かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集6

今月のお買いもの、平成26年6月に購入したシューマンのピアノ作品全集をシリーズで取り上げています。今回は第6集となります。

第6集は、ロマンティックな楽曲が並んでいます。まず第1曲目は、交響的練習曲作品13です。

この作品の最大の特徴は、練習曲、つまりエチュードでありながら、実際には変奏曲の性格も持っているという点です。

交響的練習曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E7%9A%84%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2

シューマン : 交響的練習曲
Schumann, Robert : Etudes symphoniques Op.13
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/340/

練習曲と言う割には、表情豊かな作品で、それまでの練習曲と言う概念をほぼ根底から覆すだけの内容を持っています。例えば、ピアノを弾かれるかたは、ブルグミュラーの作品を思い出していただくと、わかりやすいかと思います。

主題はシューマンの友人であるエルネスティーネ・フォン・フリッケンの父フリッケン男爵の「フルートとピアノのための『主題と変奏』」の旋律なのですが、これがなかなか、陰影のある味わい深い作品なのです。それがシューマンの手で、様々に変化し、時としてその形すら分からなくなります。

それにしても、変奏曲をエチュードですかーと、ある意味驚きと畏敬の念が私にはあります。このブログでは度々触れていますが、変奏曲は音楽史の中でバッハ以来の伝統なのです。それをシューマンは練習曲に使ったのです。

如何にシューマンが、伝統に立脚しつつも、新しいものを生み出そうとしていたかがよく分かる作品だと言えます。

このCDでは第3版が使われており、遺作とされている5曲は、別途新たに主題から変奏させるよう演奏されていますが、主題の演奏時間が異なるのが興味深く、実際には全く同じではないことに気づかされます。これをどうとらえるかが、面白い点だと思います。

その5曲が第2曲目となっており、続く第3曲目は4つの夜曲作品23です。1839年の作曲で、それぞれ「葬列」「奇妙な仲間」「夜の宴」「独唱つきの輪唱」という標題が付いており、指示はドイツ語です。シューマン以前の作曲家で夜曲と言えば例えばモーツァルトが代表選手ですが(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)、そんなおしゃれというか、優雅なものではなく、不思議な世界へ連れて行ってくれるような、幻想的な世界がそこに広がります。

その意味で、この作品もシューマンが標榜した「新しい音楽」であると言えます。

4曲目が、ペダル・ピアノのためのスケッチ作品58です。18・・・・・

ちょっと待ってください、なんでわざわざペダル・ピアノなんですか?ピアノにペダルが付いているのは当たり前でしょ?あんたばかあ?

と、某アニメ風におっしゃる向きもあるかと思いますが、まあまあ落ち着いて。そんな時は、検索検索ぅ(と、此方も某アニメ風に返してみます)。

当然ですが、普通のピアノであるわけがなく、ペダルも鍵盤になっているピアノのことです。

ペダルピアノ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E

まあ、すこし乱暴な言い方なんですが、パイプオルガンをそのままピアノにしてしまったものと考えれば、わかりやすいかと思います。

オルガン
足鍵盤
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3#.E8.B6.B3.E9.8D.B5.E7.9B.A4

で、これもその楽器で弾いているのかと言えば、聴いている分ではそうではなく、おそらく足鍵盤の部分を手鍵盤に置き換えて弾いているものと思われます。ペダル・ピアノそのものがとても珍しい楽器ですから。

ただ、シューマンはそんな珍しい楽器のために2つ作品を書いており、いずれも作品番号が振られています。

ここまで来ると、この第6集の編集方針が、私にはおぼろげながら見えてきます。バッハ以来の伝統、という・・・・・

以前、私はショパンはバッハの平均律クラヴィーア曲集を意識していると、前奏曲を取り上げた時に述べたことがあります。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショパン ピアノ作品全集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/685

其れと同じことが、この第6集に収録されたシューマンの作品でも見えるのです。なぜペダル・ピアノという楽器のために作曲したのかと言えば、一番可能性があるのは、バッハのオルガン作品への敬意です。シューマンはオルガンが弾けませんから、その練習用のピアノで演奏できるよう、作曲したというのがあるでしょう。

シューマン自身ではなく、依頼主かもしれません。いずれにしてもシューマン存命の時代、バッハは鍵盤作品の大家として意識されていたことは、こういった作品から判るのです。

それを同じように新しい音楽を創ろうとしていたメンデルスゾーンが、打破しようとして「マタイ受難曲」の復活演奏を行い、「エリア」を作曲した・・・・・という流れが、このシューマンの作品から理解できるというわけです。

以前、このブログでも、バッハは前期ロマン派の時代においては、鍵盤楽器の大家として「のみ」知られており、カンタータや受難曲などの声楽曲はほとんど忘れ去られていたという事実を採り上げていますが、ここでシューマンが教えてくれているわけです。

実際、シューマンメンデルスゾーンに影響を受けて「楽園とペリ」も書いていますし、宗教曲もいくつか残しています。シューマンがバッハという偉大な作曲家の影響を、いろんな角度から受けていたということを、ここまでの作品は示しているのです。

最後の、花の曲作品19はとても愛らしい、そして美しい作品で、どこにバッハ以来の伝統が?と思いますが、これぞシューマンが生きていた時代の空気であったとすれば、なぜこのいかにも前期ロマン派らしい作品が最後に収録されているのかが、おぼろげながら見えてきます。

花の曲 (シューマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)

シューマン : 花の曲 変ニ長調
Schumann, Robert : Blumenstucke Des-Dur Op.19
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/346/

シューマンは「心の病気」的な側面から見られがちなんですが(あながち間違っていませんが)、評論家として活躍もした人が、それだけなんだろうかと問いかけ、バッハ以来の伝統も、シューマンの作品には見えませんか?と、私たちに問うているのがこの第6集なのではないかと思います。

デムスのピアノは、ここでは透明感もあります。何か遠くにあるものを表現しているような・・・・・ppとffを上手に使い分け、静かに時には激しく、全体的には冷静を保ち演奏しています。その姿勢が逆に、シューマンの作品が内包する情熱だったり、観念だったりを、私たち聴衆にしっかりと伝えているように思います。

シューマンの様に時として感情が前面に出たり、或は出なかったりという作品は、冷静さを保つことでむしろ作品が持つ感情が最大限表現できることがあります(例えば、フォーレのレクイエム)が、この演奏はまさしく冷静さに徹することで、むしろ作品が持つ感情が最大限表現されているように思います。




聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
交響的練習曲作品13
交響的練習曲作品13遺作
4つの夜曲作品23
ペダル・ピアノのためのスケッチ作品58
花の曲作品19
イェルク・デムス(ピアノ)
(Arioso ARI107-6)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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