かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD;ハイドン交響曲全集21

神奈川県立図書館所蔵CDハイドン交響曲全集の今回は第21回目になります。第67番から第69番までになります。

今回も以下のサイトを参照しています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

ようやくほとんどが「聴衆への迎合と実験」期の作品となってきました。

まず、第67番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-67

1775年から76年にかけて完成したとされています。第1楽章の八分音符がならぶ音楽は早いパッセージだけでなく、何となくモーツァルトの曲を想像してしまいます。この曲が直接というわけではないでしょうが、こんな点もモーツァルトとの交流を想像させます。

第2楽章の落ち着いた音楽はハイドンらしく、それを受けたメヌエットの第3楽章もハイドンらしい落ち着いた音楽です。その上で急楽章はそれぞれ第1楽章第4楽章ともに軽快で、その上で気品を持つという、この時期のハイドンらしい音楽です。

モダンオケの演奏がそれをより引き立てています。

次に第68番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-68

作曲は1774年から75年にかけてと第67番の一年ほど前の作品になりますが、これも第1楽章には八分音符が多用される、軽快な音楽となっています。それでいて気品を持つというこれまたこの時期のハイドンらしい作品です。

それにしてもこういった作品の変遷は、エステルハージ家のハイドンびいきがなせる業でしょう。ハイドンの才能を見込んだとも言えそうですが、その裏にはハイドンの苦労がありました。こんどそういった点を中心に述べる機会を作りたいと思っています。

最後に第69番「ラウドン将軍」です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-69

作曲年は第67番とおなじ1775年から76年にかけてであり、この曲も八分音符の多用と、さらには長音の効果的な使用によって、堂々たる音楽が形成されています。ラウドン将軍とはオーストリア7年戦争で名をはせた将軍なのですが、その将軍に献呈されたとウィキにはありますが、っそこに注意書きがなされています。真偽のほどが確かではないようです。

交響曲第69番 (ハイドン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC69%E7%95%AA_(%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3)

できれば何か書物で確認したほうがよろしいかと思います。ハイドンの説明では確認できませんでしたが、同じウィキのラウドン将軍の項目で紹介がありましたので、献呈は事実のようです。ただ、前にも述べましたが、ハイドンの音楽はマリア・テレジアにとても評価されているのですが、ラウドン将軍はその独断専行の指揮から、マリア・テレジアには不評を買っていたようです。そのあたりが釈然とはしません。

エルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%87%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%B3

いづれにしても、ハイドンの時代は実は戦争が身近な時代であったということは知っておいていいと思います。さらにフランス革命など、市民革命のうねりが起きつつあった時代ということも、ハイドンの音楽を知るうえで非常に重要であると私は思います。この文脈だとベートーヴェンがあげられることが多いのですが、ハイドンもその波にのまれているだけでなく、そもそもこの「聴衆への迎合と実験」期はその市民へ向けた音楽が多く書かれているという点も、注目点です。そしてその演奏をエステルハージ家オーケストラがやったということも、注目点です。

そういったヨーロッパの近代と、ハイドンの音楽は実は密接な関係を持つという点こそ、もしかするとハイドンの音楽が日本では「軽薄」と言われるゆえんなのかもしれません。特にロマン派以降、音楽に精神性や文学性が強調されたことが、そういった点を増幅している点だと思います。それは決して悪いことではないですし、音楽がいろんな芸術と密接な絡み合いがあるためそういった点から迫ることはとても重要です。しかしハイドンの前衛は、まさしく大きな時代のうねりの中に身を投じた結果でもあります。それだけ当時の社会があらゆる場面で大きな転換点を迎えていたという証拠でもあるのです。

こういった点からハイドンを聴きますと、また違った「前衛作曲家」としての側面も浮かび上がってくるのです。そう考えてふと見てみますと、「ラウドン将軍」は第2楽章が一番長いものとなっていて、古典派交響曲としては珍しい形になっています。ハイドンはいくつかこういった交響曲を書いていますが、もっと古い時期にそれはよくあるのですが、この時期にあるということに、私は何かハイドンのメッセージを感じるのです。

それはもしかすると、単純なラウドン将軍賛美ではないかもしれません。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第67番ヘ長調Hob.I-67
交響曲第68番変ロ長調Hob.I-68
交響曲第69番ハ長調「ラウドン将軍」Hob.I-69
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ



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