かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:ラースカ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いて

コンサート雑感、今回は平成26年8月10日ティアラこうとうで行われた、ラースカ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を取り上げます。

この演奏会に行ったきっかけも、ツィッターでした。しかも、先週取り上げたアマービレよりも早い段階で知っていましたので、休みを入れた次第でした。

その理由は、曲目にあります。ベルドジヒ・スメタナ作曲連作交響詩「わが祖国」全曲・・・・・

「わが祖国」は、私も一度取り上げています。

マイ・コレクション:スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/214

この曲が、全曲きちんと取り上げられることはめったにありません。プロオケでも、勿論アマオケでもです。それを、全曲やってしまおうという気概に惚れました。

カップリングは、ドヴォルザークの「フス教徒」。実はこの2曲には、共通点があります。それはおそらく、オケの聴衆へのメッセージでもあります。

「フス教徒」と「わが祖国」には、同じコラールが使われているのです。「わが祖国」では第5曲目「ターボル」の冒頭で使われており、聴き慣れている私は、全く同じ曲を聴いているかのようでした。

ただ、実際チェコ音楽史を俯瞰した時、この2曲、ひいては二人の音楽を並べるということは、日本人ならではの快挙です。

アントニン・ドヴォルザーク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF

音楽性としては異なるのです。しかし、どちらもチェコの民謡を限定的に使うという点では共通したものがある訳です。その共通性が見事に現出しているのが、今回ラースカ・フィルが取り上げた2曲なのです。

わが祖国 (スメタナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%A5%96%E5%9B%BD_(%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%8A)

プログラムには、その点が紙面の制約がある中で、よく説明されていたと思います。譜例まで提示されていたのはとても親切で、私はそれだけでオケの曲に対するリスペクトが伝わってきたのですが・・・・・

それは演奏でもでした。今回、指揮はアマービレと一緒で高井優希氏。熱い情熱を冷静な音楽の中で表現するその統率力は、今回もさえていました。それによくオケは応えたと思います。

文字通り序曲の役割がある「フス教徒」からエンジン全開。高井氏の好みなのか、アマービレ同様、18世紀シフトだったのですが、アンサンブルが崩壊することが全くありません。アマオケ特有の痩せた音も限定的で、まるでプロオケを聴いているかの錯覚に陥ることもたびたびでした。

厳粛な雰囲気や、荘厳さ、そしてダイナミックさなどの表現が抜群で、ppからffまで十二分に表現されていました。特に、ダイナミックな部分では生き生きとしていて、テンポアップしているのにオケが完全についていくのには感心を通り越して感動しました。

「わが祖国」に入ってもそれは同様です。ただ、一つ物足りなさを感じた点は、第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」にあります。多くの演奏がゆったりと入るのですが、第1曲目の「ヴィシェラフト」が速めのテンポで入ったので、もしかするとスメターチェクなみのテンポで入ってくれるかな〜と、アマービレの時のベト4のように思っていたのですが、今回はゆったりと入ったのでした。

ただ、全体的にそうだったかと言えばそうではなく、途中の農夫たちの踊りの場面ではアップテンポ。さすがにオケが全体的に速いテンポはきつかったのかなあと思いました。

実際、ヴルタヴァ冒頭の、川のせせらぎを表現している部分は演奏上とても難しいとされていて、だからこそ失敗を恐れて世界中のほとんどのオケや指揮者が、川のゆったりとした流れという解釈で演奏をしているのです。

ただ、ヴルタヴァで表現されているのは、単に情景や自然ではありません。この後で展開される、チェコの歴史もなのです。つまり、「わが祖国」の第2序曲のような役割も担っているのがヴルタヴァである、と言えます。ヴルタヴァはチェコを貫く大河であり、それはチェコそのものとも言えます。なぜスメタナが第2曲目に川を持ってきたか、です。

日本人であれば、鴨長明のこの言葉を想起することでしょう。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし」

方丈記
http://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98

鴨長明方丈記を書いた時代、そしてスメタナが「わが祖国」を書いた時代というのは、似通っているのです。戦乱が続いた平安末期から鎌倉初期、そして民族運動が勃興し、独立運動が激しくなった19世紀チェコ・・・・・

ともにその背景として、歴史を負っているのです。だからこそ、私はスメターチェクのアップテンポの解釈が好きなのですが、それとは半分くらいだったでしょうか。それだけが残念でしたが、それでも、後半ではアップテンポの部分もあり、聴かせてくれました。

シャールカ以降はアップテンポ気味で、最後の2曲では熱い!熱すぎる!やけどするくらいでした^^;でも、冷静さを失うことはみじんもなく、最後はチェコフィルよりも速いテンポで突っ込みながらも、力強く美しく終わったのには、思わず涙が出て、ブラヴォウ!をかけずにはいられませんでした。余韻を楽しみながらしたつもりですが、内心1秒くらいはフライングだったかな〜と反省していますm(_ _)m

まあ、それだけ素晴らしい、感動する演奏だったのです。本当に最後、聴いていて「チェコ・フィルを超えた」と思いました。それは団員全員の曲へのリスペクトがあってこそだと思います。

一度きりという点も、いい演奏に繋がっていたのかもしれません。まさしく長明いわく「無常」です、音楽、あるいは演奏というものは。だからこそ、一瞬一瞬気を抜かず演奏することが大切ですが、それが完璧でした。感動したのはだからでしょう。

一度きりというのはもったいないと思いますが、それが私たちに強烈な印象を残したと思います。この演奏に続く常設のアマオケの奮起を期待して、筆をおきたいと思います。




聴いてきた演奏会
ラースカ・フィルハーモニー管弦楽団演奏会
アントニン・ドヴォルザーク作曲
劇的序曲「フス教徒」 作品67B132
ベルドジハ・スメタナ作曲
連作交響詩「わが祖国」全曲
高井優希指揮
ラースカ・フィルハーモニー管弦楽団

平成26年8月10日、東京江東区ティアラこうとう大ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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