かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ブルッフ 交響曲全集2

今月のお買いもの、平成27年11月に購入したものをご紹介しています。今回はディスクユニオン新宿クラシック館にて購入しました、ブルッフ交響曲全集の2枚目を取り上げます。

2枚目には、第3番と、セレナーデが収録されています。ブルッフ交響曲を3曲書いており、その意味では第3番を収録するという事は当然ですが、面白いのは、たとえ時間の都合であったとしても、セレナーデが収録されている点です。

まず、第3番の説明と参りましょう。1888年に最終改訂されたこの作品は、主に1870年代のスケッチをもとにしています。若き日へのオマージュとも言えるこの作品は、大変生き生きとしており、明るさと溌剌さを持っています。

交響曲第3番 (ブルッフ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%95)

ブルッフ自身が、若き日にみたライン川へのオマージュとして、「ライン」と命名したがったこの作品は、同名のシューマン交響曲「ライン」の雰囲気を持つとされますが、趣は持っているとは思いますが、全く異なる雰囲気を持つと私は思っています。

シューマンの作品には、どこか哀愁もあるのですが、このブルッフのものはもっと明るいのです。そして溌剌としてますし、快活です。シューマンへのリスペクトは持っていたとは思うものの、私はそれほど同一視はしていません。同じ系譜であることは間違いないと思っていますが・・・・・

もし、シューマンブルッフとどちらの「ライン」好きですかと問われれば、私は迷うことなくブルッフと答えます。ただ、シューマンのが嫌いだと言うわけではありません。それだけ、ブルッフの作品は完成度が高いと言えるのです。

第1楽章の序奏から主題呈示部、展開部そして再現部と至る様子は見事です。どんなに憂鬱でも、明るくさせてくれます。シューマンはそれをもっと憂鬱にしてしまいかねないのですよねえ。まあ、それがまた味があるんですが。

こういったブルッフの「健康的」な部分を、単にユダヤと付き合っていたというだけで退廃音楽としてしまったナチス・ドイツ反知性主義は、全く持って犯罪だと言えるでしょう。わが国が真似しないこと祈ります。

さて、2曲目のセレナーデ。ヴァイオリンとオーケストラのためのとある通り、編成から見れば協奏曲と言える作品ですが、よく見ると交響曲的な部分もあり、まさしくセレナーデという名称に変更したブルッフの判断は正しいと言えるでしょう。その上で、途中から協奏曲からセレナーデに変更して作曲した点は、高く評価されるべきでしょう。

セレナード (ブルッフ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%95)

この作品を交響曲的でもあると私が判断する理由は、第2楽章がスケルツォでもあると言う点です。協奏曲ではあまりないこの様式を採用する点で、単なる協奏曲ではないということがはっきりします。ですから、セレナーデとしたのはそれなりの意図を持っていると言えるでしょう。

同じような作品が、ブルッフの周辺にあることに気が付きましたでしょうか。ブラームスピアノ協奏曲第2番です。

マイ・コレクション:ブカレスト・フィルのブラームスピアノ協奏曲第2番と「哀悼の歌」
http://yaplog.jp/yk6974/archive/647

ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)

この時、私はブラームスのこの作品を、「ピアノ交響曲」と形容しましたが、まさにこのブルッフもそうなのです。同じ楽章構成であることに気が付かれましたでしょうか。ブラームスは協奏曲としましたが、ブルッフはセレナーデにしたのでした。

ここに、ブラームスブルッフの、その差が出ているように思います。ブルッフブラームスの支持者でしたが、かといって熱狂的ではなかったのではないかという気がします。何も考えずにというわけではなく、自分のスタイルを持ったうえで、支持していたということが、ここからは浮かび上がってくるように思います。

もっと言えば、ブラームスピアノ協奏曲第2番はラディカルだと考えていた可能性すらあります。それよりも、古典派のセレナーデこそふさわしいと思っていたように思います。それはブルッフが意外にも保守的だということの現れです。

こういった作品があるにも関わらず、ナチス・ドイツブルッフの作品を退廃音楽として弾圧し、それは戦後も続いた・・・・・このことを、私達日本国民全員は知っておく義務があるようにすら思います。

この2枚目のソリストは、アッカルド。このブログでも紹介したことのある名ヴァイオリニストです。そのチョイスは良いセンスしているなあと思います。セレナーデがサラサーテを念頭に置いて作曲されたということを踏まえての様に思えるからです、実際、アッカルドはのびのびとした演奏で、生き生きとしています。そして、オケであるゲヴァントハウスはヴァイオリンと対等で、いい掛合をしています。この演奏からも、このセレナーデがブラームスピアノ協奏曲第2番を意識しているという事が明白でもある訳です。

おそらく、編集者あるいは指揮者のマズアは、その「ブルッフブラームスとの関係性」に重きを置いて、解釈やソリストの選択をしたように思うのです。それは視点を変えれば、いかにブルッフが虐げられてきたのかのアッピールでもありましょう。第3番が特にそうなのですが、生き生きとしていて、何か囚われから解放されたような、すっきりとした印象があります。意見表明というか、私たちはこの作曲家の作品を、これだけ演奏したかったのだという情熱が伝わってくるのです。その上で、決してアンサンブルは崩壊せず、むしろ素晴らしさは前面に出ているように思います。

ブルッフの素晴らしさを判ってほしい・・・・・そんな想いがひしひしと伝わってくる一枚です。とても素晴らしい買い物をしたように思います。感謝です。




聴いているCD
マックス・ブルッフ作曲
交響曲第3番ホ長調作品51
セレナード 作品75(ヴァイオリンとオーケストラのための)
サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(Philips PHCP-9172)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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