東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他の演奏による、バッハの教会カンタータ全集、今回はその第15回目として第15集を取り上げます。
第15集には、第76番、第24番、そして第167番が収録されています。どれもライプツィヒに移ってから初演された作品です。
①カンタータ第76番「天は神の栄光を語る」BWV76
カンタータ第76番は1723年6月6日に初演された三位一体節後第2日曜日用のカンタータです。
2部制を取る大掛かりな作品です。そのせいか、かなり祝祭的な要素が強い作品でもあります。特にこのリリンクの演奏では、冒頭のファンファーレが壮麗です。それもそのはず、「三位一体節」を祝う色合いが濃い作品であるわけですから。
ですがやりすぎず軽めでもあることがむしろ作品を美しく彩っています。この辺りはリリンクがかなり意識でやりすぎないように降っているのではという気がします。そう感じるのは、最後のコラールの存在です。これが必ずしも長調ではないからです。
歌詞からすれば祝祭的にして明るくしてもいいのですが、どこかさみし気です。その意味するところを勘案して、派手にしすぎないことを心掛けたのでしょう。こういう表面的ではない点は高評価です。
②カンタータ第24番「飾りなき心こそ」BWV24
カンタータ第24番は1723年6月20日に初演された、三位一体節後第4日曜日用のカンタータです。
明るめの曲ではありますが、内容としてはかなり厳しいものです。「相手のことを慮る」というテクストですがそれを実行するのは大変であることは、現代を生きる私たちだけでなく18世紀であっても同様だった、ということです。そのテクストを踏まえてこれもモダン楽器はそれほど前面に出さず声楽が浮き上がるようになっているのは第76番とこの第24番で共通しています。何なら次の曲ですが。
③カンタータ第167番「人よ、神の愛をたたえよ」BWV167
カンタータ第167番は1723年6月24日に初演された、洗礼者ヨハネの祝日用のカンタータです。
この第167番の演奏もモダン楽器の性能を勘案して声楽とバランスを取っています。そのことによって歌詞の重要性が浮き上がるようになっているのは高評価です。この曲は最後のコラールも明るい曲ですが、途中で寂しげや厳しい雰囲気にしているため、リリンクもやりすぎないように心がけています。歌詞がある作品はやはりその歌詞に演奏はあっているかを考えないといけないわけですが、現代の私たちはつい「切り取り」をしますので全体の中で俯瞰しないことも多いので要注意だと思います。切り取っても問題ないこともあるわけなので切り取りが全て悪いというつもりはないんですが、時には切り取ることによって悪意を持った視点にもありますし全体が意味することから外れることもあります。リリンクはあくまでも全体を考えて各セクションを鳴らしているのが素晴らしいですし、特にソリストや合唱が歌う歌詞の内容がすっと入ってくるのが素晴らしい!
ここまででもそうですが、特にリリンクは声楽を重視した演奏になっているのが素晴らしいです。カトリックやプロテスタントの別なく、キリスト教は人間の声を演奏に置いて最上のものとしています。その視点を決して忘れないことは素晴らしい姿勢です。そのうえでモダン楽器を使っているということはどういう効果に至るのかを考え抜いていると言えましょう。そしてそういう視点が実は、ポピュラー音楽に受け継がれているということを知ると、バッハのカンタータは私たちが効く時に俄然光を放ち始めることもあるのですから、不思議なものです。いやそれはそもそも作品が内包しているエネルギーだと言えるでしょう。リリンクはその「エネルギー」をうまく引き出していると言えましょう。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第76番「天は神の栄光を語る」BWV76
カンタータ第24番「飾りなき心こそ」BWV24
カンタータ第167番「人よ、神の愛をたたえよ」BWV167
アーリン・オジェー、カトリン・グラーフ(ソプラノ)
ヘレン・ワッツ、ヘルルン・ガルドウ(アルト)
アダルペルト・クラウス(テノール)
二クラウス・テューラー、ジークムント・ニムスゲルン、ヴァルター・ヘルトヴァイン(バス)
ヘルムート・リリンク指揮
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
シュトゥットガルト・バッハ・合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。