かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:砂川オペラプロデュース「蝶々夫人」を聴いて

コンサート雑感、今回は平成26年11月1日に行なわれた、オペラ「蝶々夫人」を取り上げます。場所は代々木八幡の白寿ホール。

砂川オペラプロデュースと言っても、それは毎年私が聴きに行きます、コア・アプラウスの関係です。実はこのブログで以前、魔笛を取り上げています。

コンサート雑感:モーツァルト歌劇「魔笛」を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/631

今回はそれが、蝶々夫人であったということです。

さて、今回はいろいろ書きたいことが山積みなんですが、基本、演奏に絞って行きたいと思います。けれども、やはりまずは蝶々夫人等作品に触れなくてはならないでしょう。

蝶々夫人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%B6%E3%80%85%E5%A4%AB%E4%BA%BA

プッチーニの有名なオペラだってことは、クラシックファンであればよくご存じだと思いますが、実際にあらすじを読んで、どう感じますでしょうか?

実は私は、この作品はプッチーニの様々なメッセージに彩られていると感じています。その象徴が、タイトルロールである蝶々夫人です。

作品が作曲された19世紀末という時代は、世紀末というくくりで言われることが多いのですが、私はそのくくりだとこの作品が持つメッセージを違って受け取るように思うのです。勿論、旋律はジャポニズムですし、世紀末色たっぷりですが・・・・・

同じ時期、世界では欧米列強がアジアやアフリカを植民地とする「帝国主義」の時代だったのです。むしろその視点で見ると、プッチーニのメッセージが浮かび上がってきます。ウィキのこの記述に注目です。

「当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、現地妻となった女性が多く存在していた。また19世紀初めに出島に駐在したドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、日本人妻がいた。下級の軍人が揚屋などの売春宿などに通って欲望を発散する一方、金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。この際の婚姻届は、鎖国から開国にいたる混乱期の日本で、長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認しており、飽くまでも一時的なものだった。相手の女性も農家から長崎の外国人居留地に出稼ぎに来ていた娘であり、生活のために洋妾になったのである。互いに割り切った関係であり、この物語のように外国人男性との関係が真実の恋愛であった例は稀である。現に、シーボルトの日本人妻だった楠本滝は、シーボルトの帰国後に婚姻・離婚を繰り返している。まして、夫に裏切られて自殺をした女性の記録は皆無であり、蝶々夫人に特別なモデルはいない創作上の人物であると考える説も有力である。」

つまり、蝶々夫人は、帝国主義の中で悲劇の象徴として描かれていると言えます。誰か直接のモデルがいたわけではなく、ある人物を確かにモデルにしているが、それは借り物であるといえるでしょう。最後、キリスト教に改宗したにも関わらず、自害(つまり、キリスト教で禁じられている自殺)をするという設定も、そんな視点を浮びあがらせてくれます。

ただ、それを直接言ってしまうと興業的にも成り立たないため、いろんな色で染め上げたといえるでしょう。しかも、作品としてはプッチーニのオペラの最高傑作とも言える内容です。そういったオブラートに包みこんで、わかる人にはわかるような暗号を随所に織り込んだのが、蝶々夫人であると私はとらえています。

その視点で今回の演奏会を見てみれば、まず、最初に触れておきたいのは、この演奏は、全曲を演奏したものではないということを上げておきましょう。まあ、抜粋に近いと思いますが、実際は端折った部分は、ピンカートンの妻ケイトに語らせているのです。これは面白い演出だと思いました。

その上で、実はオケではなく弦2本とピアノだけという編成なのです。それで演奏が成り立つのか?この作品は和声も重厚だし、フルオケ以外は考えられないのではないかというのは、とても日本人的発想だと思います。というのは、本場イタリアではそんな編成の演奏会が数多く狭い会場で演奏され、そのチケットは安価で販売されているのです。下手すれば、ただ、なんて演奏会も・・・・・

今回のこの編成は、その本場イタリアの、小さな演奏会そのものであり、さらにわかりやすくナレーション(ケイト)を入れるという演出で、作品を俯瞰することができてとてもよかったと思います。少なくとも私はこれで全曲きちんと聴きたいと思いました。

しかも、その曲のセレクトは、帝国主義の時代の中で翻弄された一人の女性の悲劇というテクストによく沿ったものだったといえます。主要な曲が並んだだけですが、それでも幕末日本の風俗や風習が反映され、蝶々夫人が下級軍人の身勝手に翻弄されたことがよく分かる内容だったと思います。しかも、夫であり下級軍人のピンカートンは良心の呵責にさいなまれる場面もあります。私はこここそ、プッチーニが言わんとする部分(つまり、列強に対する痛烈な批判)だなあと思いましたが、この場面の各歌手の表現力は格別でした。ベルカントのピンカートンの叫ぶような歌唱、沈痛な総領事シャープレス、そして傷つきながらも毅然とした蝶々夫人。いずれも格別でした。

特に蝶々夫人は、登場から絶好調で、上昇音形での力強く安定した歌唱が、主役の存在感を十二分に表わしていたのも好印象です。いつものあの不安定さはどこ行った?って感じです(いや、これが普通なんですよね、ね!)。

稲見女史の特徴である、情熱的で、クライマックス目指して上りつめていく歌唱が、今回はバッチシだったと思います。顧みれば、この蝶々夫人という役柄はメゾソプラノである稲見女史にぴったりです。ウィキのこの記述に注目です。

「色彩的な管弦楽と旋律豊かな声楽部が調和した名作で、日本が舞台ということもありプッチーニの作品の中では日本人に最もなじみの深い作品である。特に第2幕のアリア「ある晴れた日に」は非常に有名である。反面蝶々役の歌手にとっては終始出ずっぱり・歌のパートも長く多い(第二主役であるピンカートンの数倍に及ぶ)ため、また若く愛らしい娘の役であるにも拘らず、プッチーニのソプラノ諸役の中でも特にテッシトゥーラが低く、中低音域に重点を置いた歌唱が求められるため『ソプラノ殺し』の作品とも言われる。」

そう、通常のソプラノでは難しいこの役も、メゾであればそれほどでもないわけで、まさしく彼女にぴったりである訳です。それは、のびのびと歌えるなあと納得です。その上、歌っている時の表情の豊かなこと!これは稲見女史のいい点でもあるのですが、完全に役に入り込んでおり、最後の自害の場面では鬼気迫るものすらありました。多くの聴衆が涙を禁じ得なくなっていました。

ただ、私はこの演奏では泣いておりません。こういってしまえば感動していないのかと言われそうですが、そんなことはありません。勿論感動しています。しかし、だからこそ様々なプッチーニのメッセージを受け取って、非常に考えることが多かったのです。例えば、我が国も決して他人事ではない、慰安婦の問題だったり・・・・・

様々なメッセージが詰まっているなあと思うと、泣くよりも、その悲劇性のほうに注目してしまうのです。それはおそらく、私が史学科出身だからでしょう。つまり、音楽として聴いているけれども同時に、歴史家として聴いているのです。だからこそ、泣けないんです。分析してしまうから。

私は感動したいと思って足をはこびますが、泣きたいと思っていくわけではありません。勿論、結果泣くことになればそれは素晴らしい演奏会だったなと思いますが、かといって泣けなかったといってひどい演奏会だったとも言いません。泣かなくとも言い演奏会だったと述べてきたコンサートはこのブログでも数々あります。今回の演奏会は、素晴らしかったからこそ、私の歴史家としての視点を存分に引きだしてくれたのです。

今まで、私は蝶々夫人と言えば、舞台を日本にした世紀末オペラとしか捉えていませんでした。単なる男女の恋物語であり、単なる悲しみを表現した作品だ、と。しかし、悲しみではなく、哀しみを表現した作品だったのだと、気づかされたのです。

プッチーニもクリスチャンです。にも関わらず、共感として最後に自害を持ってくる・・・・・プッチーニのメッセージがここにも詰まっているわけです。特に、日本人であるからこそ、この部分に共感するのです。死を選ばなければならなかった、喋々さんの悲哀・・・・・

それに気づかせてくれた今回の演奏会は、私にとってとても印象に残るものでした。携わったすべての方に感謝します。




聴きに行った演奏会
砂川オペラプロデュース「蝶々夫人
ジャコモ・プッチーニ作曲
オペラ「蝶々夫人
砂川稔(公演監督)
中村敬一(構成・演出・台本)
稲見里恵(蝶々夫人
征木和敬(ピンカートン)
清水良一(シャープレス)
牧野真由美(スズキ)
鳴海優一(ゴロー)
三井真理子(ケイト・語り)
小島彩佳(ドローレ)
田中由佳、生駒侑子、鈴木絵里(女声アンサンブル)
今野菊子、上田伸子(コレペティトゥア)
草川正憲指揮
瀧田亮子(ピアノ)
平野悦子(ヴァイオリン1)
山本有紗(ヴァイオリン2)

平成26年11月1日、東京渋谷区、白寿ホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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