かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:オーヴェルニュの歌2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はオーヴェルニュの歌の第2集です。アップショウのソプラノ、ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管の演奏です。

オーヴェルニュの歌は、前回も述べましたが作曲家の郷土愛が強い作品です。

オーヴェルニュの歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%81%AE%E6%AD%8C

そもそもは、愛国心から出発し、そこから自らの郷土の民謡へと行きついています。丁度時代は新古典主義音楽の時代。そういった時代の流れのなかで生み出されたということは、念頭に置いておくといいと思います。歌詞がなぜオック語のままにしているのか・・・・・それは、単なる郷土愛だけではありません。フランスの歴史というものを作曲者が念頭に置いていることを、理解しておく必要があります。

フランス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9

日本に於いても、たとえば沖縄の言葉は古代日本語からわかれたとされていますが、それと同じことはオック語にも言えるわけなのです。明治維新まで、日本には共通語がありませんでしたが、それは何も日本だけではなかったのです。フランスも一緒です。日本よりも早く共通語を定めただけで、言語が辿った歴史は大まかに言って、さほど違いはありません。オック語は共通語とはされず、一地方の方言となっていきます。それに再び光を当て、表舞台に出したのがこの「オーヴェルニュの歌」なのです。

日本の民謡も、多くは歌詞は方言となっていますが、しかしそれは決して奇異なことではなく、多くの民謡が成立した江戸から明治初期にかけては、方言こそ日本の言語だったのです。カントループはフランスにおけるその点に、焦点を当てたのです。その後、カントルーブはオック語だけでなく、フランスの各地方の言語で歌われている民謡を採取することに生涯を費やします。

オーヴェルニュの歌は、5つに分かれ第1集から第5集までとなっていますが、この音源は残念ながらその順番には収録されていません。順番になっているのはたしか私が記憶している限りではキリ・テ・カナワだと思いますが、BBCはこの音源を薦めているようです。ただ、それは歌唱の点であり、編集面ではこの音源は作曲者が並べた通りにはなっていない点は考慮しておく必要があると思います。にしても、素晴らしい演奏です。

私は実は、カナワのも持っています。第2集が聴けなかったので取り上げていないと思いますが、某友人から買い求めたものを持っています。それと比べますと、編集面ではカナワ、歌唱面ではこの音源と言いたいです。いや、どちらも素晴らしいのですけれどね。ただ、カナワはかなり力が入りすぎているように思うのです。

アップショウは、とてものびやかにうたいあげています。この作品は、民謡である「オーヴェルニュの歌」をオーケストレーションしたものに過ぎない側面があります。だからこそ、太い歌唱でかつ伸びやかにゆったりと歌い上げることが大事だと思います。

勿論、なかにはそうとは限らないものもありますが、全体的には、のびやかにという点は大事だと思います。そこが、このアップショウのものの素晴らしい点です。なぜそれが素晴らしいのかは、いずれまたこのコーナーでご紹介するのですが、日本の民謡の歌い方にもあるのです。高音を響かせてキーンと歌い上げるもの民謡ですが、もっと優しく、素朴にうたいあげるのも民謡です。特に、祭りで歌われるお囃子などは、それほど力を入れて歌い上げるわけではありません。

こういった作品の演奏を評価するとき、自らがどれだけ自国の民謡を聴いているかが丸裸になるので、実はとても怖いです><意外にも、それを認識せずに評論している方々がプロでも多いので、びっくりすることがあります。

同時代の流れに触発され、フランス語の民謡をオーケストレーションした作曲家もいました。それが、カップリングされているエマニュエルの「ボーヌ地方のブルゴーニュの歌」です。オーヴェルニュの歌とほぼ同時代ないしは若干早く作曲され、全30曲中16曲が管弦楽用に編曲され、そのうち6曲が合唱、10曲がソプラノソロで歌われます。

エマニュエルも、実はカントルーブ同様、民謡採取の運動に感化された作曲家でした。

モーリス・エマニュエル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB

こういった点は、後期ロマン派以降の作品を聴くうえで、できれば押さえておきたい点だと思います。なぜ時代は新古典主義音楽へと移行したのか。そしてなぜ、国民楽派というジャンルがありながら、新古典主義音楽という、違った形の民族主義音楽が発生したのかを理解するのは、民謡採取という時代の流れを知ることが非常に重要なのです。

かつて、ラフを取り上げた時、私はこう述べています。

今月のお買い物:ラフ 交響曲第1番ニ長調作品96「祖国に寄す」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/337

「私は不勉強でラフとスメタナとの関係を知りませんが、この曲に触発されて、スメタナが「我が祖国」を書いた可能性もあるのではと思っています。全体的に標題音楽的なメロディが支配し、高揚感というものは余りありません。それがもしかするとラフという作曲家の評価を下げているのかもしれませんが、しかしそういう曲の方が実は祖国愛というものの伝播力は強かったりするのです。」

国民楽派は、ロマンティシズムあふれる作品が多いですが、ロマンティシズムというのは危険な側面もあります。そして、それは第1次大戦で現実のものとなってしまいます。それに対するアンチから、新古典主義派音楽は始まっているという歴史を見る時、「祖国愛とはなにか」を、こういった作品たちから私は痛烈に感じるのです。



聴いている音源
ヨセフ・カントルーブ作曲
オーヴェルニュの歌
モーリス・エマヌエル作曲
ボーヌ地方のブルゴーニュの歌
ドーン・アップショウ(ソプラノ)
ケント・ナガノ指揮
リヨン国立歌劇場管弦楽団



このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。