東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第39集を取り上げます。収録曲は第103番、第108番、第87番、第128番の4つです。
①カンタータ第103番「汝らは泣き叫び」BWV103
カンタータ第103番は、1725年4月22日に初演された、復活節後第第3日曜日用のカンタータです。
当日のテクストである、イエスが去ることを告げて「あなたの悲しみは喜びに変わるでしょう」と言う告別の説教とリンクしたカンタータとなっています。ゆえに祈りというよりは説諭というカンタータと言えます。特に、いきなりアリオーソで始まるという形ですが、これはイエスの言葉になっています。それに信徒が応えるという形です。
ゆえに、演奏も祈りというよりは会衆に訴える、あるいは同意を得るという方向の表現になっています。イエスがこう言っています、ゆえに私たちがなすべきことは?と問うているわけで、歌唱もそれに準じた表現になるのは当然と言えます。ただその歌唱も、モダン楽器という選択にあったオペラ的なものでもあります。一方でやりすぎにはこれもなっておらず、リリンクのスコアリーディングの深さがしっかりと反映されています。
②カンタータ第108番「わが去るは汝らの益なり」BWV108
カンタータ第108番は、1725年4月29日に初演された、復活節後第4日曜日用のカンタータです。
内容的には、イエスが去ることで助けがもたらされるというもので、前週の第103番に引き続く物になっています。ゆえに、イエスが去ることがなぜ「利益」なのかを切々と説くものになっています。ここでは前作で使われたアリオーソではなく、アリアに聖書の言葉がそのまま歌詞として使われています。それにさらにアリアで信徒が答え、考えるという構造。ゆえにこれも祈りというよりは説諭です。
それぞれの役割に応じてソリストは表現を変えており、これもオペラ的ではありますがやりすぎ感は全くありません。ここまでで感じるのは、ソリストもこの作品はカンタータであるということをしっかり踏まえている、ということです。オペラでも歌える歌手たちが、テクストの内容に応じて演じる部分とそうではない部分とを切り分け、表現しているのです。これは宗教曲が普通に演奏されている故だとも言えます。それは指揮するリリンクも言えることではありますが・・・
ということは、実はリリンクの演奏を聴くということは、ヨーロッパの文化そのものを真に味わうことでもある、ということなんです。それだけでも聴く価値は十分あると言えるでしょう。この第108番もそのうちの1曲だと言えます。
③カンタータ第87番「今までは汝らなにをもわが名によりて」BWV87
カンタータ第87番は、1725年5月6日に初演された、復活節後第5日曜日用のカンタータです。
この曲は第103番同様、バスのアリオーソから始まっています。つまり聖書におけるイエスの言葉ということになります(そもそもバスはイエスを表現していることが多いのですが)。それを受けてのそのほかのソリストは会衆ということになります。ですがオペラではないわけで・・・このさじ加減を間違ってしまうと、全く違う曲になりかねないんですが、この第87番でもそのあたりのさじ加減はうまいです。それがプロの仕事と言えばそれまでですが、やはりリリンクが採用するソリストはそのあたりを踏まえることができる歌手がそろっています。
ここまで聴きますと、1725年の復活節におけるカンタータは、コラールよりは聖書から直接歌詞を採用するケースが多いと言えます。それを踏まえることができるかが、プロとして求められることだと言えるでしょう。ゆえに私は遣りすぎないということを評価するわけなんです。決してオペラではないので・・・
でも、オペラも歌える歌手が歌うからこそ、宗教曲なのにそこにドラマがあり、目の前にシーンが浮かんでくるのです。とはいえそれは映画やテレビドラマを見慣れている現代人だからこそとも言えるでしょう。基本的には説諭なので、演じてはいけないのですが演じる部分も必要と言う、実に絶妙な表現が必要です。その絶妙な部分を味わうのが、カンタータの楽しみだと個人的には考えます。
④カンタータ第128番「ただキリストの昇天にのみ」BWV128
カンタータ第128番は、1725年5月10日に初演された、昇天節のためのカンタータです。
この第128番は第1曲がコラールなのでコラール・カンタータだと言えますが、だからと言ってここでコラール・カンタータを作ることに戻ったのかと言えばそうではなく、あくまでも作曲手法の一つとしてここでは採用したと言えます。その意味では、バッハが作曲家として一つ成長した部分を会衆に見せつけたとも言えます。おや?コラール・カンタータに戻ったのか?と思うところですが、それは次回を見ればそうではなさそうということが明らかになります。
昇天節とは、文字通り天国へ行くということです。つまり神に祝福されるということを意味することから、第1曲のコラールは祝祭感にあふれています。とはいえ喜びを爆発させるというよりは、喜びに満ちてノビノビと歌うという方向です。この辺り、聖歌隊を採用しているリリンクの意図が明確です。
そのうえで、ソリストはオペラ的な歌唱もあります。そのバランスの良さがテクストを理解し考える材料になっていると感じます。この辺り、本当にどこまでもリリンクのスコアリーディングの深さに感心させられます。当時の教会という場所がいかなるものだったのかを、ここでリリンクは演奏でもって聴衆に見せているとも言えるでしょう。それは現代的ではありますが・・・ただ、その現代的な表現でなければ、現代人がバッハのカンタータの本質は理解しにくいとも言えましょう。そのあたりの要求にはリリンクが応えていると言えます。とはいえ、その後古楽演奏が広まったことを考えますと、モダンでなければ表現できないということではないということが、むしろリリンクの演奏でわかってしまったという点もあるかもと思っています。私自身、このリリンクの演奏を評価する一方で、このリリンクの全集こそが、モダン楽器による演奏ではなく古楽演奏を選択するきっかけになっていったのではと思うところです。それはまた別途触れたいと思います。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第103番「汝らは泣き叫び」BWV103
カンタータ第108番「わが去るは汝らの益なり」BWV108
カンタータ第87番「今までは汝らなにをもわが名によりて」BWV87
カンタータ第128番「ただキリストの昇天にのみ」BWV128
ドリス・ゾッフェル(アルト、第103番)
キャロライン・ワトキンスン(アルト、第108番)
ガブリエーレ・シュレッケンバッハ(アルト、第128番)
ペーター・シュライヤー(テノール、第103番・第108番)
アルド・バルディン(テノール、第87番・第128番)
ヴァルター・ヘルトヴァイン(バス、第103番・第87番)
フィリップ・フッテンロッハー(バス、第108番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団
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