かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:メシアン 鳥のカタログ2

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、メシアンの鳥のカタログ、今回はその第2回目です。3枚組の2枚目となります。

メシアンの「鳥のカタログ」は、メシアンが作曲したピアノ独奏曲です。

ja.wikipedia.org

enc.piano.or.jp

今回取り上げるのは、第4巻~第6巻の4曲。なのでピティナの説明は第1巻だけなのですが、全曲を説明しているのはピティナでは第1巻の頁だけなので、第1巻のを提示しています。

いずれにしても、単に鳥を表現したのではなく、風景の中にいる鳥を表現したものだと言えます。え?ウィキペディアと違うではないか!という人もいるかと思いますし、実際私は前回ウィキペディアとは若干異なる見解を述べていますが、あくまでも作品を聴きますとウィキペディアとは若干異なる見解にならざるを得ないのです。実際、専門家も以下のような見解を持っておられます。

ontomo-mag.com

ontomo-mag.com

このONTOMOさんの記事を読む前に私は前回の原稿を書いていますが、ほぼ同じ見解にたどり着いたのは、自分の判断が間違っていなかった証明だと思っています。メシアンという作曲家がどのような作曲家なのかを考えると、まあ同じような見解にたどり着くのではないでしょうか。

この第2集に収録された第4巻から第6巻までの作品を聴いていても、鳥のさえずりのパッセージがはっきりと聴き取れる上で、その環境も同時に表現されていることがはっきりと聴き取れます。例えば、第8番「ヒメコウテンシ」では、複数のさえずりがはっきりと聴き取れます。それはつまり、1羽だけでなく複数が囀っているその風景を描いたものだと断定できるわけです。

ONTOMOさんの記事によれば、メシアンは取材において、テープレコーダーを持って行って録音しているそうです。ということは、テープを保存するときにいつ、どこで、何を記録したかを記載して残しておけるということです。

私の父が赤井電機のエンジニアだったということは、以前お話ししたと思いますが、その父は意外と子煩悩で、私が小さい頃、私の声をカセットテープに録音して、その様子であると言うことをカセットテープのラベルに記載をして残しています。そういうことを、カセットテープ全盛期には楽しんでいたのです。ビデオやDVDでも、ラベルでその内容を記録しておくのと同じなんです。同様にメシアンも、鳥のさえずりを取材した時、テープのラベルに記載してあったと考えていいでしょう。

なるほど、だから「カタログ」なのだと、はっきりします。こういうことが分かりますと、和声的には確かにおどろおどろしい部分はありますが、どこか親近感がわきますし、カセット世代だねえって思います。

演奏しているウゴルスキは、カセットテープやデッキが好きだったのかまではわかりませんが、少なくとも楽譜から曲の精神は掬い取っているように聴こえます。鳥のさえずりを表現するのに、どのような和声が使われているのか。その和声にはどんな意味があるのかということを、考え抜いて演奏しているように思います。むしろ、ウゴルスキはその和声を楽しみ、味わっているかのようにすら聴こえます。

こういうことが分かると、俄然聴いていて楽しいのです。単に作品の魅力だけでなく、演奏者がどのように作品に向き合っているのか、その向き合い方は聴衆側にとっても共感できるものなのか。そのあたりが明らかになると、その演奏が楽しめるようになるのが、クラシック音楽のすばらしさ、楽しさ、喜びだと思います。

上記ONTOMOさんの記事では、「酉のカタログはもはや古典?」という記載もありますが、カセットテープを知らない世代がいる昨今では、当然の流れではなかろうかと私は思いますが、皆さまはどう受け取られますでしょうか。

 


聴いている音源
オリヴィエ・メシアン作曲
鳥のカタログ
 第7番:ヨーロッパヨシキリ
 第8番:ヒメコウテンシ
 第9番:ヨーロッパウグイス
 第10番:コシジロイソヒヨドリ
アナトール・ウゴルスキ―(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。