に聴かれるべき作品だと思います。それは翻って、我が国の同時代の作曲家に光を当てることにもつながるのですから。そしてそれは、日本のオーケストラの演目を広げ、ひいては人気演目に繋がり、集客にもつながっていく、地道な努力になるのです。



聴いているCD
ウィリアム・シューマン作曲
交響曲第3番
交響曲第5番
「ユディス」管弦楽のための舞踏曲
ジェラード・シュウォーツ指揮
シアトル交響楽団
(Naxos 8.559317)



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