かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:リリンクとシュトゥットガルト・バッハ合奏団によるバッハカンタータ全集16

東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第16集を取り上げます。

収録されている曲は、第136番、第105番、第46番の3つです。いづれもバッハがライプツィヒに移りトーマス・カントルに就任した1723年に作曲・初演された作品です。

カンタータ第136番「神よ、われを調べ、わが心を知りたまえ」BWV136
カンタータ第136番は1723年7月18日に初演された、三位一体節後第8日曜日用のカンタータです。

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自らの信仰は神に吟味されても大丈夫なものなのかを問う内容です。故に冒頭合唱の華やかさからは打って変わって、2曲目からは必ずしも明るく壮麗な音楽だけということではありません。その内容をモダン楽器使用でいかに実現させるべきかに心が砕かれています。ここでも、ともすれば性能のいいモダン楽器を精一杯鳴らすのではなく抑え気味にして、声楽を浮かび上がらせ、その「歌詞」に目を向けさせるよう仕向けています。常に思いますが、バッハのカンタータは是非ともドイツ語との対訳を見ながら聴くことがおすすめです。なぜなら、歌と歌詞との関係性がよくわかることで、意味が理解しやすいからです。幸い、バッハのカンタータは翻訳がネット上に存在しますので、取り上げず歌詞はわかるのですが、ドイツ語との対訳がそろっていないことが問題点かなと思っています。この第136番に関しては、対訳た存在しますので挙げておきます。ちなみにドイツ語と英語なので、英語を日本語に自動翻訳してくれるGoogle chromeの機能を使って日本語訳を見ています。

www.emmanuelmusic.org

例えば、第5曲の2重唱では、「Blut」(血)が強調されています。カンタータではよく出て来るワードです。このように歌詞と元のドイツ語が分かりますと、この曲がかなり厳しさを教徒に突き付けていることがわかります。ですがそれをやりすぎると上から目線になりかねません。そのあたりのさじ加減がリリンクは絶妙で、ドラマティックでありつつも素朴さが存在することで、歌詞、つまり作品の本質に気づけるように演奏しているわけなのです。

カンタータ第105番「主よ、裁きたもうことなかれ」BWV105
カンタータ第105番は1723年7月25日に初演された、三位一体節後第9日曜日用のカンタータです。ちょうど1曲目の第136番の翌週に演奏されたことになります。

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冒頭の合唱も、内容的に厳しいものであるため、この作品の内容がかなり厳しいものであることを予感させるに十分です。一方でリリンクはここでもやりすぎず、モダン楽器の性能をやや抑えることで声楽、つまり「歌詞」に意識を向けさせています。そのことによって作品が意味するところを理解させようとしているわけなのです。この辺りはさすがだと言えます。ちなみに歌詞はこちらです。幸い日本の団体による対訳なのでわかりやすく助かります。こういうサイトが少ないのですよねえ。

bach-kreis-kobe.music.coocan.jp

如何にもキリスト教的な内容ではあるんですが、異教徒の私たち日本人であっても、「これ、あるよなあ」と思う部分も散見されます。例えば、第3曲ソプラノ・アリア。自分を棚に上げて他者を非難することは、私たち日本人であっても日常でよく目にすることではないでしょうか。仏教ではそれを「煩悩」と呼んで、禅宗においては座禅によって手放す修行をしたりするわけで、何もキリスト教の専売特許ではありませんが、プロテスタントではさらに厳しく戒めているとも言えます。それはカトリックの「堕落」によってアンチとして生まれたプロテスタントならではと言えます。日本でも鎌倉新仏教は旧来勢力へのアンチから生まれていますし、世界を見回せば例はあるのですよね。

バッハのカンタータは、その意味では私にとっては歴史を常に振り返させてくれる存在にもなっています。特にリリンクの演奏はその効果が大きいと言えます。

また、第5曲では世俗の富に囚われることがいかにむなしいことかにも付言しています。聴きどころは財産という意味の「Mammon」と否定の意味の「nichts」です。どういうウェイトで強調されているかが、何回かの繰り返しの中で異なっています。それがなぜなのかを考えるとこのカンタータの本質に迫れるかと思います。私としてはバッハ・コレギウム・ジャパンのようにもう少し強めの方が好きですが、とはいえモダン楽器とのバランスや手放すことで喜びを得るというテクストで考えますと、このリリンクの表現も十分アリです。そもそもこの第5曲は長調です。それがなぜなのか?と考えると気付きがあると思います。


カンタータ第46番「考えみよ、かかる苦しみのあるやを」BWV46
カンタータ第46番は1723年8月1日に初演された、三位一体節後第10日曜日用のカンタータです。つまり、第105番の翌週の作品ということになります。

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つまり、ここでリリンクは3週連続の作品を取り上げているわけです。つまりガチで年代順、なんです。さすがにここまではバッハ・コレギウム・ジャパンでもやっていません。やはりいくつかの演奏を聴くということは大事だと思いますが、とはいえそれを全部購入していたら破産します。図書館を有効活用することがいかに大切かが、このことからもわかります。府中市立図書館には感謝です。

このカンタータような感情を、実は今私は感じています。JR東日本久留里線がついに末端区間廃線、バス転換が決定し、小湊鉄道も末端区間廃線決定、さらに青森県弘前市弘南鉄道大鰐線も事実上の廃線が決まり、鉄道ファンでもある私としては、まさに「神殿が崩れる」かのような悲しみが襲っています。勿論、形あるものは崩れるものではありますが、今まで走っていた路線が無くなろということはやはりさみしさ以外の何物でもありません。特に3曲目の「嵐」や「稲妻」はまさに鬼気迫るもので、私の中にも嵐や稲妻が起こっています。

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その部分の表現も、リリンクはうまいです。勿論プロですから当然とは言えますが、楽器と声楽のバランスが良く、歌詞と調性の関係性を踏まえた演奏になっていることで、作品の本質が浮かび上がります。おお、リリンクよ、同志だ!と思わず叫びたくなります。

歌詞と対訳を見ながら聴きますと、リリンクがいかに細部に神経を使って指示を出し演奏しているかが浮かび上がってきます。それを古楽ではなくモダン楽器でやるというリリンクの潔さは、古楽演奏全盛の現在でも評価されるべき演奏であるとこの第16集を聴いても感じます。

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第136番「神よ、われを調べ、わが心を知りたまえ」BWV136
カンタータ第105番「主よ、裁きたもうことなかれ」BWV105
カンタータ第46番「考えみよ、かかる苦しみのあるやを」BWV46
アーリン・オジェー(ソプラノ)
ヘレン・ワッツ(アルト)
アダルペルト・クラウス(テノール
ヘルムート・リリンク指揮
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
シュトゥットガルト・バッハ・合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。