かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~オイストラフが弾き指揮するモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集2

東京の図書館から、2回シリーズで取り上げています、小金井市立図書館のオイストラフが弾き指揮するモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集の、今回は第2集です。

第2集では、第4番と第5番、そしてロンドハ長調K.373が収録されています。いずれも、オイストラフカンタービレが存分に味わえる演奏となっています。

が、それを私が好むのかと言えば、微妙なところです。決して悪い演奏ではないので、ぜひとも選んでほしい演奏ではあるんですが、かといって以前から聴いているものを置き換えるかというと・・・・・正直、そこまでではないです。

というのは、最初に購入した同じく弾いて指揮をしているツェートマイアーのほうが、もっとカンタービレしているから、なのです。如何に最初に買ったアルバムが素晴らしかったを実感しています・・・・・

とはいうものの、第1集に入っている第1番と第2番は、それまでを十分置き換える演奏なのです。こう全集を聴いてみますと、奏者の得手不得手が如実にわかるので、じつはとてもいいパッケージだったりもします。もちろん、ということは外れもあるわけなんですが・・・・・

でも、外れてもいいんです。それならほかを当たってみよう、とほかの演奏を聴くきっかけを与えてもくれます。その意味では、たとえば以前紹介したスウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンシューベルト交響曲全集などは、優れてはいるものの、ほかの演奏を聴く機会を奪う、ともいえます。

いや、このオイストラフベルリン・フィルの演奏は実に素晴らしいものですし、外形的美である古典派の協奏曲において、存分に歌う演奏は心地よいものです。というより、古典派の「美」というものがどういうものなのかを、考えさせる名演だと思います。けれども、何も前提条件なしにツェートマイアーとオイストラフとで比べれば、私は歌謡性という視点でツェートマイアーを選ぶ、ということなのです。

それはひいては、私自身がアマチュア合唱団員として積み上げてきたキャリアというものと不可分ではないだろうと思います。やはり歌うたいは歌う演奏を選ぶ、ということになるでしょうか。もちろんそれは完全条件ではないですが、傾向として歌う演奏を好む、ということは言えるかと思います。

考えてみれば、20世紀の無調音楽が当たり前になるまでは、楽器を使った音楽とは、どんなジャンルであったにせよ、人間の声にどれだけ近づくのかが命題だったともいえるわけです。特にクラシックの世界ではそうでした。それを考慮するとき、私の選択は自然なものかもしれないなあと、オイストラフの演奏を聴いて、苦笑してしまうのです。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K.218カデンツァ:F.ダヴィッド)
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.211「トルコ風」(カデンツァ:J.ヨアヒム)
ロンド ハ長調K.373(カデンツァ:D.オイストラフ
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン、指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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