かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン オラトリオ「楽園とペリ」

今月のお買いもの、8月に購入したものを取り上げていますが、今回はロベルト・シューマンが作曲したオラトリオ「楽園とペリ」をご紹介します。シノ―ポリ指揮、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団他の演奏です。ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。つまり、中古です。1100円だったと記憶しています。

これは、新盤でもお買い得ではあるんです。ついている帯を見てみると、1500円。この曲は長いので2枚組になっており、それで1500円というのは安すぎるくらいで、ブリリアント・クラシックス並みだと思います。

前回ご紹介したのがアメリカのウィリアム・シューマンなので、シューマンが続いたことになるんですが・・・・・

ロベルト・シューマンと言えば、交響曲の他ピアノ曲でも有名な人ですが、こういった声楽曲も書いています。実際彼はミサ曲も書いていますし、それは以前このブログでも取り上げています。

マイ・コレクション:コルボが振るシューマンの宗教曲
http://yaplog.jp/yk6974/archive/473

これを知っていたからこそ手に取ったのですが、さらに言えば、メンデルスゾーンの「エリア」が頭にあったことも、理由としてありました。

今月のお買いもの:サヴァリッシュ/N響の「エリア」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1027

さて、この「楽園とペリ」は、シューマンが作曲したオラトリオで、1843年に作曲されています。

楽園とペリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%9C%92%E3%81%A8%E3%83%9A%E3%83%AA

内容的には、端的にはこのウィキの説明でいいと思いますが、もう少し踏み込んだのはこちらの方が分かりやすいと思いますが、それも完全ではないと思っています。

みどりのこびとちゃんのクラシック音楽日記
オラトリオ【楽園とペリ】作品50(シューマン) [シューマン(ロベルト)]
http://kfc-201.blog.so-net.ne.jp/2008-07-12

実は、直上のサイトと同じCDなんですけどね、私が買ったのは・・・・・タワレコは実はけっこう自主的にいい音源を出しているんです。

この作品では、やれインドだエジプトだと出て来ますが、それは原詩を書いたトマス・モアを理解していないと面喰ってしまいます。

トマス・モア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%A2

特にこの詩と関係が深いのが、私は有名な「ユートピア」であると思います。私はちょっとかじったくらいしか「ユートピア」を読んでいないのですが、実はユートピアを語ることで、そんな理想郷はないんだということを言いたいのが本質で、しかし、だからこそそれを実現しようとする努力が、現状を少しでも良くする原動力になるということを主目的にしています。

ユートピア (本)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2_(%E6%9C%AC)

議論のためにたたき台という意味では、維新の会の「維新八策」と同じような意味をもちます。理想を呈示して、それを議論することによって、問題解決の糸口を探るというのが、「ユートピア」でモアが言いたいことであるわけです。そして、そのユートピアがあるのは、ヨーロッパからは遠く離れた、新大陸(つまりは、アメリカ)の近くと規定しています。

もちろん、アメリカの近くにそんな「楽園」はないわけですが、大航海時代がそれを規定させるに十分な材料を与えてくれているわけです。まず、そのような歴史的事実を振り返らないと、とてもキリスト教的なのになぜそれとは関係なさそうな地域が出てくるのかが理解できなくなります。

その上で、ユートピアで語られているような「問題意識を持ち、それを解決しようと努力すること」が実は、この「楽園とペリ」でも語られています。楽園から追放されてしまったペリは何とか楽園へ戻ろうと、まずインドの自立独立のために命を落とした若者の血を、門番である天使に持っていきますが断られます。次に、エジプトの女性が愛する人の死を嘆いため息を持っていきますが、それも拒否されます。

最終的に、天使を動かしたものは、シリアに於いて、熱心に祈る子供に心を動かされて、自らの罪を悔いた罪人の涙でした。ようやく天国の扉は開き、ペリは楽園に戻ることが出来たのです。

これは、「ユートピア」と離れているようで実は同じ問題をふくんでいまして、ある種のレトリックになっています。その上で、構成的にはレチタティーヴォよりもアリオーソを多用して、さらにペリが拒否される場面は直接描いていません。これは明らかに、バロックの伝統を意識した構成なのです。その上で、音楽はロマン派そのものです。

私も参考にするために様々なサイトを見て回りましたが、「ユートピア」で提示された問題意識と、バロック以来の伝統をロマン派の音楽によって表現したというこの作品の特徴を、あらわしているものについに出会えませんでした。その点こそ、ウィキのこの記述に収れんされているように思います。

「現在は100分近い大作であるが故に日本では人気があると言い難く、演奏されることがほとんどない状況であるが、ドイツ語圏では頻繁にアマチュア合唱団によっても上演される。」

なぜ、天使は最終的に自らの罪を悔いた咎人の涙に感動したのか・・・・・それは、前二つの事例は本人が問題意識を持っていない哀しみだからです。インドの若者には確かに問題意識がないとは言えないでしょうけれど、それは自らの人間性とは関連があるかといえば、ないわけです。となると、それはともすれば誤った方向に行きかねない事例であり、「国家の独立」と言えば聞こえはいいですが、果たしてその本質が本当に正しいのかどうかはわからないからです。

最後の事例のみが、問題意識をもってわが身を振り返っているのです。だからこそ、人々の心を揺り動かすことが出来る・・・・・だから、天使は門の扉の「水晶のかんぬき」をうごかし、扉をあけたわけです。

これはまさしく、私たち一人一人に突き刺さる内容をもちます。それを決して大上段からではなく、美しい音楽で織りなしたシューマンは、素晴らしい仕事をしたと思います。実際、メンデルスゾーンからも絶賛されたとありますが、納得です。ただ、私自身は「エリア」と比べますと「動かす力」にかけているような気はしますけれど・・・・・

一方で、音楽的には様々な音楽の影響を受け、さらに影響を与えています。第3部、さらなる感動を求める場面では、メンデルスゾーン交響曲第2番「宗教改革」の第1楽章第1主題が引用されていますし、メンデルスゾーンは「エリア」で同じようにこの「楽園とペリ」から明らかに引用していると思われる旋律が出て来ます。その点も、この作品の聴きどころだと思います。

演奏面では、何一つ心配なく聴き続けることが出来ます。シノ―ポリの統率力もさることながら、掘り下げの深さも素晴らしいと思います。拒否される場面を直接描かないというこの作品が持つ本質を踏まえて、あまりデフォルメせず端正に演奏させているのは誠に正しいアプローチだと思います。だからこそたとえば私は、「なぜキリスト教がテクストとして敷衍されているはずなのに、インドやエジプトが出てくるのか」とか、「トマス・モアの原詩はこの作品を作曲するのにどのような影響を与えているのか」という点を顧みさせてくれたからです。

実は、トマス・モアという人の作品はとても解釈が難しく、いろいろ分かれることも多いのですが、シューマンはある一定の判断をして作曲していますから、その判断はいったいどういったものだったのかということも、顧みさせてくれます。そういった点も考えながら聴くことが、こういった作品は大事なのではないかと思います。シノ―ポリが取り上げるということは、けっして単なる興味本位なだけでなく、強烈な問題意識があるからにほかならないからです。

シノ―ポリは医師でもあった人で、シューマンの作品に関しては精神科医としての分析も交響曲においてやっています。そして、私はその文章を読んでいるからこそ、「この曲の美しさの奥には、深いシューマンの問題意識があったはずだ」と判断したのです。そこで、ウィキのモアの項目を調べましたら、やはり強烈な問題意識があってこそのテクストなのだということに気が付いたという訳です。

正直言いまして、上記ウィキの記述も、私には半分しか当たっていないと思えてなりません。長いから敬遠されるのではなく、その内容を理解できないから敬遠されるのだと思います。では、マーラー交響曲で同じように長い作品がなぜ日本のクラシックファンには受け入れられているのに、この「楽園とペリ」はほとんど受け入れられず、演奏もされないのかという疑問に、答えることが出来ないからです。

日本人は、こういった複雑に絡み合ったものを紐解くことになれていません。かく言う私だって、ようやく慣れてきたくらいで初めから慣れていたわけではありません。だからこそ断言できますが、この手は日本人が苦手とするテクストなのです。あるものを他のことに置き換えて、それによって問題があることを語らせるという手法を、日本人はすぐ「陰謀論」として片付けてしまいます。もちろん、本当の陰謀論もあるんですが、けっしてそうではない事例も数多く転がっています。この作品はフィクションですが、それでもって現実の問題点をはっきりと打ち出しています。「自らの悪い点を、どこまで問題意識として持てるか」という・・・・・

端正な演奏であるからこそ、その力はとてつもなく大きいのです。所謂名演である「変態演奏」では、それは伝わりません。聴き手にロジックの構築を要求するからです。「情熱と冷静の間」のバランスが完璧でなければ、無理なのです。そして、この演奏は徹頭徹尾、それが実現できている、素晴らしい演奏と言えるでしょう。



聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
オラトリオ「楽園とペリ」作品50
ジュリア・フォークナー、ハイディ・グラント・マーフィー(ソプラノ)
フローレンス・クイヴァ―、エリーザベト・ヴィルゲ(メッゾ・ソプラノ)
キース・ルイス、ロバート・スウェンセン(テノール
ロバート・ヘイル(バリトン
ドレスデン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ハンス=ディーター・ブリューガー)
ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(ドイツ・グラモフォン タワーレコードヴィンテージコレクション PROA-211/2)



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地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。