かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ハイティンクとロンドン・フィルによるリスト交響詩全集1

東京の図書館から、今回から4回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、ハイティンクロンドン・フィルによるリストの交響詩全集のアルバムをご紹介します。

以前、図書館にあるCDなんて、有名どころばかりだろ?と揶揄されたことがありますが、それがどうした?というのはわたしの中にあります。だからこそ、そんなものは図書館で借りてくればいいだけの話、なのです。しかも、下手すればそのほうが断然いい音で鳴ったりもします・・・・・

このアルバムも、確かそもそもはフィリップスだったと思います。いまや懐かしのレーベルです。今デッカですもんねえ・・・・・

あるいは、まさにデッカかもしれません。ハイティンクロンドン・フィルのコンビですしね。いずれにせよ、このコンビも名盤が多く、名コンビだと言えます。このリストの交響詩全集も全体的には名盤だと言えるかと思います。

ただ、私としては実はその前に、神奈川県立図書館で全集を借りています。ブリリアント・クラシックスからのものだったと思いますが、その演奏も捨てがたい素晴らしい演奏で、正直二つを比べると甲乙つけがたいと思っています。

ハイティンクロンドン・フィルの全集は作曲順というか、番号が振られており、その番号順となっています。リストの交響詩で番号が振られているのは珍しいと思いますが、リストの交響詩はリストにとっては交響曲と同様だと考えれば、番号を振っていもいいのかなとは思います。

今回取り上げる第1集には、第1番「山の上で聞きしこと」から第3番「前奏曲」までが収録されています。この3曲はリストの交響詩の中でも有名どころですが、そのどれも、ハイティンクのタクトが冴え、ロンドン・フィルの没入したかのような熱い演奏は、素晴らしいものです。

特に、第1番と第2番「タッソー」は、さすが巨匠という風格を持つ解釈になっていて、特にソニーのMusic Center for PCでDSEE HXをかけてハイレゾ相当で聴きますと、その壮大で雄大な世界がスピーカー越しに立ち上がってきます。まさに後期ロマン派の分厚い編成ならではです。

一方で、「前奏曲」はそれほど壮大という感じはありません。むしろ人間が死を恐れながらも前進していくという、内面性のほうが強調されているような気がします。むしろブリリアントのほうの音源こそ雄大そして壮麗さが強調されていたように思います。しかしどちらも素晴らしい演奏ですし、特にこのハイティンクロンドン・フィルのものは、「前奏曲」という作品の意味を存分に表現したものであるようにすら聞こえます。

以前の私なら、まるで英雄を表現したかのような演奏のほうを好みました。そうではないものは排除。しかし、今年齢的にある程度死が見えてくると、今度は内面も表現したものも受け入れられるようになってきたのです。

つまり、以前ならこのアルバムの「前奏曲」の演奏は排除対象でした。しかし今は違います。死を恐れる自分、だが死は若い時よりも近くにあることを認識してきている。そのアンビバレントな自分を見つめると、この演奏はまさに今の自分を代弁している演奏です。勇敢に死を迎えたい、けれども恐れてもいる・・・・・・当たり前なんですけどね、死が怖いなんて。でもハイティンクはわたしが認識するよりも早く、「そんなものではないのか?」と問いかけているんですよねえ。こういうように気付かないのをお馬鹿さんというのです・・・・・

そんな演奏が、税金さえ払っていれば何も支払わずに手に入るんですよ?有名どころばかりでしょ?と揶揄する人に、それだけの人生の気づきだとか、豊かさって本当にあるのだろうかって思います。私も気づかないおバカさんでしたけどね。使わない手はないでしょ。

 


聴いている音源
フランツ・リスト作曲
交響詩第1番「山の上で聞きしこと」
交響詩第2番「タッソー、悲劇と勝利」
交響詩第3番「前奏曲
ベルナルト・ハイティンク指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。