かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト・リスペクト1

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はモーツァルト全集から、モーツァルトに影響を与えた、あるいは与えられた作曲家たちの作品をご紹介します。

こういった作品を取り上げているのがこの全集のいい点だと思います。宗教曲を取り上げた時にも述べましたけれど、視点が独特でなおかつピントがあっているのが素晴らしいと思います。

この全集は、私のモーツァルトだけではなく、古典派に対する見方を変えたとも言っていいと思います。今でも好きな作曲家の第1位がベートーヴェンであるのは変わっていませんが、古典派がそれだけではなく、もっと奥深いものなのだということを、このシリーズで教えていただいたからです。

県立図書館から借りてきたものの中で、私の視点を変えてくれた幾つかのものがありますが、このシリーズはそのなかでもかなり大きく変えたものだったと思います。

以前、シュターミッツやロゼッティという作曲家のエントリを立てたことがありますが、それは明らかにこのシリーズが大きく影響しているのです。

今月のお買いもの:C.シュターミッツ クラリネット協奏曲第1集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/582

今月のお買いもの:C.シュターミッツ チェロ協奏曲集
http://yaplog.jp/yk6974/archive/854

今月のお買いもの:モーツァルトと同時代の作曲家シリーズ ロゼッティ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/485

一番早く取り上げているのはロゼッティですが、それに先立つ2か月前に、このシリーズを神奈川県立図書館で借りてきています。この3つのエントリを上げるきっかけこそ、このシリーズだったのです。

しかし、このシリーズを借りるきっかけになったものが、同じ県立図書館で借りてきたものにありました。それは、モーツァルト交響曲全集です。4つ目がミヒャエル・ハイドン交響曲第25番ト長調 MH334 P16なのですが、これは以前、モーツァルト交響曲第37番K.444だった作品で、勿論このブログでも以前取り上げています。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト交響曲全集11
http://yaplog.jp/yk6974/archive/509

そして、では全曲聴いてみましょうということで、一度ハイドンだけ取り上げています。

音楽雑記帳:元モーツァルト交響曲第37番を聴く
http://yaplog.jp/yk6974/archive/513

もちろん、その時に取り上げた音源が、今回ご紹介するものなのです。

さて、まず第1回目の今回取り上げるものには、サリエリチマローザ、C.シュターミッツ、M.ハイドン、そしてJ.C.バッハが取り上げていますが、彼らはいずれも主にモーツァルトに影響を与えた作曲家たちです。サリエリからシュターミッツまではいずれもフルートとオーボエのための協奏曲が並んでいます。

この3人はいずれも、古典派そのものと言った作曲家です。私たちはつい、古典派と言えばハイドンモーツァルトベートーヴェンとかんがえ、それ以外はいないと勘違いしてしまいますが、そんなことはないわけで、それを気づかせてくれるものでもあります。

例えば、3人とも基本的にまず3楽章で急〜緩〜急という構成を取っていますし、第1楽章が協奏ソナタ形式ソナタ形式を、第1主題をまずオケが奏して、その後ソリストが第1主題を奏しなおすというもの)をとっているのも、まさしく古典派です。また、第1楽章が長いという点も、古典派らしい作品です。それがモーツァルトの作品、特にピアノ協奏曲に与えた影響は計り知れません。

この中で一番不遇なのはサリエリとも言えるでしょう。実際、モーツァルトはウィーンの宮廷音楽家であったサリエリの作品から多くを吸収しているにも関わらず、映画「アマデウス」で悪役にされてしまったことは、とても残念なことだと言えましょう。実際、恥ずかしながらこの私も、悪役というイメージから抜け出るまで大変時間がかかったものです。

ただ、あの映画は一面をついているのは確かでして、つまり、モーツァルトの時代は才能ではなく、年功序列であったということなのです。私が「アマデウス」が言いたい本当のテーマを知ることになったきっかけが、「モーツァルト事典」であり、そしてこのシリーズでもあったのです。

その点でも、モーツァルト全集のこのシリーズは、とても大事なのです。こうやって、いかにも古典派らしい作品を聴きますと、アマデウスという映画は、ある基本的な知識を知っているという前提でないと、見誤る危険を伴った作品であることに気づかされます。

アントニオ・サリエリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AA

実際、サリエリウィーン・フィルが生まれる環境を整備したとも言える作曲家で、その功績は映画では吹っ飛んでしまっています。それは批判されるべきなのですが、当時のモーツァルトがどのような「位置」に扱われていたのかを、デフォルメしたものだったのです。

映画が封切られた当時、それをきちんと解説してくれるものがそれほどなかったため、私もサリエリという作曲家を理解するまでそうとう苦労しましたが、今ようやくきちんと評価できるように思います。サリエリが悪かったというよりは、そういった社会状況だったのだと理解すべきなのです。その理解があって初めて、なぜモーツァルトザルツブルクを出て自立しようとしたのか、そしてなぜベートーヴェンは芸術家そのものの自立を目指したのかが明確になります。

チマローザもシュターミッツも、モーツァルトの大先輩ですが面識はなかったようです。しかし、二人の音楽はとうじ盛んに演奏されており、モーツァルトに深い影響を与えたと言われています。二人とも以前取り上げている作曲家ですが、勿論、そのきっかけはこのシリーズでした。もう一度ウィキの説明を上げておきましょう。

ドメニコ・チマローザ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6

カール・シュターミッツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%84

二人ともモーツァルトよりも長く生き、ベートーヴェンが活躍する時代まで生きていますが、特にチマローザは時代の波にのまれていった作曲家だと言えるでしょう。古典派までの作曲家の立場というものがもたらした悲劇と言えるでしょう。自立とは何か?そして、モーツァルトベートーヴェンが目指した自立とはいったいどういったものだったのかを、私たちに考えさせてくれる作曲家たちです。実際、音楽は光り輝き、現在なおそれは色あせません。

特にチマローザのフルートとオーボエのためのコンチェルタンテは、第2楽章と第3楽章がつながっており、モーツァルトよりはむしろベートーヴェンにも影響を与えているように私には思えます。

モーツァルトベートーヴェンは面識がありますが、果たして史実で知られている程度の交流だったのかはわかりません。モーツァルトから「この2人の作品はぜひとも聴いておくべきだ」と言われた可能性だって、捨てきれないわけなのです。史料が残っていませんから断定は出来ませんので、歴史論文では省かれますが、その可能性があるということだけは、知っておいていいと思います。断定してはいけないだけです。

M.ハイドンはまさに、ザルツブルク時代の上下関係であり、また、生涯を通じた交友もありました。そのせいなのかはわかりませんが、交響曲第25番につけたモーツァルトのK.444は、雰囲気を壊さぬように配慮されているように思います。どのような事情で前奏が付けられたのかはわかりませんが、二人の交友からというのは、推測の域を出ませんが可能性としては十分あり得るでしょう。少なくとも、M.ハイドンの第25番に関しては、モーツァルトの彼に対するリスペクトが感じられる事例です。

最後のヨハン・クリスティアン・バッハは、モーツァルトのピアノ作品に多大な影響を与えたのと同時に、彼に大バッハの存在を示した作曲家としても特筆すべき役割を果たしています。

ヨハン・クリスティアン・バッハ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

モーツァルトの特に初期のギャラント様式的な作品は彼の影響が強いと言えるでしょうが、その後は上記のような作曲家たちの影響も受けているわけなのです。彼が果たした役割の中で最も大きいのは、父大バッハの、特に鍵盤曲とフーガの様式を伝えたことで、それが後にピアノソナタや協奏曲、そしてレクイエムへと花開いて行くのです。その点が若干抜けているのは気になる点で、その点では「モーツァルト事典」のほうが詳しいので、興味がある方は一読をお奨めします。

というのも、実はこのヨハン・クリスティアンの作品は、モーツァルトが習作としてピアノ協奏曲に改作しているのです。

Mozart con grazia
3つのピアノ協奏曲 K.107(第2曲)
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op1/k107.html

こういったことを教えてくれるこのシリーズは、私たちに「モーツァルトとは何ぞや?」という疑問に、一つの答えを提示してくれています。



聴いている音源
アントニオ・サリエリ作曲
フルートとオーボエのための協奏曲 ハ長調
ドメニコ・チマローザ作曲
フルートとオーボエのためのコンチェルタンテ
カール・シュターミッツ作曲
フルートとオーボエのための協奏曲ト長調
ミヒャエル・ハイドン作曲
交響曲第25番ト長調 MH334 P16(モーツァルトのK.444の序奏を含む)
ヨハン・クリスティアン・バッハ作曲
ピアノ・ソナタ ト長調作品5-3
オーレル・ニコレ(フルート)
ハインツ・ホリガーオーボエ
イングリット・ヘプラー(ピアノフォルテ、�K�L)
ケネス・シリトー指揮
聖マーティン・イン・ザ・フィールズ教会アカデミー
サー・チャールズ・マッケラス指揮
イギリス室内管弦楽団ハイドン



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