かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:リリンクとシュトゥットガルト・バッハ合奏団によるバッハカンタータ全集33

東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第33集を取り上げます。収録曲は第121番、第133番、第122番の3つです。

カンタータ第121番「キリストを、われらさやけく頌め讃うべし」BWV121
カンタータ第121番は、1724年12月26日に初演された、降誕節第2日目用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。

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日本ではお正月こそが祝う対象になっているためクリスマスが終りますといよいよ正月商戦が始まりますが、西欧キリスト教社会ではまだまだクリスマス、なんです。それが証拠に、この作品が存在するわけなので。

多少暗めの曲のコラールで始まりますが、歌詞は何とイエスの誕生を賛美するもの。暗闇が明けるとイエスが誕生したという聖書通りの構造になっているのです。それが証拠につづくテノール・アリアは明るく賛美する曲です。冒頭コラールは静謐な印象の合唱ですが、続くテノール・アリアはむしろ喜びを表すかのようにリズミカルに歌います。この辺りはリリンクがスコアリーディングの上で選択したと思われます。

讃美する内容だからそれだけリズミカルでいいのではと思わるかと思いますし、私もその通りだと思います。そしてリリンクも同じように考えたタクトになっています。この辺り、リヒターを聴いている人だと「違う!もっとゆったりと感情を込めないと!」という人もいるので困ります。いや、リヒターの演奏はともすれば感情が先走りすぎるきらいがあるので・・・それがダメとは言いませんが、バッハの作品の構造上、適切かと言えば必ずしもそうではありません。リヒターはあえてやっている部分もあるので、同じことを他の指揮者や歌手に求めるのは酷だと思います・・・

バッハの音楽は、リズムにも感情が込められているため、それをないがしろにしてまでの感情移入は果たして適切なのかと思うわけなのです。その点、リリンクはそのバランスが適切。ゆえにこの第121番でもリズムが感情を呼び起こすので私は大好きな演奏の一つです。録音時期は1980年ですので、バッハ・コレギウム・ジャパン鈴木雅明氏にも影響を与えた演奏のはずです。鈴木氏がリズムにこだわるのは明らかにリリンクの影響もあると考えるべきでしょう。性能のいいモダン楽器でやっているのですから、性能が悪いピリオド楽器ではなおさらやる必要があるわけなのですから。むしろ、鈴木氏が録音に臨んだ時、このリリンクの演奏がプレッシャーになった可能性すらあるわけです。そのプレッシャーにいかに打ち勝って個性を出すかが、指揮者も演奏者も求められることです。似てしまってもしょうがない、これが自分なのだからと腹をくくることもまた大事ですし、やってやるぜ、別なものを提示してやる!と粋がることも大事。それが私たち聴衆の心を動かすことにつながれば成功でしょう。リリンクはモダン楽器で持って、リヒターとは違う地平を見せました。それがリリンクの演奏の魅力だと言えます。

カンタータ第133番「われは汝にありて喜び」BWV133
カンタータ第133番は、1724年12月27日に初演された、降誕節第3日用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。

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当日採用された聖書の部分と歌詞は一見関係がないように思われますが、「初めに言葉あり」という聖書の部分と、イエスの降臨の喜びが人間の内面を作るという形で関係させています。この辺り、諭しと祝祭とを巧みに融合させていると言えます。前日の第121番よりもさらに明るい曲になっており、前日を踏まえたものと考えられます。

その表現のため、素朴で力強い喜びの合唱になっているのも素晴らしい!少年合唱が聴こえないので、恐らく大人だけにしているはずです。この辺りの人数調整もうまいですね。それがしっかりと作品の本質を表現するために適切な措置になっています。そして、前日も天使の歌声に続き、今度は地上の人たちも歓喜の声を上げるというシナリオになっているのも粋ですね。そのシナリオに沿って少年合唱を除いたリリンク。深い・・・

続くアルトアリアは、「初めに言葉あり」という聖書の言葉を表していると取れます。そしてそれが喜びであるという・・・それを踏まえた、伸び伸びとしたアリア。些細なことですがこういう細かい表現に、スコアリーディングの深さが現れるのです。いやあ、もう脱帽です。

カンタータ第122番「新たに生まれし嬰児」BWV122
カンタータ第122番は、1724年12月31日に初演された、降誕節後第1日曜日用のカンタータです。これもコラール・カンタータです。

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12月31日と言えば、日本で言えば大晦日。つまり年末であり、一年の終りの日であり、翌日は新年です。このカンタータも、一年最後の年であり、新しい年を迎える前日という意識が強い曲であると同時に、当日のテクストを暗喩もするという、これも複構造になっている作品です。その意味では、上記ウィキペディアの説明を書いた人は多少文学の素養には疎いと見ました。バッハのカンタータはバッハ一人ではなく、台本作者も関わっているので、当日の聖書の内容と、当日がどんな日かということまで勘案して作詞をしていることがほとんどです。この曲も聖書の該当箇所と歌詞を比較しますと、暗喩になっていますので、私は関係していると述べたいと思います。

日本のように大晦日という意識はないので、12月31日を祝うなどはないのですが、一方で日本で言えば大晦日にあたる日に、ちょうど教会の儀式が重なったため、当日の聖書の内容を如何に日本で言えば大晦日という日につなげようかと、台本作者は考えたに違いありません。おそらく31日でなければ、そのまま聖書の内容に完全に沿った台本になっていたと考えられます。

歌詞としては新年を迎える前日という祝祭感の表現するほうに傾いています。冒頭のコラールを暗い旋律にしているのは、イエスの誕生のシーンと、ゆく年くる年の時間軸を合わせているためと考えられます。合唱もまるで夕べの暗さを憐れむかのようです。続くアリアも暗く人間の罪の深さを表現。しかし一方で時期にゆるされて天使の喜びになるという歌詞は、旧年中の穢れを神に祈ることで新しく生まれ変われると歌っているかのよう。

しかし、第3曲のレチタティーヴォからまるで夜が明けるかのように明るさが増していきます。それにそった歌唱をソリストと合唱団もしているのが特徴です。第4曲目のコラールと二重唱という複構造では、再び合唱団のアルトパートとして少年合唱登場!まさに天使が歌っています。新しい年がやってきて、生まれ変わる希望を見いだす・・・そのシーンに、少年合唱がなんとあっていることか!リリンクの仕掛けですが、嫌みがなく私は好きです。

降臨節の喜びに、新年を迎える喜びとを掛け合わせた、優れた作品に、優れた手腕で優れた歌唱を持ってくるリリンクの手腕は、ここでも素晴らしいの一言です。

さて、今年最後のエントリとなりました。奇しくも大晦日のエントリで1724年12月31日に初演されたカンタータを取り上げることになりました。あくまでも偶然ですが、皆さまはどんな一年でしたでしょうか?そして来年はどんな年になるのでしょうか・・・

そしてことし一年、このブログをごひいきいただき、誠にありがとうございました。来年もごひいきいただきますようお願いいたしますとともに、皆さまも良き一年を迎えられますよう、お祈りいたしたく存じます。良いお年を!

 


聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第121番「キリストを、われらさやけく頌め讃うべし」BWV121
カンタータ第133番「われは汝にありて喜び」BWV133
カンタータ第122番「新たに生まれし嬰児」BWV122
アーリン・オジェー(ソプラノ、第121番・第133番)
ヘレン・ドナート(ソプラノ、第122番)
ドリス・ゾッフェル(アルト、第121番・第133番)
ヘレン・ワッツ(アルト、第122番)
アダルペルト・クラウス(テノール、第121番・第122番)
アルド・バルディン(テノール、第133番)
ヴォルフガング・シェーネ(バス、第121番)
フィリップ・フッテンロッハー(バス、第133番)
ニクラウス・テューラー(バス、第122番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。