かんちゃん 音楽のある日常

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コンサート雑感:オーケストラ・ダスビダーニャ特別演奏会~ショスタコーヴィチ没後50周年記念~を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年8月11日に聴きに行きました、オーケストラ・ダスビダーニャの特別演奏会のレビューです。

オーケストラ・ダスビダーニャは東京のアマチュアオーケストラで、ショスタコーヴィチを中心に演奏している団体です。

www.dasubi.org

毎年2月~3月にかけて定期演奏会を行っている団体なのですが、今年は8月にも演奏会をするということを第31回を聴きに行った時に知って、予定を開けておきました。大変珍しいことなので・・・

今回のプログラムは以下の通りです。

芥川也寸志 弦楽のための三楽章(トリプティーク)
ショスタコーヴィチ 交響曲第14番

この二つが並んで編成同じでしょ?とわかった方はかなりコアなクラシックファンです。実はオーケストラ・ダスビダーニャさんは第14番だけ定期演奏会で取り上げていませんがその理由の一つが第14番が室内オーケストラ、つまりは弦楽オーケストラが中心となっている編成だから、なのです。勿論芥川也寸志の作品は弦楽オーケストラのための作品です。

ですが、実はこの二つが取り上げらたのはいろんな意味が込められていると感じています。

ホールは今回江戸川区総合文化センター。正直多目的ホールで、いつもオーケストラ・ダスビダーニャが使う響きのいいホールとは異なります。ですがほぼ満席でした。

芥川也寸志 弦楽のための三楽章(トリプティーク)
芥川也寸志の弦楽のための三楽章は、1953年に作曲された管弦楽曲です。三楽章ということでは1948年に作曲された「交響三章」と似ていますが、トリプティーク(三連画)と題されていることから交響曲ではなく管弦楽曲です。ただ、NHK交響楽団アメリカ公演用に書かれた作品ということからして、三楽章ということは個人的には隠れテーマは自由だと思っています。戦争が終わってわずか8年しかたっていない時期でアメリカで演奏するということは、日本が生まれ変わったということを証明せねばならないことから、恐らくは自由を形式ではっきり示すため三楽章という形式を選んだと考えられます。

ja.wikipedia.org

実はこの翌年、芥川はソ連密入国しています。そこで大歓迎を受け、実はショスタコーヴィチとも面会しています。当地で出版も行っています。これだけでも芥川がショスタコーヴィチと関係があったことで芥川也寸志の作品が今回カップリングされたと考えられますがそれだけではありません。そもそも今年は芥川也寸志生誕100年です。それもあったと思います。また、芥川也寸志の父である文豪芥川龍之介はロシア音楽が好きでレコードもたくさん保有していた人であり、芥川也寸志自身ちいさいころから馴染んでおり好きなジャンルの一つでもありました。そのうえ、終戦後に旧ソ連の音楽の充実ぶりに衝撃を受けており、それがソ連密入国へとつながっています。当日のパンフレットにもはっきり説明書きがあったので、オーケストラ・ダスビダーニャが無関係にカップリングしたわけではないことははっきりしています。

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そのうえ、編成は弦楽オーケストラ。そりゃあショスタコーヴィチの第14番とカップリングになるわけです。そのせいもあったのか、終始集中力のある演奏。時代が時代なので和声としては不協和音も多用されている作品なのですが、実に生命力ある演奏なのです。第2楽章ではコル・レーニョもあって楽しい曲ですが和声は20世紀音楽的な不協和音が多用されていますので好き嫌いは分かれると思いますが少なくとも団員の皆さんは共感して楽しく演奏されていました。江戸川区総合文化センターのデッドなホールであるにも関わらず響きと言うよりもそこには魂の発露があり、私自身終始楽しめました。オーケストラ・ダスビダーニャが芥川の作品を演奏することはめったにないのですが、伊福部とも親交があった芥川ですがその伊福部の作品は第19回定期演奏会で1プロで取り上げており、そのこともあり全く違和感ない演奏なのはさすがでした。日本人だからということはありますがやはりオーケストラ・ダスビダーニャは20世紀音楽を演奏するとほんと楽しそうに弾くのが印象的です。

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番
ショスタコーヴィチ交響曲第14番は、1969年に完成した交響曲です。この頃、ショスタコーヴィチの体調は思わしくなく特に完成した年である1969年の入院は長期に渡ったことからショスタコーヴィチが新作を望み、完成させた作品です。それゆえか、テーマは「死」となっています。

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単に死だけではなく、私は個人的には抑圧による死がテーマであると受け取っています。詳しくはウィキペディアを参照いただきたいのですが、4人の詩人の詩が採用され二人のソリストによって歌われる作品ですが全て抑圧の中での死がテーマとなっているのです。これは明らかにショスタコーヴィチが入院の中で死をまじかに感じそれが人生における抑圧そして死と隣り合わせであったことがフラッシュバックした結果だと臨床心理学から言えるでしょう。当然、オーケストラとソリストは自らがその「抑圧された中での死」をどうとらえるかが表現上重要になってくるのです。

この曲に於いて私が最も注目する楽曲は、第8楽章「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェザポリージャ)・コサックの返事」です。実はこの曲が入っていることも今回取り上げられたきっかけだったのではと思っています。ショスタコーヴィチ没後50周年そして第8楽章はザポロージェ・コサックの返事がテーマ・・・ザポロージェとは括弧がついていますがウクライナザポリージャのこと(ちょうど原発があるところ)。ちょうど今ロシアによって占領されている地域で、現在進行形のロシアによるウクライナ侵攻における激戦地の一つです。その歌詞を一応挙げておきましょう。

www.hi-ho.ne.jp

いやあ、もう侮蔑の言葉がなんと並んでいることか!反骨精神に満ち溢れています。ですがちょっとソリストの松中さんは上品な感じがしました。もう少しやけっぱちでも良かったかなという印象はありましたが、むしろ反骨の気品を表わしたのかもしれません。その点では難しい曲だと感じます。

むしろそれ以外の曲は両ソリストとも実に情感たっぷりな歌唱をしていましたし、また彩るオーケストラも豊かに歌い、嘆き、悲しんでいるのが絶妙。コアの曲は第9曲なのですが、そこもしっとり。

実はこの曲に於いて、ショスタコーヴィチが心掛けているのは決して死を美化しないこと。偶然なのですが、ショスタコーヴィチが亡くなったのは1975年8月9日。その日付は日本人であれば強烈な印象を持つことでしょう。長崎原爆忌から30年という日に、ショスタコーヴィチはこの世を去っているのです。最後に演奏を望んだのは実はこの第14番。ですがその望みはかなわず、長崎原爆忌の日に世を去っているのです。日本人だと他人事に思えないくらいです・・・現在、死を美化する傾向がみられますがそれへのアンチという意味も今回込められていたのではと思います。パンフレットには一切かかれていませんがそれは日付を見て推して知るべしということだと思います。今年は終戦80年。それはつまりショスタコーヴィチが亡くなった日と同じ日である長崎原爆忌から80年を意味します。そのことをしっかりと踏まえた、ソリストとオーケストラの見事な哀悼の歌が全体を占めていたのは本当に素晴らしいことでした。死とは決して美しいものではなく、辛く悲しいことなのである、と・・・

編成が特殊でなかなか演奏できなかったとオーケストラ・ダスビダーニャさんは表明されていますが、個人的には定期演奏会ではなくこういう機会にいつか演奏することを願っていたからこそ定期演奏会では取り上げていなかったのではないでしょうか。特に芥川の記念年にこそと思っていたのではないでしょうか。ゆえに芥川也寸志生誕100年でありショスタコーヴィチ没後50周年、そして終戦及び長崎原爆忌から80年という今年となったと理解しています。そのうえで編成が特殊であるがゆえに団員全員が乗ることができない故特別演奏会という形を採る・・・そう考えると腑に落ちます。今年はいくつか記念年ということでショスタコーヴィチの作品を聞いていますが、レベルとしてはオーケストラ・ダスビダーニャを超える演奏もありましたがやはり魂をしっかりと掬い取っているということではさすがオーケストラ・ダスビダーニャの演奏でした。単なる激しさではない、もっと根源的な悲しみや苦しみを表現した演奏。第14番は日本でもあまり演奏例がない作品を取り上げるのはオーケストラ・ダスビダーニャならではです。まさにショスタコーヴィチ没後50周年にふわわしい演奏、そしてコンサートでした。来年の第32回定期演奏会も足を運びたく思います。

 


聴いて来たコンサート
オーケストラ・ダスビダーニャ特別演奏会~ショスタコーヴィチ没後50周年~
芥川也寸志作曲
弦楽のための三楽章(トリプティーク)
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第14番作品135
津山恵(ソプラノ)
松中哲平(バス)
長田雅人指揮
オーケストラ・ダスビダーニャ

令和7(2025)年8月11日、東京、江戸川、江戸川区総合文化センター小ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。