かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ハイティンクとロンドン・フィルによるリスト交響詩全集2

東京の図書館から、シリーズで小金井市立図書館のライブラリである、ハイティンク指揮ロンドン・フィルによるリストの交響詩全集をとりあげていますが、今回はその第2集をとりあげます。

番号順で収録されているこの全集、第2集には第4番「オルフェウス」から第7番「祭典の響き」までが収録されています。リストの交響詩にはあまり番号が付されることはありませんが、なくはありませんので、一応番号で呼びたいと思います。

どれも私にとっては神奈川県立図書館で借りてきたブリリアント・クラシックスのもので聴いたことがあるものばかりですが、ハイティンクロンドン・フィルというコンビならではの、深い譜読みと表現力が紡ぎだす世界は、ブリリアントのものとはまた一味違ったものとなっています。

もちろん、演奏によってはブリリアントのほうがいいなあ、いや、こちらのほうがいい、というものはあります。けれども全体を通してみれば、ではこの全集を排除できるのかと言えばそんなことはなく、実にリストの交響詩というものの本質を十分に踏まえた演奏になっているのではないでしょうか。

特にこの第2集ではそんな演奏が多く、特に第5番「プロメテウス」と第6番「マゼッパ」はそんな本質を突いた演奏が魅力的。第4番「オルフェウス」も壮麗さが特にいいですし、第7番「祭典の響き」も、将来への期待とか、喜びと言ったものが演奏からあふれんばかりとなっています。

ここでは、各曲の説明は省きますが、文学に触発されて、自在に表現するというリストが確立した交響詩というものの本質が、各曲の演奏からにじみ出るのはさすがこの名コンビだと思います。ブリリアント以外であれば真っ先にこのハイティンクロンドン・フィルのものを挙げたいと思っています。

それだけの演奏の「深さ」というものが、特にハイレゾ相当で聴きますと感じられます。ここがPCで聴くいい点ではないかと思っています。借りてきたCDをリッピングして、PCではソニーのMusic Center for PCでDSEE HXをオンにして聴きますと、本来16ビット44.1KHzでデータが記録されているはずのものが、修正されて24ビット192kHzであるかのようになると、そこに空気感が感じられるのです。

その「空気感」が放つ、作品の本質・・・・・リッピングした時に、WMPで聴いていた時とはちょっと違った様相を呈しています。本来はWAVで聴いてレビューと考えていて、ここまで来たのですが、最近のレビューはほとんどMusic Center for PCで聴いて書いています。いやあ、ソニーは本当にすごい会社だと思います。もちろん、アプリですので限界はあります。どんなに頑張っても疑似ハイレゾですので。

でも、ほとんどが問題なくハイレゾ相当で聴けてしまい、WMPで聴いていたのとは多少異なる「音」になるのを経験しますと、正直戻れなくなります。特にリストの交響詩のような、一話完結作品なら、ほとんどDSEE HXでハイレゾ相当にして問題ないと感じています。ただ、一部そうはいかないものがあるので、upconvもPCには入っていますし、CDをアップサンプリングでリッピングできるdBpowerampも入れていますけれど。

おそらく、PCで聴くならその3つがあれば、ほとんど音質的な問題はないんじゃないでしょうか。その点は、語れる時があれば「音楽雑記帳」のほうで語ることができればと思っています。とにかく、この第2集に収録されている演奏を、Music Center for PCでDSEE HXをオンにして聴きますと、WMPではベールの向こう側だった作品が突如そのベールを脱ぎ、物語はじめるのです。それは指揮者とオケによる、作曲者の代弁のようにすら、聴こえてくるのです。

その「ベール」が実はノイズだったりするんだと、最近気づき始めた私です。

 


聴いている音源
フランツ・リスト作曲
交響詩第4番「オルフェウス
交響詩第5番「プロメテウス」
交響詩第6番「マゼッパ」
交響詩第7番「祭典の響き」
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。