東京の図書館から、62回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヘルムート・リリンク指揮シュトゥットガルト・バッハ合奏団他による、バッハのカンタータ全集、今回は第23集を取り上げます。収録されているのは、第181番、第67番、第104番、第166番の4つです。
①カンタータ第181番「軽佻浮薄なる精神(こころ)の者ども」BWV181
カンタータ第181番は、1724年2月13日に初演された、復活祭前第8日曜日用のカンタータです。ウィキペディアでは六十日祭用との記述があります。
この六十日祭とは、四旬節と関連しており、この風習も現在のキリスト教では一般的ではありません。そのため、前回取り上げた第166番と関連するカンタータだと言っていいでしょう。収録時間の関係で分かれてしまっていますが、リリンクが初演順に並べたのはこういう関連が分かるようにという側面が大きいでしょう。表現もそうですが、この点でリリンクを評価する人はネット上では少ないように見受けられます。
それにしても、テクストはいきなり厳しい内容になっています。ちょうど現在日本では、兵庫県知事の問題で物議を醸していますが、やれオールドメディアがとか言われます。ただ、そのSNSの言動は、果たして真に正しいのか、「軽佻浮薄なる精神(こころ)の者ども」ではないのかというのは、大事な視点でしょう。これはメディアの新旧にかぎらないはすです。1724年のトーマス教会に於いて、このようなテーマがだされたということは、その時代においても同じような事例が発生しているということです。それは時代が移ってもさほど変わるとは思えません。メディアがどんなに新しくなっても同じような問題が発生しているということは、ある意味人間の性だと言えますから、いたずらにSNSこそ正しくオールドメディアが間違っているとはいえないのではないでしょうか。正しい場合もあるし違っている場合もあります。私も例えば、このシリーズを書くと決めた時、ネットと東京書籍「バッハ事典」の二つでと考えたのは、ダブルチェックをするためにです。それは違う視点を比較することでもあります。そのような視点を持つことはどんな時代であっても重要ですし、どのメディアであっても同じであると言えます。
つまり、オールドメディアで発生したことは、必ず新しいメディアでも発生する、と言うことです。カトリックに対抗したプロテスタントだからこそ、このテクストを持ってきたのでしょう。それは、古いもので発生したことは新しいものでも発生すると信じているからとも言えます。こういう点でも、クラシック音楽などの芸術に触れることは大切で、私も亡き母から嫌と言うほど教わったことでした。
この第181番の演奏では、そのテクストの冒頭である
Leichtgesinnte Flattergeister 軽薄でいい加減な人たちは
Rauben sich des Wortes Kraft. み言葉を無力にしてしまう。
が強調されています。モダン楽器の性能の高さと、それに対応する声楽の効果も相まって、心に突き刺さる演奏です。つまり、この曲も会衆に対して、「皆さんの心にも、ありませんか?」と問うているわけです。SNSの世界でも、このような振り返りが是非とも広がってほしいところです。
②カンタータ第67番「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」BWV67
カンタータ第67番は、1724年4月16日に初演された、復活最後第1日曜日用のカンタータです。
いきなり2月から4月に飛んでいるのは、その間のものはすでに作曲済みだったからで、それらを使ったと言うことでしょう。そのうえで、この時期に初演されたバッハの大作があります。それが、ヨハネ受難曲です。
つまり、ヨハネ受難曲の作曲、そして初演と準備に時間が取られたため、この年は旧作を使ったと言っていいでしょう。実際1725年以降でも新作は少なく、ほとんどが旧作を使いまわしていたと考えられます。それはこの後1727年には、マタイ受難曲を作曲していますし、さらにはマルコ受難曲とルカ受難曲も作曲したという記録が残っているため、この時期はかなりの年月新作がかけなかったと考えていいでしょう。
そんな中で珍しい新作である第67番は、キリストの復活を祝う曲です。そのため明るい曲ですが、リリンクはモダン楽器という特質を生かした、祝祭感あふれる演奏に仕上げています。そして何より、躍動感に満ちています。全身で復活の喜びを讃えるかの様です。古楽でもそれは勿論なのですが、モダン楽器を使っていかに表現するかは重要で、リリンクはやりすぎずしかし喜びに満ちた演奏しているのはさすがです。
③カンタータ第104番「イスラエルの牧者よ、耳を傾け給え」BWV104
カンタータ第104番は、1724年4月23日に初演された、復活最後第2日曜日用のカンタータです。
イエスを「よき羊飼い」として表現し、平安を表現する作品で、田園音楽となっています。その特色が強く出ているのが、第5曲「幸せな群れ、イエスの羊」です。シシリアーノを使うという点で、イエスの存在と親しみを表現するのは圧巻です。そこを丁寧かつ大胆に歌うソリストもまた格別!これも、リリンクのスコアリーディングの深さがうかがえる演奏です。勿論ソリストも同じで、全体で共感しあっているところが聴きどころです。
④カンタータ第166番「汝はいずこへ行くや」BWV166
カンタータ第168番は、1724年5月7日に初演された、復活最後第第4日曜日用のカンタータです。
ここでも1週飛んでいるわけですが、埋めるものは翌年の1725年に作曲されています。ここも忙しかったと考えるのが自然でしょう。実際すでに旧作は存在していました(第12番)ので、それで1724年は代用して、5月7日に新作を発表したのでしょう。
「どこに行く?」とは場所ではなく人生を表わしており、これもまた、バッハのカンタータがなんであるかを示す代表的な作品だと言えるでしょう。如何に生きるかは現代でも重要なテーマで、だからこそ「君たちはいかに生きるか」(吉野源三郎著)がいまだに売れるのです。宮崎駿監督によって昨年映画にもなりました。
同じテーマは、バッハが生きた時代でも同じだったと言えます。思い悩み、そして信仰に至る道筋が、長調と短調を織り交ぜて書かれているのが特徴で、その分、モダン楽器だからこその細心の注意が演奏に置いてもなされています。声楽を邪魔しない器楽、そのことによって歌詞が味わえる声楽と、やはりリリンクらしい譜読みの深さが存分に表れています。そして共感する演奏者という「仲間」たち。それが織りなす音楽を楽しめる私たち聴衆・・・なんと幸せなことか!
思い悩めることは幸せであると、つくづく感じさせます。
聴いている音源
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第181番「軽佻浮薄なる精神(こころ)の者ども」BWV181
カンタータ第67番「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」BWV67
カンタータ第104番「イスラエルの牧者よ、耳を傾け給え」BWV104
カンタータ第166番「汝はいずこへ行くや」BWV166
カトリン・グラーフ(ソプラノ、第181番)
ガブリエーレ・シュナウト(アルト、第181番)
三井つや子(アルト、第67番)
ヘレン・ワッツ(アルト、第166番)
アダルペルト・クラウス(テノール、第67番)
アルド・バルディン(テノール、第166番)
ニクラウス・テューラー(バス、第181番)
ヴァルター・ヘルトヴァイン(バス、第67番)
ヴォルフガング・シェーネ(バス、第104番・第166番)
ゲッヒンゲン聖歌隊
フランクフルト聖歌隊
インディアナ大学室内合唱団
シュトゥットガルト記念教会合唱団
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト・バッハ合奏団
ヴュルッテンベルク室内管弦楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。