かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:イタリア管弦楽作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はイタリアの作曲家たちによる管弦楽作品を収録したアルバムをご紹介します。

こういう手合いはナクソスであることが多いのですが、おそらくナクソスではなかったと思います。リッカルド・ムーティー指揮、ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団の演奏ですので。

でも、こういうコンビが演奏するような内容ではあります。ポンキエッリにカタラーニ、そしてプッチーニ。ザッツ・イタリアンというラインナップ。ですが、カタラーニは私は聞いたことがありませんでした。ポンキエッリは、NHK・FMで毎週金曜の午後にやっているオペラ番組で聴いたことがあったような・・・・・というレベル。

なので、こういうアルバムは、私の視野を広げてくれるので、大変ありがたいものになっています。

まず、ポンキエッリの「哀歌」。ポンキエッリはオペラで有名な人なので、その管弦楽作品はあまり知られていないのが実情です。その中でもこの「哀歌」はネット上ではヒットしない名曲だと思います。文字通り、何かを哀悼する感じが作品からにじみ出ており、ポンキエッリのオペラも、聴いてみたいなあとさせるのに十分。

次が、カタラーニの作品二つ。「スケルツォ」はまるで古典派の作品かと見まごう音楽ですが、カタラーニは19世紀イタリアで活躍したオペラ作曲家なので、バリバリの後期ロマン派。習作かもしれませんね。もう一つの「瞑想」は後期ロマン派らしい香りに満ち、音楽に耽溺できる作品。

最後が大御所、プッチーニ。だれでも知ってる作曲家だと思いますが、この人も管弦楽作品はあまり知られていない人だと思います。「交響的前奏曲イ長調」はあまーい旋律に支配されている、プッチーニらしい作品。「歌劇「ヴィルリ」より間奏曲」もそんな甘さもあるものの、間奏曲なので素早く過ぎ去っていきます。そして最後が「交響的奇想曲」。これはワーグナーで言えばジークフリート牧歌のような作品で、プッチーニのオペラの旋律がそこかしこに引用されています。特に冒頭は「ラ・ボエーム」の第1幕開始動機がそのまま引用されており、オペラが始まるのか?と勘違いするほどです。

この3人とも、オペラ作曲家ですが、魅力的な旋律を使って管弦楽作品も書いていることに驚かされます。特にポンキエッリの「哀歌」は、壮麗さもあるので、聴きどころ満載。もっと管弦楽も評価されていい作曲家だと思います。

ムーティのタクトは常にどんなオケでも生命の躍動を表現させますけれど、このスカラ座フィルでもその性質は変っておらず、むしろオペラ座のオケのフィルハーモニーであるという利点を最大限生かした、生命の躍動を感じる演奏になっています。ポンキエッリの「哀歌」での壮麗さと雄大さ、そしてカタラーニの静謐さ、プッチーニの人生の酸い甘いも知った音楽を人間の内面として表現しているものを、管弦楽作品としてまとめ上げていることにフォーカスした解釈などなど、上げればキリがありません。しかも、この魅力的な演奏のおかげで、カタラーニという知らなかった作曲家の作品に出合えることなど、なんと幸せなことでしょうか。

それが、税金だけで楽しめるのです。新型コロナが落ち着いたら、ぜひとも神奈川在住・在勤の方は県立図書館へGO!

 


聴いている音源
アミルカーレ・ポンキエッリ作曲
哀歌
ルフレッド・カタラーニ作曲
スケルツォ
瞑想
ジャコモ・プッチーニ作曲
交響的前奏曲イ長調
歌劇「ヴィルリ」より間奏曲
交響的奇想曲
リッカルド・ムーティ指揮
ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。