コンサート雑感、今回は令和6(2024)年1月27日に聴きに行きました、東京ユヴェントス・フィルハーモニーの第25回定期演奏会のレビューです。
日付間違っていませんか?同じ日にクレセント・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に行ってますよね?という、ア・ナ・タ。いいえ、間違っていません。クレセント・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会と同じ日に、東京ユヴェントス・フィルハーモニーの定期演奏会にも行っております。同時に別のコンサートを聴いたのですかって?いえいえ、私は聖徳太子のような特殊な能力を持っていません(まあ、自分で言うのもなんですがある程度未来を見通す力はありますが)。配信を見ていたのですか?それでもありません。そもそも、同じ時間にコンサート会場で配信を見ると言うことも、聖徳太子のような特殊な能力の一つになるでしょう。とはいえ、家ではテレビを見ながらPCも見るという器用なことはしてはいます。しかし、それをコンサート会場でやるというのは他人がいるので正直難しいです。
二つの時間が異なったのです。要するに、コンサートのはしごです。コンサートのはしごも随分久しぶりにやりました。なんと言っても、東京ユヴェントス・フィルハーモニーは指揮者坂入健司郎氏のタクトと、それに応えるオーケストラの演奏が魅力です。ちなみに、今回の開始時刻は18時30分。昼間のクレセント・フィルハーモニー管弦楽団の会場であった小金井宮地楽器ホール(武蔵小金井駅前)からギリギリでした・・・
今回の会場は、ミューザ川崎シンフォニーホール。ちょうど遅い昼ご飯を食べて武蔵小金井駅を出発したのが17時。川崎駅にはほぼ1時間後に到着しています。ミューザ川崎は川崎駅前ですが、真の駅前にはすでにJR東日本系のホテルが2つも鎮座しているので、ちょっとだけ遠いです。
そして、会場がミューザということは、舞台では音が響かない、ということを意味します。実力がある東京ユヴェントス・フィルハーモニーならその困難をどう乗り越えるのかという点も、今回の注目点でした。
演奏されたのは以下の通りです。
ワーグナー 楽劇「パルシファル」第1幕への前奏曲
ドビュッシー 交響組曲「ペレアスとメリザンド」(アラン・アルティノグリュ編曲)
ブルックナー 交響曲第7番
そもそも、東京ユヴェントス・フィルハーモニーさんの十八番はブルックナー。今回のプログラムには一貫性がないように見えますが、実はドビュッシーはワーグナーの影響を受けていますし、ブルックナーの交響曲第7番はワーグナーの死が創作のきっかけです。つまり、今回はワーグナーが一つのキーワードです。
実は、ワーグナーは指揮者坂入氏が師事した飯守泰次郎氏が得意とし、坂入氏にも指導した作曲家だったようで、かつオーケストラの団員たちが学生だったときに飯守氏の指導を受けた経験があるそうで、「パルシファル」はその飯守氏追悼で演奏され、当日はそこだけは拍手なしになりました。
ですが、そのパルシファルからオーケストラが素晴らしいアンサンブルとサウンドを見せつけます。昼間に聴いたクレセント・フィルハーモニー管弦楽団と比べますと最初金管の調子が悪かったのですが(クレセント・フィルハーモニー管弦楽団は金管が最初から全開)、恐らく飯守氏への想いが強すぎた結果かなと思いました。その後、曲が進むにつれて全く問題がないどころか全開になっていったためです。
ワーグナーと言えば、それぞれの曲に休憩がなく続けて演奏されるというイメージがありますが、このパルシファルでは前奏曲でも休止が挿入されています。そもそも、パルシファルはキリストのグラール(聖杯)を争う物語。実に宗教的であり、そして人間ドラマでもあります。ブルックナーと似ているのは、そのせいもあるでしょう。決してブルックナーがワーグナーの影響を受けたということではないと思いますが、一方でワーグナーはその人生の中で、段々休符が多い作品が増えていますから、ブルックナーがワーグナーを参考にして交響曲を書いたという可能性は否定できません。そもそもブルックナーは教会オルガニストだったことから、「ブルックナー終止」は成立しているのですから。ただ、そこにワーグナーの影響も、宗教的な終止を交響曲に取り入れるにあたってあったということはあったとしても自然です。
ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」は実は日本初演の編曲版。これは音楽が繋がっていますが、重厚な和声などはワーグナーの影響らしいと言えるでしょう。ドビュッシーのオペラをワーグナーの楽劇のようにつなげ、そのうえでコンパクトにまとめているのは優れた編曲だと思います。これもオーケストラの美しすぎる表現にうっとり!美しすぎて寝そうになったのはナイショ(いや、語ってるがな!)
最後のブルックナー。実は到着して某YouTuberが主催するクローズドのコミュニティで、これからブルックナーを聴きに行きますと投稿したら、「いいですね!第7番だと出だしが素晴らしいです」とリプライが。確かに、ゾクゾクする出だし。それは作品だけではなく、東京ユヴェントス・フィルハーモニーさんの優れた表現力でしょう。ここではもう「パルシファル」で出たような不安定さなどみじんもありません。ホールを満たす金管のファンファーレに包まれ、さらにオーケストラ全体の音圧!いやあ、もうミューザに完全に慣れています。過去の演奏会のページを見ますと、結構ミューザで演奏しているんですね。これならミューザを存分に楽器として使えても不思議ではありません。プロオケでさえも初見ではミスをしてしまうホールでしっかりとダイナミクスを付けて演奏できるのは、慣れてないと難しいです。その意味では東京交響楽団に次ぐセミフランチャイズと言ってもいいくらいなのではと思います。ブルックナーを聴きたければアマチュアオーケストラなら迷わず東京ユヴェントス・フィルハーモニーさんをお勧めします。CDも出していますしね。
その東京ユヴェントス・フィルハーモニーさんの演奏でブルックナーの交響曲第7番を聴きますと、ワーグナー惜別ではあるんですが、ブルックナー終止に彩られており、どこから見てもブルックナーです。旋律にワーグナーが見られる程度で、それすらもよく聞いていないとわかりづらいです。つまり、ブルックナーはワーグナー「風」にしたのではなく、自分の個性を形づくる一部にワーグナーが存在し、それへの感謝という意味合いが強い作品だと言えます。こういう作品の内面、あるいは隠されたテーマが自然と浮かび上がるのはさすがだと思います。終始アマチュアとは言え、その実力の高さはどの作品を演奏するにしてもしっかりと表現できるだけのものを持っています。
実は、この日あえて二つのアマチュアオーケストラをはしごしたのにはテーマがあります。それは、クレセント・フィルハーモニー管弦楽団も東京ユヴェントス・フィルハーモニーも、学生オーケストラを母体にしているという点です。クレセント・フィルハーモニー管弦楽団は中央大学管弦楽団、東京ユヴェントス・フィルハーモニーは慶應義塾ユースオーケストラをそれぞれ母体としており、その卒業生たちが設立しています。そしてどちらも、社会人だけでなく学生も参画している点でも共通しています。両方のオーケストラの実力は、未来のアマチュアオーケストラや学生オーケストラの進む方向を指し示すものなのではないかという気がしています。どっちの団体も、恐らく今後のアマチュアオーケストラの一つの理想形になっていくことでしょう。今後も目が離せません。
聴いて来たコンサート
東京ユヴェントス・フィルハーモニー第25回定期演奏会
リヒャルト・ワーグナー作曲
楽劇「パルシファル」第1幕への前奏曲
クロード・ドビュッシー作曲
交響組曲「ペレアスとメリザンド」(アラン・アルティノグリュ編曲)
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第7番ホ短調
坂入健司郎指揮
東京ユヴェントス・フィルハーモニー
令和6(2024)年1月27日、神奈川川崎、ミューザ川崎シンフォニーホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。