かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:ディーリアス 管弦楽作品集

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はディーリアスの管弦楽作品集です。

以前も、ディーリアスの作品を収録した作品は取り上げているかと思いますが、まとめて収録されているのはこれが初めてなのかなって思います。

ディーリアスは、解説などでは革新的だとか、それまでにない音楽とか言われるんですが、私からすればあまりその言葉は似合わないなあと、聴けば聴くほど思います。ディーリアスは和声に置いては確かに当時としてはそれまでとは違った音楽を書きましたが、クラシックの伝統に即していないかといえば実はそんなことはなく、ベートーヴェンの音楽とは遠いと言われつつも、ベートーヴェンの第九の影響は彼の作品にそこかしこに見ることができます。

フレデリック・ディーリアス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9

私は大きく3つの音楽史上の影響を受けていると分析しています。一つは国民楽派。一つは民謡採集運動。そしてもう一つは象徴主義です。これら3つは当時、必ずしも一つにアウフヘーベンするはずがないと思われていたジャンルです。

例えば、民謡採集運動はそもそも、後期ロマン派の延長線上である国民楽派とは反対のものと言えますが、ディーリアスの音楽では見事に一つにアウフヘーベンしています。ワーグナー的なものがある一方で、そこに民謡採集運動の果実も反映されている・・・・・さらには、ドビュッシー象徴主義です。ウィキでは印象派と書かれていますがディーリアスはどの作品でも何かを象徴しているという言い方をしていることから、私は印象派というよりはドビュッシーの音楽に近いと思っています。

それは、ディーリアスの出自にもよるんだと思います。ドイツ系イギリス人で、親の期待に反して音楽の道を志すという・・・・・それは作品に綾のように折り重なっており、表面的には限りなく美しい牧歌的な音楽として結実しています。が、それはあくまでも表面的には、です。実際には音楽はそれほど単調ではなく、ドラマティックです。

まず1曲目の「アパラチア」は、彼がアメリカのプランテーションに従事している頃に作曲された作品です。黒人の歌や民謡が存分に使われている一方、これは変奏曲という形も取っています。これはディーリアスが好んだとされるグリーグショパンといった作曲家たちはあまり作曲しなかったジャンルで、むしろベートーヴェンこそ作曲し続けたジャンルでした。その意味で、私はディーリアスの「好み」というのはあくまでも旋律という意味であり、様式ではないと考えています。

2曲目の「高い丘の歌」は合唱付きの管弦楽作品。1曲目の「アパラチア」ではまだ歌詞があったものの、この「高い丘の歌」では歌詞がなくなっています。その差はあれど、この2つの作品に共通するのは、オケ付きの合唱曲であるということなんです。その上で「アパラチア」は変奏曲でもある・・・・・これ、何かににていると思いませんか?え、わからない?では、ベートーヴェンの第九第4楽章は合唱付き変奏曲であると言えば、わかりますよね?そう、明らかにこの2曲にはベートーヴェン交響曲第9番の影響が見て取れるんです。「合唱付き」という表題がつく、ベートーヴェンの名曲の。

それを含めて、ワーグナーの影響と見るべきではないかと思います。つまりは、ウィキには触れられていませんが、ディーリアスはワーグナーが編曲した第九のピアノ版を知っていた可能性があると思っています。第九という、それまでの交響曲とは異質のものを作曲したベートーヴェン。そのベートーヴェンに惹かれて楽劇まで至ったワーグナー。その影響を、北欧らしさへと落とし込んだグリーグ・・・・・それは心理学的には、自由になりたい!というディーリアスの心理を反映しているように思います。

最後の幻想序曲「丘を越えて遥かに」」は純粋な管弦楽作品ですが、循環形式など、実は音楽史を反映している作品なんですね。盛り上がりに欠けるのでそこが新しいと考えられたのかもしれませんが、実はクラシック以外にも目を向けてみると、ディーリアスの姿勢こそ音楽史のメインストリームであることがわかります。つまり、ディーリアスはそれまでの学究的であるからこその民衆と再度乖離し始めたクラシック音楽に対し、そもそも音楽全体のメインストリームをクラシック音楽に導入することで、意義を唱えた人だったと言えましょう。

http://www.liquiddive.com/blog/2010/10/31/conversation-with-death/

上記のエントリは、そもそもアメリカ民謡を取り上げているだけなので直接ディーリアス作品と関連があるわけではないんですが、音楽史に置いてなにがメインストリームだったのかを考える重要な材料だと思い、参考に挙げてみました。特に、民謡採集運動がなぜ19世紀〜20世紀にかけて巻き興ったのか・・・・・ウィキでも親交のあった作曲家の一人としてヤナーチェク(結果的に日本の極右に対しては強烈なアンチテーゼを持つ作曲家)がなぜいるのかも、そこから見えてくると思います。

演奏するは、ビーチャム、ではなくマッケラス指揮ウェールズ国立歌劇場管とその合唱団。ディーリアスの合唱作品好きなイギリス人らしい選曲だなあと思うと同時に、マッケラスならではのステディかつドラマティックなタクトにオケが存分に歌う!歌っているのは合唱だけはなく、オケもなんです。やっぱりオケは歌わなくっちゃ!レッツ・カンタービレ!故に全体はしっかり叙情的になりますし、それがじんわりと感動を呼び起こす。ビーチャム亡き以後のディーリアス作品演奏は、こんな大御所にも受け継がれているということを、知るいい機会のアルバムであると同時に、真のディーリアス像を知るためにも優れた演奏と選曲だと思います。




聴いている音源
フレデリック・ディーリアス作曲
アパラチア〜古い黒人奴隷の歌による変奏曲
高い丘の歌
幻想序曲「丘を越えて遥かに」
サー・チャールズ・マッケラス指揮
ウェールズ国立歌劇場管弦楽団・合唱団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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