かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:五嶋みどりのシベリウスとブルッフ

神奈川県立図書館所蔵CD、今回はシベリウスのヴァイオリン協奏曲とブルッフスコットランド幻想曲です。五嶋みどりのヴァイオリン、メータ指揮イスラエル・フィルです。

この音源を借りましたのは2010年の7月。ちょうどシベリウスの楽曲に興味が向き始めていた時期です。シベリウスと言えばヴァイ・コンであるとの意見をきき、借りてきたのがこの音源です。

シベリウスと言えば、交響曲第2番やフィンランディアで有名な作曲家で、我国ではともすれば国粋主義的な作曲家というイメージがありますが、ヴァイオリン協奏曲はそのイメージが偏った見方であることを教えてくれます。

まず、ウィキの説明を挙げましょう。

ヴァイオリン協奏曲 (シベリウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9)

この演奏でもそうですが、この曲の特徴を一言でいえばまさしく「この協奏曲も独奏者がオーケストラと対等に渡り合っており、名人的な技巧を披露することを目的とする“通例の”協奏曲とは必ずしも相容れない。」というウィキの記述でしょう。旋律は現代音楽的な和音が響きつつ、オケとヴァイオリンが会話する、その意味ではとても古典的な作品です。

しかし、第1楽章ではウィキでいう「独創的」な部分が散見され、特に冒頭のヴァイオリンの導入です。古典的な協奏曲であれば主題をオケが奏したうえで独奏楽器がおなじ主題を演奏するのが普通ですが、この曲においてはオケとヴァイオリンがともに序奏を演奏し、その上でオケで主題が提示されるという構成です。これは聴く者をあっと言わせます。

この特徴が、全体をして民族的な部分が散見されながら、しかし音楽としてはもっと形而上というか、高みへと昇っています。

こういった部分が、シベリウスを評する時にスルーされがちのように思います。いや、していない人はたくさんいるのです。ただ、どうしても一部の国粋主義的に述べるほうが目立つので、それこそがシベリウスであると錯覚されがちだと思います。しかし、ヴァイオリン協奏曲を聴きますと、確かに愛国心はありますが、それに根差した、もっと別の次元を語っているように思うのです。

作曲した時期というものもあるでしょう。1903年に作曲され、1905年に改訂されたこの曲は、ちょうど交響曲でいえば第2番と第3番の間に当たります。まだまだ若いシベリウスの内面こそ、このヴァイオリン協奏曲に集約されているように思います。年齢的にはすでに中年にさしかかり、愛国心だけで音楽を盛り上げることに疑問を持ち始めた時期です。ウィキのこの記述に注目してほしいのです。

「初演後の1905年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いたシベリウスは、自らの協奏曲よりもさらに徹底してシンフォニックなこの作品に衝撃を受け、本作を現在我々が耳にする形に改訂したのだった。」

さらに初演後、初版の演奏を禁じたという点にも注目すべきだと思います。ブックレットでは、さらにヴァイオリニストとしてかつて歩もうとした自分の半生をも、この曲には反映されているとの記述もあります。

我国では、「不惑」と言われる年齢に、シベリウスはまだ迷っていた部分があったということになります。しかし、この時期を通過して、やがてシベリウスは「不惑」の言葉通りに、愛国心がごく自然な形で音楽に幻想的に現出するという、今言われるシベリウスの音楽の魅力が形成されていきます。

一方、ブルッフは以前あまり評価が高くない作曲家であると言いましたが、この音源ではシベリウスカップリングして、魅力を伝えてくれています。ブルッフナチスによって退廃音楽の烙印を押された作曲家ですが、「スコットランド幻想曲」を聴きますと、退廃音楽指定がまさしく恣意的であったことがよくわかります。そして、なぜブルッフが「コル・ニドライ」でユダヤの旋律を使ったのかも、理解できる作品です。

スコットランド幻想曲」は正式には「スコットランド民謡の旋律を自由に用いた、ヴァイオリン独奏と管弦楽とハープのための幻想曲 変ホ長調、作品46」といい、その元となったのが「スコットランド音楽博物館」というスコットランドの民謡を集めた作品集です。1864年から65年にかけてこの作品集に出会ったブルッフは、それからほぼ20年たった1879年から80年にかけて、幻想曲としてまとめ上げ、それがこの「スコットランド幻想曲」です。

そう、これも、そして以前取り上げた「コル・ニドライ」も、実はブルッフの民謡への興味、ひいては当時の社会の風潮であった「民族主義」に基づいたものだったのです。この時代、そういった民謡収集が開始されていました、後にそれは東欧ではバルトークヤナーチェクコダーイと言った作曲家がおこなっていますし、西欧ではカントルーブなどの作曲家がおこなっています。その先鞭であったにすぎないのです。

しかし、その民謡の中にユダヤがあったことが、ブルッフは悲劇であったと言えるでしょう。実際、音楽は明快で快活、それでいて瞑想的な部分もあり、とても美しい旋律によって気高さすらありますが、そういった音楽までも「コル・ニドライ」などのユダヤの旋律を使ったことで弾圧されたのです。

ナチスの弾圧が始まった時には既に作曲者は没していましたが、その後たどった演奏の歴史は何ともみじめです。こういったことは少なくとも音楽を愛する者としてはしたくないものです。

演奏を聴いていますと、五嶋女史のヴァイオリンは綺麗です。正確性といううよりもそれからくる美しさをそう表現していいでしょう。日本人として誇りに思う演奏です。それゆえに、シベリウスブルッフの音楽が持つ真の魅力を、余すところなく伝えてくれます。特に、ヴァイオリンがまるで人間のように歌い、歎き、むせび泣くところの豊かな表現は、聴いていて涙が出て来るくらいです。

これ、そもそもは国内盤なのです。こういったものは後世へ残すべきすばらしい演奏だと思いますし、カップリングだと思います。さすが図書館のライブラリであると思います。



聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
マックス・ブルッフ作曲
スコットランド幻想曲作品46(ヴァイオリンと管弦楽のための)
五嶋みどり(ヴァイオリン)
ズービン・メータ指揮
イスラエルフィルハーモニー管弦楽団



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