今月のお買いもの、今回から平成26年8月に購入したものをご紹介します。まずはダンツィのファゴット協奏曲集です。ナクソスから出ているもので、ディスクユニオン新宿クラシック館での購入です。
さて、はたまたこのブログで初登場のダンツィという作曲家。このアルバムを買おうとしたきっかけは、確かこの作曲家は某SNSのコミュで取り上げていたような気がしたのと、ほぼ同じ時期に図書館で借りていたという事があったためでした。
フランツ・ダンツィ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A3
図書館で借りたのはウィキにもある、木管五重奏曲で、彼の代表作となっていますが、彼自身はチェリストというのが特徴かなと思います。つまり、彼も通奏低音楽器に近い演奏楽器の奏者であった、ということになるからです。それはクラシックの正統な伝統の延長線上にいる、という事を意味します。
彼の人生を見てみると、ハイドンとモーツァルトを足して2で割ったようなものですが、音楽的にはそんな割り切れるものではなく、同時代の様々な作曲家の影響を受けつつ、自らの独創性を形成していった作曲家であった、と言えるでしょう。
このアルバムをなぜ買ったかと言えば、その正統性に基づくのです。つまり、木管という楽器を協奏曲の独奏楽器として使うのは、バッハ〜古典派に至る時代の特徴とされるからです。前期ロマン派以降は、様々な楽器が使われるようにはなりますが、主に奏者のヴィルトォーソが強調できる楽器や、市民でも練習すれば弾けるピアノが主流になっていくからです。
それが証拠に、モーツァルトには木管楽器の協奏曲が幾つかありますが、ベートーヴェンには存在しません。そして二人ともピアノ協奏曲は存在し、それが二人の協奏曲の代表作となっているのです。
ところが、ダンツィは木管なのです。しかし、音楽は古典派〜前期ロマン派となっていて、これはまさしく同時代ではベートーヴェンよりはむしろシューベルトやウェーバーといった作曲家に近いものです。
実際、ダンツィはウェーバーの師であり、ウェーバーの作品を広めるのに資力した人です。リスペクトしているのですから、音楽が近いのは当然と言えましょう。
第1曲目はファゴット協奏曲ト短調。低い音のファゴットが、劇的であり、またサロン音楽のようで、様々な顔をのぞかせます。ファゴットには様々な色があるんだよと教えてくれているような作品ですが、実はこの作品、出版は20世紀になってからなんです。
今回取り上げる作品のほとんどは出版が20世紀に入ってからです。つまり、ダンツィはそれだけ忘れられていた作曲家であると言えるでしょう。しかし、音楽史上ではウェーバーやシューベルトなどと共に、重要な位置を占める作曲家であることが最近になって顧みられてきたと言えるでしょう。
最終楽章に民謡を使っているのが特徴で、当時の宮廷楽団というものの見方を、私達に再考させる作品です。
第2曲目がファゴット協奏曲第1番ヘ長調です。明るく伸びやかな第1楽章は、ダンツィの立ち位置を私達に明確に示しています。新しいことはしない代わりに、とことん楽しめる作品を宮廷音楽家として世に送り出す・・・・・それがまた、私達をほっとさせるのですから、素晴らしい作曲家だと言えるでしょう。1805年の作曲という時期も、納得です。ベートーヴェンがいかに前衛だったかを、教えてくれるものです(そのベートーヴェンをダンツィは尊敬していたのですから、音楽というものは様々な綾をおりなしつつでき上がっていくものだと考えさせられます)。
第3曲目が、ファゴット協奏曲ハ長調。この作品も20世紀になって発見され、出版された作品です。これも明るい作品ですが、上品でもあり、かつこれも民謡風です。ハ長調という「偉大な調」を使うという点に、私はダンツィが込めた想いを受け取るような気がします。シューベルトの「ザ・グレイト」同様、その明るさこそテーマであるように思うからです。彼の人生も決して順風満帆であったわけではありません。その中でも失わない明るさとは?そんなテーマが頭によぎります。
最後第4曲目がファゴット協奏曲第2番ですが、第3楽章のこれも民謡風の旋律が織りなす転調が面白く、美しさと面白さが同居するという、実に見事な作品です。平明さがありかつ上品で、聴けば簡単に聴こえる旋律も、よーく聴いてみれば「これは難しいな」と思う作品です。ただ、演奏者と聴衆が一体になれば、これほど楽しい作品もないでしょう。サロン向けも意識した作品なのかもしれません。そもそも彼は宮廷音楽家なのですから。
宮廷音楽家という地位でありながら、時代に即した作品がずらりと並んでいるのは壮観です。ファゴットという、ともすればその音の低さから存在感が薄くなりがちな楽器を、きちんと主役に据え、みごとにオケと会話するそのスタイルは、まさしく古典派から前期ロマン派をつなぐものです。
こういった作曲家がいて、ベートーヴェンがいるわけなんですね。つまり、すそ野が広いわけです。宮廷という「アンシャン・レジーム」にもまだまだ多くの作曲家がおり、一方でそれから自立すべく活動を始めたベートーヴェンのような前衛もいた・・・・・・その結果、現代から見れば、音楽の広い裾野と沃野が拡がっている・・・・・・そういう結果になっているのに気が付かされます。
その意味では、佐村河内氏を音楽以外の点で非難したのは、音楽史の観点からは正しかったのだろうかと、考える私です。
演奏は、そのダンツィの音楽の特徴を前面に出すべく、徹底して端整さを追求しています。変態演奏がお好きな方々には物足りないでしょうが、音楽そのものの特徴と、生まれた時代というものを考えた時、私はこれでいいと思っています。ダンツィのような作曲家と、その作品があって、ウェーバーがおり、シューベルトがいて、やがてシューマンやショパン、メンデルスゾーンが出でて、やがて後期ロマン派でブラームスに至る訳なんですから。
そういった作曲家の変態演奏というものは、あまり顧みられないと言うか、おそらくあっても話題にすら上らないのは、変態演奏というものがそぐわない作曲家だったり、あるいは作品であるものが多くなっているということを示しています。そういえば、メンデルスゾーンは今でも若干日本では虐げられている作曲家でしょう。端正さから実に様々なものが語られる作品が多いと思います。
ダンツィもそういった作曲家の一人であり、さすがにメンデルさんと比べると・・・・・ですが、それでも、端正さからいずる平安であったり、暖かさだったり、安心だったり、落ちつきであったりというものが、前面に押し出されています。私も元合唱団員ですから、演奏者の端くれですが、端正に演奏するというのは本当に難しいんです。しかもこの演奏、軽めですし。
なぜ難しいかと言えば、自我を折らないといけないからです。音楽に自分の身を委ねないといけないからです。それは本当に難しい。アマチュアだから余計なんですが・・・・・・
それを、いとも簡単に実現させて、演奏しているのは素晴らしいです。ナクソスにはそういった演奏が多いですが、今回もいい演奏に出会ったように思います。
聴いているCD
フランツ・ダンツィ作曲
ファゴット協奏曲ト短調
ファゴット協奏曲第1番ヘ長調
ファゴット協奏曲ハ長調
ファゴット協奏曲第2番ヘ長調
アルブレヒト・ホルダー(ファゴット)
ニコラ・パスケ指揮
ノイブランデンブルク・フィルハーモニック
(Naxos 8.554273)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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