東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第27集を取り上げます。収録曲は、第178番、第94番、第101番の3つです。
①カンタータ第178番「主なる神われらの側(かたえ)にいまさずして」BWV178
カンタータ第178番は、1724年7月30日に初演された、三位一体節後第8日曜日用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。
このカンタータも普遍性を持つ作品だと言えますし、さらに言えば歴史を踏まえた作品だとも言えます。何故ならば、骨子は「理性の暴走を信仰で防ぐ」ということだからです。
時として、理性は暴走します。理屈で考えることは大切なのですが、時として論理的思考によって怒りに囚われて、悲劇が起こることもしばしばです。私たちは20世紀に経験済みですし、さらに言えばこの21世紀においても、怒りによって起こった悲劇を、例えばガザで、例えばウクライナで目撃しているわけなのです。
自分の頭と魂のバランスを取ることは、平時には簡単なのですが非常時になると難しくなることがあります。また、自分だけにしか関心がない時にも理性が暴走します。聖書が残された時代であっても同じであり、さらにバッハが生きた時代であっても同じであったと言えるでしょう。だからこそテキストとして採用されたと言っていいでしょう。この辺りは、どんな宗教を信じていたとしても、頭の痛い問題ではないでしょうか。それをバッハのカンタータが教えてくれます。
この演奏に置いても、その歌詞を十分に噛みしめられるよう、声楽がしっかりと聞き取れる器楽と声楽のバランスが図られています。重要な言葉がはっきりとわかるようになっていますしまたアクセントも強めにつけられています。それはモダン楽器だからこそという点もあります。ただ、やりすぎにもなりかねないのでそのあたりのバランスが図られています。5曲目にはコラールとレチタティーヴォの組み合わせがあり、その対比も絶妙です。
②カンタータ第94番「われいかで世のことを問わん」BWV94
カンタータ第94番は、1724年8月6日に初演された、三位一体節後第9日曜日用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。
現代人にはかなり突き刺さる内容なのではないでしょうか。本当の豊かさとは何かがテーマです。私たちはつい、お金がたくさんあることを至高のものと考えがちです。貨幣経済なのでしょうがないとは言えますが、しかしだからと言ってお金がたくさんあったとしても豊かさを感じられないことは、すでに多くの人が感じていることではないでしょうか。
それほどお金がなくても豊かに暮らすには(逆説的にはお金がたくさんあってもしっかり充たされるためには)、心や魂がいかに満たされているかが重要なのですが、このカンタータではそれを信仰に求めているわけです。これはプロテスタントのために書かれていますからその信仰ということになりますが、相対的に見てみれば、おのおのが信ずるものを大切にすることが真の豊かさにつながるということを論説するものとも取れます。何のためにお金が必要なのか、いくらあれば私たちは満たされるのか・・・これは、現代人にとっても重要なテーマだと言えます。
私自身も、京都の禅寺にあるような枯山水庭園で、「足るを知る」とはいかなることや?と考えたことがあります。座禅を組むということもその行為の一つでしょう。同じことを、バッハは第94番でもって会衆に行うために作曲したと言えるのです。そのため、こういった曲を聴くことはとても重要で、ゆえに普遍性があるのです。そして気が付くのは、実は第178番と第94番はセットになっていると言うことです。お金がたくさんあっても満たされるためには、自分だけではなく他者のことも考えましょう、という事。それはなにもキリスト者ではない人にとっても、重要なテーマなのではないでしょうか。
演奏に於いても、富と名声に関する部分に於いては激しい音楽になっています。故にモダン楽器を使っているこの演奏に於いては如何にやりすぎないかが重要です。音楽の三要素である、旋律と和声、そしてリズムを如何に統合した演奏にできるかということは重要で、バッハもその三要素を念頭に置いて作曲しているわけです。リリンクはそのバッハが目指した精神を、スコアリーディングによって十分に掬い取り、演奏者たちの表現に生かしています。故にリリンクの演奏に私たちは心を奪われるのです。
③カンタータ第101番「われらより取り去りたまえ、主よ」BWV101
カンタータ第101番は、1724年8月13日に初演された、三位一体節後第10日曜日用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。
この曲の根底にあるのは、16世紀に猛威を振るった、ペストによる被害です。それはとりもなおさず、マウンダー極小期の社会を振り返るということになります。戦争や災害の猛威から守ってくださいと、神に祈る曲であり、同時に信仰の大切さを説いていると言えます。
今年2024年も多くの災害がありました。元旦には能登半島地震、翌日2日には羽田空港における航空事故、9月には被災した能登半島で大雨、またJR貨物による脱線事故に、相次ぐバスドライバー不足によるバスの減便、自動車メーカーによる不正など、私たちの社会を揺るがすような事態が、戦争がなくても次々に発生しています。ペストの猛威を顧みるこの曲を聴くことは、私自身、災害に対してどのような心持ちでいるべきなのかを考えさせられるものです。準備をすることも大切ですがいざ被災した時に自分ならどのような心理になるのだろうと想像することもまた、重要だと考えさせられます。それだけの演奏でもあります。圧倒的な音で表現するのではなく、バッハが目指した音楽の三要素による聖書の世界の構築の再現が、モダン楽器によって適切に行われているからこそ突き刺さる歌詞の内容と、リリンクの解釈が素晴らしいことがその理由でしょう。その意味でも、リヒターはやりすぎ感を感じます。まあ、リヒターもおそらくPTSD気味の人だったためなのだとは思いますが・・・とはいえ、それは多くの人の共感を得るには不足かなと思います。私もPTSDを負っている一人なのでリヒターの解釈を否定はしませんが、バッハも最初の妻を亡くしたり、子どもを亡くしたりという悲劇でPTSDを追っていたはずなのに、そこから回復し芸術を紡ぎ出したことを顧みるとき、果たしてリヒターの解釈だけが正解だろうかとも考えるからです。それは私自身も回復の道を歩む者ゆえかもしれません。
人はどんな状況からも立ち直り、回復できる・・・バッハの音楽はその希望に満ちた音楽です。故に劇的なことだけを強調する演奏が果たして適切だろうかと、常に考えるのです。その意味でも、今回収録されている第178番は、私自身も突き刺さった曲でした。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第178番「主なる神われらの側(かたえ)にいまさずして」BWV178
カンタータ第94番「われいかで世のことを問わん」BWV94
カンタータ第101番「われらより取り去りたまえ、主よ」BWV101
アーリン・オジェー(ソプラノ、第101番)
ヒルデガルト・ラウリッヒ(アルト、第178番)
エルゼ・パースケ(アルト、第94番)
ヘレン・ワッツ(アルト、第101番)
クルト・エクヴィールツ(テノール、第178番)
アルド・バルディン(テノール、第94番・第101番)
ヴォルフガング・シェーネ(バス、第178番)
ジークムント・ニムスゲルン(バス、第178番)
ハンス=フリードリッヒ・クンツ(バス、第94番)
ジョン・プレッヒェラー(バス、第101番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。