かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:リリンクとシュトゥットガルト・バッハ合奏団によるバッハカンタータ全集38

東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第38集を取り上げます。収録曲は第6番、第42番、第85番の3つです。

この第38集からは、バッハの新しいカンタータが始まることになります。

カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」BWV6
カンタータ第6番は、1725年4月2日に初演された、復活節第2日用のカンタータです。

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前日に「復活祭オラトリオ」を演奏し、翌日にこの第6番を演奏するという強行スケジュール。バッハは本当に大変だったことだろうと思います。

第6番は、当日のテクストである使徒言行録のペトロの説教(使徒言行録10:34–43)と、ルカによる福音書のエマオへの道(ルカによる福音書24:13–35 )と完全にリンクしており、第1曲の合唱は「私たちと共にお泊まりください。もう夕方になり、日も傾いていますから」(ルカ24;29)です。

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これは前年までのコラール・カンタータは明らかに違う構造になっています。すべてが聖書の言葉から採用されるようになったわけではないんですが、それでもコラール「だけ」という形は変化しています。これは台本作者が変わったからだろうと言われています。

内容が「神は信徒のそばにいる」なので、声楽もそのあたりを踏まえた歌唱になっています。祈りと諭しが明らかに同居するものなので、祈りのような歌唱と言うよりは、気づきが生まれるように生き生きと歌うという歌唱です。ですがこれは明らかにモダンな歌唱と言えましょう。それは楽器がモダン楽器であるということを明らかに踏まえています。モダン楽器だからこそこの歌唱が合うわけで、これがピリオドでは必ずしも合うとは限りません。オラトリオである受難曲だと合うと思いますが(その一例がバッハ・コレギウム・ジャパンの最初の「ヨハネ受難曲」の録音)、カンタータではそうとも言えないと思っています。

リリンクがモダン楽器にこだわったのは、その楽器の可能性だと思います。ただ、モダン楽器の性能を踏まえた時、編成が大きすぎればやりすぎになります。そのあたりのさじ加減がリリンクは常に絶妙です。

カンタータ第42番「この同じ安息日の夕べ」BWV42
カンタータ第42番は、1725年4月8日に初演された、復活節後第1日曜日用のカンタータです。

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なんと、第6番から6日です。実はルター派においては、復活祭の期間中は毎日ミサが行われます。ですがその分だけのカンタータはありません。おそらくですが、ミサ曲の一部が演奏されたと考えていいでしょう。バッハにはミサ曲の断片が幾つか残っていますし、また断片をつなぎ合わせて一つのミサ曲に仕上げたのが「ミサ曲ロ短調」です。正直、毎日演奏できるだけのカンタータを作曲するだけの時間も体力もバッハにはなかったでしょうし、バッハ以外でも同様だったでしょう。そのため、この時期は決まった祝日及び日曜日だけカンタータが演奏され、それ以外はミサ曲の一楽章が演奏されたと考えるのが自然です。

この第42番もコラール・カンタータとは形を変えており、第1曲にはシンフォニアが採用されています。忙しい時期だったということもあるとは思いますが、恐らく台本作者が変更になったため、前年とは異なる形を目指したと言えるでしょう。しかも、そのシンフォニアはおそらくケーテン時代あたりの旧作を使いまわした「パロディ」ではないかと言われています。ただ、この形式がのちに交響曲へとつながっていきます。19世紀フランス、あるいはそれ以降の交響曲は、このバッハの時代に立ち戻るという点もあり、必ずしも各国の民族主義だけで様式が変わっていったわけではありません。ドビュッシーがフランス・バロックに範を取ったことで、ドイツ・バロックであるバッハの時代の様式を現代式で作曲するという意識もあったはずだと、個人的には考えています。その意味でも、バッハのカンタータを聴くことは極めて重要だと思います。

演奏としては、題名の「安息日」というイメージにとらわれず、シンフォニアは生き生きとしています。ある意味このカンタータに於いてシンフォニアとは序曲です。つまり、「安息日」という穏やかな時間が訪れる喜びをシンフォニアは序曲として暗示していると言えます。リリンクはその暗示されている喜びを最大限重要視して演奏していると言えます。このあたりでも、リリンクがバッハが生きた時代の美意識というものを踏まえていることが明白です。そしてその解釈でも何ら聴き手には問題なく喜びとして伝わるのです。この辺りが、リリンクを始め演奏家たちの能力の高さです。勿論、声楽が入ってからの安息日の穏やかで幸せな雰囲気の表現も絶妙です。

カンタータ第85番「われは善き牧者(ひつじかい)なり」BWV85
カンタータ第85番は、1725年4月15日に初演された、復活節後第2日曜日用のカンタータです。

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この第85番は祈りよりは諭しという意味合いが強い作品です。当日のテクストはペトロの第一の手紙「キリストを模範として」(ペトロの手紙一第2章21~25節)と、ヨハネによる福音書「善き羊飼い」(ヨハネによる福音書第10章11~16節)から。完全に踏まえた内容になっており、主が守ってくれるからこそ、私たちは主をほめまつりましょうという内容になっています。単に依存するのではなく契約的な内容になっている点もまさしく西欧的です。このカンタータほど、キリスト教とはいかなるものかを物語るものはないと思います。その意味でも、せっかくバッハのカンタータ西欧文化に触れたのであれば、全曲聴いてみるということが望ましいと個人的は思います。

演奏も、単にイエスが羊飼いであるということをほめたたえるだけではなく、その厳しさを短調の音楽で表現していることを踏まえたメリハリがきいたものになっているのもさすがです。ここでなぜ短調が使われているのかは、歌詞の内容が分からないと理解しにくいと思います。その点でも、歌詞の和訳を見ながらということはバッハのカンタータにおいては重要だと思います。www.jade.dti.ne.jp

ただ、その和訳が鑑賞に真に資するのかは、最近感じているところです。それについては、将来ビジョンが固まってきましたので、このプロジェクトが終ったあたりにでも発表したいと思います。

 


ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」BWV6
カンタータ第42番「この同じ安息日の夕べ」BWV42
カンタータ第85番「われは善き牧者(ひつじかい)なり」BWV85
エディット・ヴィーンス(ソプラノ、第6番)
アーリン・オジェー(ソプラノ、第42番・第85番)
キャロライン・ワトキンスン(アルト、第6番)
ユリア・ハマリ(アルト、第42番)
ガブリエーレ・シュレッケンバッハ(アルト、第85番)
アダルペルト・クラウス(テノール、第6番・第85番)
ペーター・シュライヤー(テノール、第42番)
ヴァルター・ヘルトヴァイン(バス、第6番・第85番)
フィリップ・フッテンロッハー(バス、第42番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。