東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、プライエルとダンツィのクラリネット協奏曲他を収録したアルバムをご紹介します。
ん?プライエルって誰?という人もいるかもしれません。特にプライエルは長年我が国ではプレイエルと表記されてきた作曲家。ああ、それなら知ってるという人もいるかもしれません。
特に、楽譜商、そしてピアノ製造会社を設立したことのほうが有名で、ピアノの「プレイエル」で有名でもありますので、「プライエル」と表記が変わってしまうと戸惑う人も多いかと思います。この借りてきたディスクでは「プレイエル」になっていました。そのほうがわかりやすい気はします。実際スペルでも「e」なのでアと発音はしないはずなのですが・・・・・どうやら、「y」が後ろに来ているので「アイ」と発音するみたいです。
そんなプライエル。そもそもは作曲家なので、作品も多く残していますが現在演奏されるのは少ないようです。とはいえ、有名な作品はいくつかあって、全く名が知られなくなったわけではない作曲家です。ここには二つのクラリネット協奏曲が収録されていますが、どれも古典派的な形式美を持っていて、意外と魅力的な作品ばかり。それだけに、如何にベートーヴェンの中期の作品がすごいのかをまざまざと見せつけられる結果になっています。
プライエルを下に見てベートーヴェンを「神格化」する今までの傾向には私は違和感を持っています。ベートーヴェンは人間として必死に生きようとしただけであり、神になりたかったわけではありません。決してプレイエルのこの二つのクラリネット協奏曲が駄作だとかではないわけで、この素晴らしい二つのクラリネット協奏曲が霞むくらい、ベートーヴェンの作品達は個性とエネルギーに富んでいる、ということなのです。その結果、残ったのがベートーヴェンであった、ということなんですから。
もう一人のダンツィも同様です。ここではクラリネットとフルートのための協奏交響曲が収録されていますが、これも気品を持ち洒脱な作品です。そもそもチェリストとしては名声のあったダンツィ。音楽家として非凡なものも持っていたわけなので、そんなに悪かろうはずがないんです。しかし、そのダンツィが高い評価をしていたのがベートーヴェン。
こういった作曲家たちに刺激を受けて、ベートーヴェンは自分の道を歩んでいった、ということになるでしょう。むしろプライエルとダンツィの二人はうらやましくベートーヴェンを見ていたのかもしれません。その後の二人の運命を見ていると・・・・・
演奏するのは、クラリネットがポール・メイエ。フルートと指揮がランパル。オーケストラはフランツ・リスト室内管弦楽団。特に指揮がランパルというのが特筆すべきだと思います。2曲目のクラリネット協奏曲はフルートでも演奏可能となっていることもあり、もともとフルーティストであるランパルはかなり快速テンポであってもフレージングを大切にしたタクトを振っており、実に爽快かつ楽しい演奏になっています。え、ベートーヴェンとかではないの?と思わせる収録曲を実に魅力的に演奏しています。さすが~
え、プロなら当たり前では?という、ア・ナ・タ。では、その当たり前にしてもらった演奏を、どのように受け取るのでしょうか?意外と「ベートーヴェンではないから」とかいう理由で排除していませんか?しかし、その排除の論理を手放せば、素晴らしい演奏はどこにも転がっています。
第九が演奏できない時期に、なかなかこのような作品が我が国で演奏されなかったことは、私は残念に思っています。果たしてそれは、たとえば西洋絵画を受け入れた、戦国期のキリシタンたちと比べて、どれだけ後の文化に受け継がれていくんだろうとい危惧を、私はもっています。
聴いている音源
イグナツ・ヨゼフ・プレイエル作曲
クラリネット協奏曲変ロ長調
クラリネット協奏曲ハ長調(1797)
(原題:チェロまたはフルートまたはクラリネットのための協奏曲)
フランツ・ダンツィ作曲
フルートとクラリネットのための協奏交響曲変ロ長調作品41
ポール・メイエ(クラリネット)
ジャン=ピエール・ランパル(フルート指揮)
フランツ・リスト室内管弦楽団
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