かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:メシアン 鳥のカタログ3

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、メシアンの「鳥のカタログ」。今回は最後の第3回目。3枚組の3枚目を取り上げます。

3枚目には、第7巻と、「ニワムシクイ」が収録されています。つまり、「鳥のカタログ」だけではない、ということになります。ですが、このカップリングは、意図してのものだと言えましょう。

本来、「鳥のカタログ」は第7巻の3曲までです。それに追加してニワムシクイを入れて、さて違和感があるかと言えば・・・全くないのです!

それはピアニストがそう弾いているからでは?という考え方もあります。確かに、演奏するウゴルスキは素晴らしいピアノですが、それが理由ではないと思います。ウゴルスキは二つにおいて全くアプローチを変えていません。ということは、二つとも同じ精神に立脚していることを示しているのです。故に。カップリングされたと考えていいでしょう。

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「鳥のカタログ」が最初に作曲されたのは1956年。「ニワムシクイ」が作曲されたのは1970年。確かに4年の歳月は流れ、鳥のカタログも第1巻から第7巻へと、段々和声は不協和音の度合いを強めていることは確かなのですが、環境の中にいる鳥を表現するという点はいささかも変わりないのです。特に、「ニワムシクイ」では、ffとppを使った表現が見事で、複数のニワムシクイが囀っているかのように聴こえます。その強弱を繊細に弾いているウゴルスキ。当然、そこにこの一連のシリーズが語る精神があることを踏まえたものだと言えましょう。

不協和音が多用されているんだと、何だか不安だから聴きたくない・・・そういう人もいると思います。実際、以前の私もそう考えていたので、この手の作品は避けるどころか拒否です。しかし、和声は何のために生まれ、存在し続けているのかを考えた時、その和声が私からも持つどす黒い内面を表現するものだと気付いてから、全く違和感が無くなりました。むしろ、私達人間は不協和音を多用するという時代を切り開いたからこそ、表現の幅が広がったのだと考えれば、むしろ微笑ましくも私は感じるのです。

とはいえ、不協和音だけが芸術なのかと言えばそれも違うと私は思うのです。なので私は「前衛音楽」という言葉をあまり使わず、「20世紀音楽」という言葉を使うのです。メシアンはその時代のなかで、あえて不協和音を多用する表現を選んだにすぎません。

私にとって、不協和音が多用される音楽も、調性音楽も、どちらもいとおしい存在です。不協和音自体は古典派の時代にも存在しています。ただ、全面的に使わないだけです。それが古いことなのか?確かに、古い時代はさけられたものではありますが、ですが表現の中で使っている以上、存在は認めていたということです。調性音楽が古臭いのであれば、では現代社会に多く存在する、ポピュラー音楽は古臭いのでしょうか?そんなことはありません。むしろ調性音楽なのに新しいものがどんどん生み出され、消費されている時代です。

音楽が消費されることの是非を考えてしまうと本題から外れますのであえて詳しく書きませんが、しかし音楽は消費されつついいものが残っていくのはどの時代においても一緒ですし、また再評価もされるものです。そんな歴史を私たちは螺旋階段のごとく繰り返しつつ、時代は前進していったことを考えますと、不協和音を多用した音楽と調性音楽が並立するのも当然ありだろうと思いますし、それが現代という時代であるとも言えます。新しい様式は出てきにくいかもしれませんが、新しい様式というものは、そう簡単に出て来るものではありません。私たちの人生は長くても約100年。時の流れの中では一瞬ですが、私たちにとっては長い時間に感じるものです。もしかすると、新しい様式はすでに存在しているのだけれど、私たちが興味を持っていないだけなのかもしれません。そうなると、新しい様式というものは、もっと後の時代で俯瞰してやっと認識されるものなのかもしれません。

ウゴルスキが生まれ、育った時代と同様に時代が動き始めている今、音楽はどこへ向かうのか・・・いまを生きる私達は、とりあえずおのおのの人生が尽きるまで、見届けるようではありませんか!

 


聴いている音源
オリヴィエ・メシアン作曲
鳥のカタログ
 第11番:ノスリ
 第12番:クロサバクヒタキ
 第13番:ダイシャクシギ
ニワムシクイ
アナトール・ウゴルスキ―(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。