コンサート雑感、今回は令和7(2025)年6月7日に聴きに行きました、東京バッハ合唱団の第123回定期演奏会のレビューです。
東京バッハ合唱団は東京のアマチュア合唱団です。バッハの作品を歌うために1962年に結成されましたが、そのコンセプトは何と、日本語で歌う事、なんです。
それは創設者の大村恵美子さんのコメントにもありますが、ドイツ語の意味を日本人全員が理解できるとは思えないからです。
ただ、私自身は大村さんとは異なるスタンスです。バッハはドイツ語の意味、そしてリズムに対して音楽を付けていると考えても差支えないからです。それゆえ、私自身は現在逐語訳風で全曲翻訳をするというプロジェクトを敢行中です。ですが実はこの大村さんの翻訳もまた、府中市立図書館で借りてきたモダンと古楽演奏の全集を取り上げるときに参考にさせていただいたこともまた事実なのです。実はそれなりに原語の並びなども勘案されている点もあり、私自身翻訳をしていてその難しさを感じているところで、であれば実際に日本語で歌われるとどんな感じになるのか実際に聴いてみたいと思い、足を運ぶことにしました。しかも、無料公演・・・太っ腹すぎます。
当日のプログラムは以下の通りです。
オール・バッハ・プログラム
①カンタータ第34番「おお永遠の火よ、おお愛の源よ」BWV34
②カンタータ第23番「主なる神、ダビデの子」BWV23
③「マニフィカート、わが心主をあがむ」(マリアの讃歌)BWV243
え?カンタータだけではないのですか?という、ア・ナ・タ。東京バッハ合唱団さんのコンセプト、もう一度確認してみましょう。カンタータだけを歌う合唱団ではありません。
「東京バッハ合唱団は1962年設立以来、J.S.バッハの声楽作品のみを演奏・研究している団体です。」
ですので、カンタータだけにかぎっているわけではないんですね。実際過去には受難曲も当然演奏されています。であれば当然ですがマニフィカートを演奏することがあっても不思議ではないわけなんです。バッハ・コレギウム・ジャパンも実はマニフィカートを演奏されていますし、全く持ってバッハ・コレギウム・ジャパンとほぼ同じスタンスを持っている合唱団だと言えます。今やバッハ・コレギウム・ジャパン以上にバッハの作品しか演奏しない団体だと言えます(バッハ・コレギウム・ジャパンは後期ロマン派のブラームスのドイツ・レクイエムまでを守備範囲とし始めたため)。
また今回、設立者であり指揮者、そして翻訳者でもある大村恵美子さんが指揮者引退を表明され、最後のステージでした。まさかそんな機会とは知らず、歴史的瞬間に立ち会うことになりました。
ホールは、東京都千代田区の日本基督教団三崎町教会の聖堂。響きは多目的ホールという感じで、比較的響くホールでの開催でした。ちなみに隣は日本大学経済学部です。
①カンタータ第34番「おお永遠の火よ、おお愛の源よ」
カンタータ第34番は、1727年6月1日に初演された、聖霊降臨節用のカンタータです。ちょうどこの公演は聖霊降臨節近くなのでタイムリーです。
バッハのカンタータの題名は、その曲の最初の歌詞から採られています。ですので原語の歌詞を翻訳して「おお永遠の火よ、おお愛の源よ」となります。
O ewiges Feuer, o Ursprung der Liebe
東京バッハ合唱団さんは、その歌詞を日本語で歌われるわけで、この第34番はそのドイツ語がそのまま日本語となっています。さてここで問題です。「永遠」はどう発音しますか?そんなこときまっているじゃないか、「えいえん」だろ、って?でも、日本語っていろんな言葉になることが多いですよね。永遠も「えいえん」と読むこともあれば「とわ」と読むこともあります。特に宇宙戦艦ヤマトファンであれば、現在映画館で放映されている「宇宙戦艦ヤマトREBEL3199」の原作である「ヤマトよ永遠に」を思い出す方もいらっしゃるはずです。これは「えいえんに」ではなく「とわに」と読むのです。実は東京バッハ合唱団さんは、「とわに」と読ませています。
※BWV34をクリックすると歌詞が出てきます。なお、当日のパンフレットにも同じ歌詞が印刷されていました。
基本的に、東京バッハ合唱団さんは日本語で歌われますので、その日本語が音楽に合うように翻訳する必要があります。一方で私は逐語訳を基本にして翻訳していますので、違いが出て当然だと言えます。東京バッハ合唱団さん、具体的には大村恵美子さんですが、彼女はこの第34番もバッハの音楽に合うように翻訳をしたわけで、それゆえに「えいえん」ではなく「とわ」を選択されたと思います。実際、演奏を聴いていてもえいえんよりはとわのほうが適切だと思われました。
第1曲はその「とわ」を表現するためにトランペットも長音が採用されていますし、また合唱もとわの言葉のところは長音になっています。その点からも、大村さんが原語を意識して日本語に翻訳していることが分かります。私も今逐語訳に取り組んでおり、かなり翻訳するのに正直私は苦労していますが、大村さんはさらに楽譜とにらめっこしながらですから、どれほど大変だったことだろうと思います。一応私も音符のつき方も考慮に入れていますが、大村さんの場合はさらに実際に歌うことを念頭に置いた翻訳ですから、実はレベルとしては私の翻訳よりも高いのです。本当に感心させられます。勿論だからと言って私が大村さんと同じことをするわけではないのですが、実に参考にできる翻訳です。この第34番の第1曲を聴いただけでも来たかいがあったと思います。
特に工夫が見えたのが、第6曲の合唱。Friede über Israel(イスラエルに平和を)を「平和をなれらに」と翻訳しています。なれらとは、実は人を表わすのではなく、キリスト教徒としての生き方、あるいは教徒になることを意味する言葉です。ですがそれをあえて人格として扱うという手法を採っています。これは日本人が歌うのにイスラエルという言葉を使うのは不適切ということがあるものと個人的には考えます。パンフレットにはイスラエルの民という意味との記載がありましたが、それだけにとどまらないという視点を大村さんはお持ちであると考えます。つまり、それは民族は関係ないという意味なのです。実際、パンフレットには括弧書きで「なかんずくパレスティナの民も!」とありました。キリスト者であるということは、他民族を迫害することなのかと言う懸念がそもそも翻訳の時点で込められているということを示しています。
私自身も、幾つか翻訳を行ったり、バッハの作品を聴いている範囲内で言えば、例えばアメリカの福音派の意見とバッハの音楽とは多少様相が異なるように感じています。私自身はキリスト者ではないのですが、どこか大村さんの意見にはしっくりくるのですが福音派にはしっくりきません。それは日本人のアイデンティティかもしれませんが、ですが同じ日本人として、宗教は違えども共感できる素地があるのです。この辺り、宗教者としての姿勢を大村さんに見ることができたように思います。私が仏教徒だからかもしれませんが・・・とはいえ、この第34番が聖霊降臨節用であり、当日が聖霊降臨節近くであることを勘案すれば、大村さんは定期演奏会と言ってもそれは宗教とリンクするものだと考えているはずで、当然の姿勢だと言えましょう。その姿勢を受けた楽団と合唱団の生命力のある演奏は、実に素晴らしいものでした。
②カンタータ第23番「主なる神、ダビデの子」
カンタータ第23番は、1723年2月7日に初演された、トーマスカントル採用試験用であり復活節前第7日曜日用のカンタータです。
第1曲は二人の盲人が歩いている様子を表わしていますが、そのリズムに乗ったソプラノとアルトが本当に素晴らしい!第34番でも素晴らしい歌唱を聴かせてくれたアルトの中島麻紀子さんと、ソプラノはこの第23番で登場した藤原優花さん。両名とも伸びやかな歌唱であるだけでなくリズムが作品において重要な意味を持つことを理解された歌唱を聴かせてくれます。当日はモダン楽器による演奏でしたが、大村さんは音楽の三要素がしっかり表現手法としてバッハの音楽に息づいていることを理解した演奏で、リヒターの芸術とは一線を画す解釈をされています。今回が私は足を運んだのが最初なのでそれ以前は判りませんが、恐らくそう簡単にスタイルを変えるとは思えませんので、ヨーロッパの古楽演奏をかなり早い段階で取り入れていた可能性は高いと思います。フランスはストラスブールに留学されていたのが1950年代から60年代であることを考慮すると、ちょうどその時期にヨーロッパでは古楽演奏が勃興して広まり始めたという段階です。日本に持ち帰って広めたと考えますと、大村さんの功績はもっと讃えられるべきと考えます。
合唱はここでも生き生きとした歌唱を聴かせてくれます。平均年齢が高い割にはしっかりとリズムの表現もできており、もう素晴らしくて溜め息しか出ません。思わず体も動いてしまい、バッハが作品に込めた魂がそっくり表現されているような印象すら受けます。演奏記録を見ますと通常のホールでの定期演奏会もありますが、やはり多少響きが悪くても教会というほうが適切だという判断もあるのではないでしょうか。少なくとも私にはそう思われる演奏でした。ホールでやるべきではないと言いたいわけではないのですが、やはり教会の聖堂でこそ、バッハのカンタータの演奏は相応しいと感じざるを得ない演奏でした。翻訳も言語の意味を捕らえつつも日本語で歌う時に不自然にならないように工夫されており、さすがです。
③マニフィカート
マニフィカートは、もともとは1723年12月25日に初演されたのですが、その後改訂され1733年に現在の形になったとされ同年7月2日のマリアエリザベト訪問の祝日用として演奏されたとされています。なお、もともとの1723年に初演されたものはBWV243aとなっています。
大村さんは今回で指揮者活動から退かれますが、その指揮者活動の源泉は単にバッハの作品を大勢で歌いたいというだけでなく、バッハが作品に込めた精神を分かち合いたいという意味合いもあったのではと愚考するものです。その証拠が今回メインにカンタータではなくマニフィカートを持ってきたことだと考えるのです。何故ならば、マニフィカートと言えば、そもそもはカトリックの音楽であってプロテスタントの音楽ではないからです。ですがルター派ではカトリックの音楽も断片を演奏することはよく行われていたことであり、ゆえに原理主義に陥ることなく信仰を深めていくというスタンスであると考えられます。それはある意味現在世界を揺るがしている二つの大きな事象である、トランプ政権の抑圧的な姿勢とイスラエルとハマスの軍事衝突に対する懸念がプログラムに込められていると感じます。
これもリズムを感じる演奏になっておりまるで心臓の鼓動のよう。まさに大村さんが今回のプログラムに込めた想いを、演奏者全員が分かち合っているように思われます。なんと愛された方なんだろうと、聴いていて感動を覚えます。この辺りは本当に指揮者と演奏者のいい関係性が見えて微笑ましく思います。なかなか指揮者と団員がいい関係を持続できるというのは難しいので・・・その意味では、大村さんは人格者なんだなあと思います。その人格者が最後の演奏会でマニフィカートをメインに持ってきた意味を全員で共有しているからこそ生まれる、明るくかつ生命力のある讃歌。なんと幸せな時間でしょうか・・・歌詞の日本語も全く不自然ではなく、その翻訳にどれだけの労力をかけられたことだろうかと、私自身も現在翻訳を行っていて痛切に感じます。
決してキャパが大きくはない三崎町教会に於いて、まさに聴衆は一会衆となったかのような演奏会は、暖かくて喜びに満ちたものでした。アンコールは何とBWV147の第10曲。楽譜まで配られており一緒に歌いましょうとありましたが、あまり周りで歌われている方は少なかったです。私も歌いたかったのですがさすがにBWV147は未経験でして・・・ソプラノパートを心のなかで歌わせていただきました。それもまた、本来カンタータがどういう機会で歌われていたのかを示すものだと言えましょう。ユビキタス・バッハさんとはまた違った、バッハの音楽の神髄を味わえる演奏会でした。できれば次回も足を運びたく思います。その時には、大村さん著作の「バッハ コラール・ハンドブック」を購入できればと思います。今回は関西万博行きを控えており資金的にきつかったもので・・・その前に教文館で購入するかもしれませんが。
聴いて来たコンサート
東京バッハ合唱団第123回定期演奏会
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第34番「おお永遠の火よ、おお愛の源よ」BWV34
カンタータ第23番「主なる神、ダビデの子」BWV23
マニフィカート、わが心主をあがむ(マリアの讃歌)ニ長調BWV243
藤原優花(ソプラノ)
前田ひより(ソプラノ、BWV243)
中島麻紀子(アルト)
野中裕太(テノール)
及川泰生(バス)
田尻明䈎(オルガン)
大村恵美子指揮
コレギウム・アルモニア・スペリオーレ・ジャパン
東京バッハ合唱団
令和7(2025)年6月7日、東京、千代田、日本基督教団三崎町教会聖堂
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。