今回のマイ・コレは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲集を取り上げます。ツェートマイアーのヴァイオリンと指揮、フィルハーモニア管の演奏です。
これを買いましたのは、体調が戻り始めた4年ほど前です。地元のCD店で買い求めました(ちなみに、それも山野楽器)。ちょうどモーツァルトをきくと体調によいと聞いたものですから・・・・・所謂、音楽療法ってものですね。
特に、モーツァルトのヴァイオリン曲がいいと言われ、協奏曲が薦められていたのですが、音楽療法は薬の代わりにある曲の一楽章だけを聴くのが通例です。
しかし、クラシックファンである私が、一楽章だけで満足する筈がありません。やはり、全部聴きたいな、と・・・・・
そこで買い求めたのが、この一枚でした。第3番から第5番までが一気に収録されているのも、魅力でした。
そんな理由で買い求めたこの一枚ですが、実はとんでもないものを引き当てた瞬間でした・・・・・
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲に関しては、以前「神奈川県立図書館所蔵CD」のコーナーで取り上げています。
神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ヴァイオリン協奏曲全集1
http://yaplog.jp/yk6974/archive/460
神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ヴァイオリン協奏曲全集2
http://yaplog.jp/yk6974/archive/461
このうち、第2集を取り上げた時、こう述べています。
「この3曲、もともと私はツェートマイヤーで持っています。それと比べると、面白いのですが、正直、第3番と第4番はそれほど差はありません。」
と、すでにほとんどここでこのCDについてもほとんど語ってしまっているんですね。
ですから、当然ですが、その時語りきれなかった点に焦点を当てたいと思います。
このツェートマイアーのものは、特にオケとの会話と、古典派の協奏曲であることを強調した演奏となっています。まず、そもそもヴァイオリニストが指揮をするという点で、古典派の作品であるということをかなり意識しているわけなのです。そして実は、その点こそこのCDを買う最終決断を下した理由でもありました。
古典派の時代、こういった協奏曲に於いては、指揮者がいないということもありました。特にモーツァルトの場合、自作のピアノ協奏曲では指揮者は居ません。ピアノ奏者であったモーツァルトがやったのです。
この3作品の初演のヴァイオリニストがモーツァルトだったわけではありませんが、モーツァルトが演奏することも念頭に置いた可能性はあります。実際、モーツァルトはヴァイオリニストでもあったのですから。ただ、ピアノに較べては、というだけです。
古典派の時代の作曲家は、こういった人が多く、モーツァルトもそういった一人にすぎません。音楽があまりにも素晴らしすぎてそういった「古典派の時代における当たり前」は顧みられることが少ないですが、演奏者はそういったことを少なくとも頭に入れて演奏しているということは、知っていて損はないでしょう。
私たちはどうしても、作曲家というと作曲のプロとみてしまいがちなんですが、特に古典派の時代は、それ以前にプロの演奏家なのです。パトロンがついていようがいまいが、少なくとも「それで飯を食っている」音楽職人であるということは間違いありません。ベートーヴェンはそれを、誰かの庇護下にならずにしようとした最初の人であったというだけなのです。この点を、まずこの演奏は顧みさせてくれます。
そして、クラシック音楽の基本である、高い音は強く、低い音は弱く、リフレインは弱くということを、比較的忠実にやろうとしています。その点は、フィルハーモニアが過去どうだったかにかかわらず、私は評価すべきだと思います。
この演奏に触れたことで、私の視野は一気に広がったと言っても過言ではないでしょう。もちろん、この一枚だけで広がったわけではないのですが、そのきっかけを与えてくれた、基礎的な一枚になったことは、間違いありません。
古典派の協奏曲とはどういうものか、そして、その時代とはなんだったのか・・・・・それを十二分に、考えさせてくれます。
聴いているCD
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K.218
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219「トルコ風」
トーマス・ツェートマイアー(ヴァイオリン、指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
(ワーナークラシックス WPCS-21118)
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